壁の上にも三日

2022.6.15(水) 県体壁 18

夕方、菊陽町から熊本市をめざすと相変わらず車が多い。
県立体育館に着く前に疲れてしまう。

今日は岳連総会もあってか登る人が少ない。

【だれもとりついていない壁】

6月になって、3週連続で県体壁に来た。
その理由は「日が長く、暖かくなった」からではない。
逆にほとんど来ていない理由は、体の疲れが取れなかったからである。
土日に外岩に行くと、水曜日になっても疲れが取れていないのだ。特に今年は長く首筋にこわりがあった。
この頃、少しよくなってきた。

6月1日(水)
① 右:赤ホールド(5.10d) 敗退
久しぶりで「突っ込む」勇気がない。
6月8日(水)
② 右:赤ホールド NG 2T 前腕が張った。
パワーで登ってみた。
③ 右:赤ホールド NG 1T ポイントが分かった。
小学生の女の子の登りが参考になった。
6月15日(水)
④ 右:赤ホールド NG 1T 上部でムーブを忘却。
⑤ 右:赤ホールド NG 1T 中部でムーブを忘却。
⑥ 右:赤ホールド RP

結局、3日間6回でRPできた。
本当は④回目あたりでRPしたかったが、1週間たつとムーブを忘れるということが分かった。
3週連続で県体壁に通い、体が慣れてきたのも登れた要因だろう。
ビレイヤーでは新人のオカダさんにお世話になった。
なお、弁解をすればこのルートは体感「5.11a」だ。


【新しいシューズの試し履き】
というのは冗談。
運動靴を忘れたので通勤用革靴でアップをした。

※PCの調子が悪くブログ更新が一日遅れた。

今日はキコリ

2022.6.12(日) 五色岩 25

6月11日(土) ボル天
雨の土曜日、す~さんに誘われて久しぶりにボル天へ。

「黒ヒラメ」は一発で決めたが、「黒囲い」は大苦戦。
ホールドの印が見えないよ~。

6月12日(日) 五色岩(ソロ)
菊池は前夜まで雨が降っていたので「岩は濡れているだろう」とゆっくり来たら日向神はそれほど降っていない。

道端はもう満員御礼。
五色岩もKさんのグループが6人。

私は右岩稜の上部からラッペルして、3ピッチ目を掃除。

【稜線からハナタテ岩を望む】
易しい稜線だが、こんな所がまったく人跡未踏とは信じられないぐらいの幸運だ。

午後はショートエリアになりそうな所を1本掃除した。

開拓にはいろいろなプロセスがあるが、最初の仕事「キコリ」が一番たのしいかな~。


【義理チョコで勘違い(5.11a)のメタル類】
愛のエリアでリボルト作業が行われ、その一環で「義理チョコ」のルートは消滅した。
タケシさんが回収されたメタル類を持って来てくださった。
有難いことである。
いずれどこかで使うことになるだろう。


【山里に咲くアジサイ】
帰り道、道路端に咲くアジサイの枝を何本かいただいた。
帰ってすぐ「挿し木」にした。

 

日曜、雨の図書館

2022.6.5(日) 読書 7

「読書」こんなカテゴリーがこのブログにあったのか!
と、自分でも驚く。
雨の日曜日、午前中は寺総代として「地震による本堂復旧工事」のための浄財を集めて回った。
帰って「村上ラヂオ2」の続きを読んだ。
村上春樹氏はオープンカーを3台乗り継いでいることを知って親近感が沸いた。(たぶんイタリア車だろうけど)
世の中の女性はこのことを知っているのかなあ。

【コーヒーとチョコの紙袋】

午後は町の図書館へ行った。
中野京子氏の「名画の謎」を座り読みした。
その中に、「天の川」の話があった。
私はこれまで「天の川は、英語ではミルキーウェイと言うのだ。牛の乳のことだね」と教えていた。(誰に?)
ところが、ミルキーウェイとはギリシャ神話に元があって、女神ヘラの母乳であることを知った。
女神ヘラは最高神ゼウスの正妻である。ゼウスは愛人に子どもを産ませたが、ヘラの反感を買った愛人は母乳が出なくされた。
困ったゼウスは子どもにヘラの母乳を飲ませようと無理に乳房に押し付けたら、子どもが怪力だったので母乳がほとばしり空に飛んで星となった。ヘラの母乳を飲んだ子どもは不死身の英雄ヘラクレスとなった・・・。ギリシャ神話は深すぎる。

【ネコのジャンプ】

日本昔話では少し前に「桃太郎」を読んだ。
桃太郎と言えば、川上から流れてきた桃の中で生きていた不思議な赤ちゃんだ。
これは「標準型」という明治以降に学校で教えるために改訂されたもので、以前は流れてきた桃を食べたお爺さんとお婆さんが若返り、元お婆さん(?)が妊娠して立派な赤ちゃんが生まれたという「回春説」が一般的だったとか。
桃というのは昔から不思議な力がある果実だと信じられていた。
私も長くこの説を信じていた。

ところがまだ別の話があり、実は川上から流れてきたのは若い女性だったという説だ。つまり健康的な「桃尻娘」だったのだ。
お爺さんは毎日山(?)に行くだけの体力を持っていたので二人の間に赤ちゃんが生まれ、お婆さんも一緒になって育てたという。昔話とはいえ実に合理的な話だ。

【6月3日のホタル スマホ撮影】

五色岩:右岩稜へ

2022.6.4(土) 日向神:五色岩 24

6月1日(水)
熊本県体壁は約3か月ぶり。

ルートが新しくなって楽しい。3本トライして早退。
20代の新人が二人参加して、これから楽しみ。

6月3日(金)
ホタル観賞。
最初に行った有名なS地点は車が数台停まっていたがホタルは皆無。
ダメもとで行ったK地点はたくさんの光がゆらゆらと飛んでいた。
やさしく捕まえると手の中で黄緑の光を放つ。
ここは穴場なので、誰にも教えられない。
(ホタルと言えば旭志が有名だが、今年も鑑賞自粛中)

6月4日(土) 
五色岩で開拓。

【樹林の中で車が朝日を浴びる】


【右壁:「ナイス~」の終了点からみた右岩稜】
このスカイラインを登る。


【左には「びっくりフェイス」が見える】

上からラッペルして1回目の掃除。

浮き岩を落としたらアオダイショウのきれいな抜け殻があった。
2回の掃除は主にカンテの右側を行った。
澤田さんにビレイして頂きTr.で登ってみるが、見た目より難しい。距離も27mと長い。

【右岩稜:試登中】
この後終了点を5mほど下げて、ボルトを7本埋めた。


スタート地点は「公園」と呼びたいほどのきれいな大きいテラスである。
初登は次回の予定。午後4時半、下山。

車の近くで「オオオサムシ」を見つけた。
後羽が退化して飛べないそうだ。

暑い一日で、体重が激減していた。

ルート開拓100本の軌跡

2022.6.1(水) 徒然 89

5月28日の日向神:五色岩で「百色(ももいろ)」を開拓したことが、通算100本目の開拓となった。
これまでの軌跡を記しておきたい。

1983年(25歳)~1933年(35歳)
阿蘇:大観峰    26本(リアラ、復活の日など)
八方ヶ岳:穴川の岩場 1本 (2P 未発表)
菊鹿:丸岩の開拓 (Tr.多 未発表)
比叡山:南面スラブ 2本(スーパーファイナルなど)
宇土:赤瀬海岸   2本 (未発表)
宮崎:行縢山    1本(アロマージュ 4P 未発表)

大観峰「カウンター・チン」の2ピッチ目を開拓中

【22年間の空白期間】

2015年(57歳)
植木:岩野山    11本 (夏の思い出など)
2016年(58歳)
植木:岩野山    4本 (フェアウエイなど)
2017年(59歳)
日向神:サンセット 2本(若い時のりりィなど)
2018年(60歳)
日向神:愛のエリア 5本(義理チョコで勘違いなど)
日向神:奥壁    1本(生きた証)
2019年(61歳)
日向神:愛のエリア 4本(平成最後のヒールフックなど)
日向神:ダム下   2本(フルグラなど)
2020年(62歳)
日向神:ダム下   6本(素敵なロドライフなど)
星原峠:ボルダー開拓
2021年(63歳)
日向神:ダム下   1本(ビターチョコ)
八方ヶ岳:カニのハサミ岩 18本(ロドキャンなど)
日向神:五色岩   2本(ゆずレモンなど)
2022年(64歳)
日向神:五色岩   9本(岳間茶など)
日向神:ダム下   1本(ハイドランジャー)

ルート開拓者は「絶滅危惧種」と言われて久しい。
では、何故私はルート開拓をするのか。
答えは一つ、「面白いから」

大観峰:「アゾロ・ダイレクトカンテ」の開拓中

私の場合、クライミングとは開拓をすることである。
若い時に「熊本クレッテル・カメラード」に入り、大観峰というほとんど手つかずの岩場と出会えたことが大きい。
(大観峰の岩場は熊本地震で行けなくなった)
そして2011年、「あそ望山岳会」に入会して山との出会い直しができた。
100本はもちろん通過点であるが、この後はどうなるかは分からない。
フェイスブックで東秀磯氏が5月だけで10本開拓して、「月間最多ルート開拓賞」を自らに与えていた。
私は8回山に行って開拓は2本、打率は2割5分か。まだまだだな。

1983年、大観峰では「ヨセミテスタイル」が流行っていた。

あと10年もしたら、「聖地巡礼 いっせいの100ルートを登る」なんて企画が起きるかもしれないが、その時は詳しい資料をお渡ししたい。

運動会の思い出

2022.5.30(月) 徒然 86

先日、1年生の孫の運動会を見に行った。
50mの直線を走る「徒競走」では、1コースでスタートしたのに前を行く右側の子に引っ張られてゴールした時は3コースだった。そして5位。(カメラのファインダー越しに爆笑!)
だいたい緒方家に足の速い子はいない。

私がその源でいつも短距離走はクラスの中で下から2番目だった。
だから運動会で活躍したことはまったくない。
だいたい運動が「嫌い」だったのではなく、運動することに「無関心」だったのだ。思い出もほとんどない。
運動会を見に来た親も私の姉の活躍が楽しみだったろう。

【小学校時代】
何年生の時か、ショウケを背中に乗せて四つん這いで進む「亀の子レース」という技巧走で3位になった。
【中学校時代】
3年生の時に、応援団長から「団画を描いてくれ」と言われて、畳大の「マジンガーZ」を描いた。(絵は得意だった)
【高校時代】
フォークダンスで手をつないだ女子がテニス部だったのか、手の皮がごわごわだった。
組体操で台上倒立ができなかった。
以上、走った思い出がない

そんな私ではあったが、大学時代にワンゲル部に入って毎日トレーニングすることでかなり体ができてきた。
更に教職に就いたことで日頃から走ることが多く、学生時代の走力を維持できた。
この頃、やっと「走り方」が分かってきた
20代後半の頃、「熊本走ろう会」の同僚の勧めでマラソン大会に出るようになった。
鹿本マラソンの10km、杖立温泉マラソンの20km、大津白川マラソンの30kmと距離も伸びて嬉野温泉高速道開通マラソン大会が初フル。
更に山口萩往還140kmのウルトラマラソンも3回出場した。

懸案だった「短距離走」もそれなりに力がついて、40代後半の時に出た町内体育祭「地区別対抗リレー」では、4位でバトンをもらいごぼう抜きで1位になるまで前を走る選手が本当に歩いているように見えた
場内の歓声と共にテントにいた老いた両親にやっと息子の晴れ姿を見せることができた。(と、思っている)

そして、運動が苦手な我が子たちであるが、
1年生の時に声が大きいので「開会宣言」をした子、
原稿を読むのが上手で放送係をした子、
重い病気を持って生まれたのにみんなと一緒に参加できるまでになった子、
入場行進で吹奏楽部の指揮をした子、
応援団で力いっぱい大きな声を出した子、
体が小さくいつも先頭にいて元気な笑顔で踊っていた子、
みんなそれなりに親を楽しませてくれた。

今思えば、運動会の思い出は親の心に残るものではなかろうか。

百色(5.10c)開拓・初登

2022.5.28(土) 日向神:五色岩 23

土曜日なのに午後1時まで仕事をして、軽く昼食をとって車を飛ばし、日向神に着いたのが午後3時。
す~さんも少し前についたばかりだった。

5月25日にボルトを打った五色岩右壁の新ルートの初登をめざす。

もう、登る前から「初登」したような気分。


岩はカラカラ、少し曇って絶好のコンディション。


あっさり初登。
「百色 5.10c B8 26m 緒方」の完成。
「ももいろ」とは、「百本目のルートは五色岩」を略したもの。
実にこのルートは私が開拓した100本目のメモリアルルートになったのである。


第2登はす~さん。
場所は「如月」と「ビッタビタ」の間。
ロープは60mがいる。
第3登は澤田さん。

右壁のアプローチはFixロープを張っていたが、岩が湿っているときは滑りやすいので、す~さんの協力で足場を作った。

平日も五色岩

2022.5.25(水) 五色岩 22

1年に1~2回ある平日の休み。
職場の仲間はゴルフとか言っていたが、私はもちろん山。

5月22日に終了点を打ったプロジェクトにボルトを打つ予定。
暑くなる前に終わろうと早起きして来たが、日向神が近づくにつれて道路に水たまりが出てきた。
どうも昨日、夕立があったらしい。
昨日は皆さん、QDを回収することもかなわなかったのだろう。
道端の「無念」のある壁にはたくさんのQDが残置されていた。


五色岩の近くにはサワガニまで上がってきていた。

南面の五色岩右壁エリアは乾きが早い。

1回シャントで登りボルト位置を確認、2回目は下りながらボルトを8本埋めた。
作業中にスリングが左目を直撃した。いつもはゴーグルをはめているのに油断した。まだ痛い。


【落ちなかったオトシブミ】


【山の仲間 トカゲ】

道端ではQDを回収に来られたIさんらが登られていた。
今日は早く帰って散髪に行こう。


【サイハイラン 根引峠】


【ソメイヨシノ 星原峠】


ハンマーのネジが1個紛失していたので、帰りにホームセンターで合うものを買った。ステン径6mmで40円。

散髪に行ったら、お客さんがたくさん待っておられたので帰った。水曜日が休みの人は多いのか?

庭の草取りをした。

我が家の【クサギカメムシ】

かなりお疲れの五色岩

2022.5.22(日) 五色岩 21

昨日のダム下「ハイドランジャー(5.11d)開拓・初登」は相当疲れた。
朝から疲れが残っているのはよく分かるが、来週末が土日とも山に行けないのでどうしても行かざるを得ない。


【日向神ダム湖の主? コイ】

少しゆっくり来たら、愛のエリアもキャンプ場も車で一杯だ。
五色岩はわずか2台。

10時
重荷を担いでやっと稜線に着く。

【セッコクラン】
花に鼻を近づけて「くんくん」してみるが、匂いはよく分からない。
稜線からラッペルして、予定したあたりに終了点を設置。
下りながら岩の掃除。

12時
昼食後、シャントで登り返しながら掃除。
気温は高いがいい風が吹いてそれほど汗はかかない。
クライミングシューズを履いているのでつま先が痛い。

26mと、けっこう長い。
15時
相当疲れているので下山。


【道端エリアの賑わい ドラレコ映像から】
山友のKさんが首を痛めていた。
「加齢ですか?」と訊いたら「ジムで痛めた」と言われた。
やっぱり、ジムは加齢よりこわい。

帰り道、疲れてゆっくり運転すると眠くなる。
県外からのクライマー諸氏も居眠り運転にはご注意して欲しい。

ダム下2.5階 ハイドランジャー(5.11d)開拓・初登

2022.5.21(土) 日向神:ダム下 29

先週、ダム下2.5階のプロジェクトは濡れていた。
今日は曇り空で暑さもない。

①ラッペルしてシャントで登り返しながらボルト位置を決める。

②なかなかうまく登れないが、「なんとかなりそう!」と自分に言い聞かせてボルトを5本打った。

ビレイは2階で登っていたナカさんにお願いした。

③マスタートライ NG

大フレークのハングを越える。


パワー全開ながら、細かな足置きが要求される。

意外と気合が入って最上部までうまく登れた。
最後のスラブでTr.と違う登り方をしてスリップ。

昼食、岩場の整備

④トライ2 RP(初登)
ハイドランジャー 5.11d B5 10m 緒方」完成。
ビレイヤーはナカさん。

【開拓・初登の軌跡】
2020年12月 3日間(掃除・Tr.トライ)
この頃は核心部をヒールフックで越えていた。
あまりにも難しいので半分諦めて「カニのハサミ岩」へ。

2022年4月 2日間(Tr.トライ)
核心部を右から越えることができた。
フレークにボルトは打てないので開拓が進まない。

本日、フレーク上のプロテクションには固い岩からステンレスワイヤーを垂らすことで解決。
終了点はロープが岩とこすれないように頭上の立ち木からスリングでとっている。

⑤荷物(デポ)の回収
帰ろうとした頃タケシさんがやってきて「3階の開拓用具を回収する」というので手伝った。


「ハイドランジャー」とは地球防衛軍海洋潜航艇ではなく、猫の名前でもなく、5月の花「アジサイ」の英語名である。

いっせいのクライミングや日々の日記です