「ランニング」カテゴリーアーカイブ

「走る」ことについて考えた

2021.8.17(火) ランニング 13

走るのが苦手な人は多い。
「やくみつる」の「つぶやくみつる」という本を読んでいたら、彼も「子どもの頃から走るのは大嫌いだった」そうだ。
だいたい文筆活動を行う人は運動嫌いが多い。
例外的にマラソン好きで知られる村上春樹さんも、「マラソンは誰にでも勧められるスポーツではない」と言っている。
私の場合はどうか。
子どもの頃、私は走るのがかなり遅かった。
50m走では小学校高学年と高校生の時に「ビリから2番目」だったのを覚えている。
しかし、それで意地悪なことを言われたことはなかった。
走るのが遅いから嫌いだということはなく、走るなんてことは鼻からどうでもよかった。
だから小・中学校時代の運動会はあまり記憶がない。

【カタツムリ】まるで梅雨みたい。

短距離走は非常に遅かったが、長距離はそうでもなかった。
高校生の頃は冬場の体育で持久走があり、いつも一生懸命走って40人中20番目ぐらいだった。
しかし、記録をとる日には25番に落ちたので悔しかった覚えがある。本番の時だけ力を出す輩は昔から好きではない。

大学時代はワンダーフォーゲル部だった。
これ、日頃は「トレーニング部」だったので、けっこう強い体ができた。今では考えられないが40㎏以上担いで山を登ることもできた。20歳前後で体を鍛えるのはいいことだ。

【シオカラトンボ?】

30歳の頃、職場に「熊本走ろう会」の田川さんがおられた。
朝から一緒に職場の裏山を走ったりしていた。
彼の勧めで初めて出たマラソン大会が「鹿本マラソン:5kmの部」だった。
もう必死で走り、ゴールタイムは19分40秒ぐらい。
「こんなきついことはもうやらない」と思ってしばらくくたばっていた。
その後、10㎞の部のゴールがあり、「どんなすごい人たちが走っているのだろう」と見に行ったら、10㎞の部の最終ランナーが70歳ぐらいの白髪のおばあちゃんで、みんなから拍手で迎えられていた。
「う~ん、すばらしい。マラソン大会は速いだけじゃないんだ。よし、来年は俺も10kmだ」と、この時思った。

【セミの抜け殻】 一皮むけた。

35歳ごろ、私のクライミングの師匠であり福岡国際マラソンに何度も出場している徳留くんに「齢をとるほどに走るのが速くなってきたよ。不思議だなあ」と言ったら、「今まで走り方を知らなかったんですよ」と返されて、納得。(続く)


【ハマスゲ】 田舎の証明、道路の中央線が雑草とは。

加齢による走力低下

2021.8.16(月) ランニング 12

新しくランニングシューズを買ったので、タイムを計り始めた。
家の近くに約1kmの下りコースがあり、20年間の記録が残っている。今日、各年のベスト記録をグラフにしてみた。
これによると、40歳代は記録が伸びている。
45歳の青島太平洋マラソン大会は(3時間9分23秒)の好記録だ。
47歳の時、トレラン中に左ひざを故障して3年間ほどまったく走れなくなった。
所属していたランニングクラブも辞めた。
しかし、リハビリで始めた山歩きが面白くなり、53歳から入った山岳会で岩登りを再開して今に至る。

【昔、電車が走っていた道】

今、休日はクライミングばかりで走ることはないからタイムは当然落ちる。
このコースでは、約20年間で40秒もタイムが落ちている。
単純計算で、1年間に2秒の減となる。
これは大きいのか小さいのか?

【泗水:孔子公園】

ちなみに、体重は40年間で4㎏落ちている。
太ももは明らかに細くなっている。
これも単純計算で1年間に100gである。
1年間に100g筋肉量が減って、走力は1kmで2秒落ちる。
これでだいたいこれからの想定はできる。

しかし、高齢の識者によると、60歳代はなんとか体力を保持できるが、70歳代になるとガクンと落ちるらしい。
人生100年の時代を元気に生き抜くのは難しい。

※本文と写真は何の関係もありません。

ランニングシューズ:購入

2021.7.11(月) ランニング 11

このブログに「ランニング」というカテゴリーがあることをご存知の読者は少ない。
今日、9年ぶりにランニングシューズを新調した。

アシックスの「ターサーJAPAN」である。
定価は13.000円ぐらいだが。Amazonでポイント等を使って9.300円だった。JAPANのエンブレムは日本製の証である。


9年間使ったターサーはソールのゴムが取れている。
ひねってみると、ふにゃふにゃしている。
「お疲れ様」としか言いようがない。

2005年、47歳のときに左ひざを疲労骨折して3年間まったく走れなかった。これを機に、ランニングクラブを退会。
その後、リハビリを兼ねて山に登り始める。
2011年、53歳のときに「あそ望山岳会」に入会してクライミングを再開。
2015年、57歳の時に「サッカー」で左足首をひどく捻挫して1年半ほど走れなかった。
その後は「フルマラソンやLSDは体に悪い」と思い始め、ランニングは趣味の範疇から消えた。

しかし、「走れる体」にはなにがしかの憧れがある。
これは小中高といつもクラスのビリから2番目を走っていた為だろう・・・。
先日、図書館で「ランナーズ」を眺めたら、マラソンの年代別1位で、60歳ごろから走り始めたという人を紹介してあった。大いに励みとなる記事であり、あこがれる生き方でもある。
もう長い距離を走るつもりはないが、短距離ならば走れる体を作っていきたい。

マラソン中継で泣いた日

2021.5.7(金) ランニング 10

昨日は熊本県で東京オリンピックの聖火リレーが行われた。
先月末には宮崎県で聖火リレーが行われ、旭化成のマラソン選手だった谷口浩美さんが走られている。(熊日新聞記事から)
数あるマラソン選手の中でも谷口浩美は特に印象深い。
世間的にはバルセロナオリンピックでの「こけちゃいました」が有名だ。
しかし、私としては30年前の世界陸上東京大会だ。
1991年9月の東京はひどい暑さで、レースが始まると有力所の選手がバタバタと倒れていった。
そんな中、我慢に我慢を重ねた谷口は38キロの上り坂でスパートした。
テレビ画面にアップで映る谷口の顔は苦悶の表情だった。
体は動いていたが、顔は鬼の様だった。
人はここまで厳しい顔になるのか。
まさしく谷口は鬼神と化していた。
私はテレビの前で正座をして泣いていた。

今思い出しても泣きそうになる。

私は30代から40代にかけてマラソンに傾倒し、フルマラソンを36回走った。
時には足や肩が痛く、ひどく暑く、ひどく寒く、下痢に苦しんだこともある。
しかしいつも「あの時の谷口浩美の顔までにはなっていない」と思うと頑張る気持ちが出て一度もリタイヤしたことはない。

【余談】~谷口浩美に勝った日~
30代の頃、1月2日に開催されていた宮崎:尾鈴マラソンに何回か出たことがある。
ある時、走り終わって結果表を見たら、私の次が「谷口浩美 旭化成」であった。
びっくりして知り合いに聞くと、「旭化成に同姓同名の市民ランナーがいる」とのことだった。地元では有名な方らしい。

走力に不安あり

2019.12.27(金) ランニング

年々走行距離が減ってきた。特に今年はひどい。
だいたい練習しなくてもそこそこ走れるのが自慢だったのに、10月は発熱し、11月は膝を痛めていた。12月は屈伸すると左ひざからポキポキ音がして全く走っていない。
これでは5日後の「旭志元旦マラソン大会」の連続出場が危ぶまれる。
そこで今日は旭志の本コースで練習して膝の調子をみることにした。
ところが、旭志に着くといつもの会場(旭志公民館)で大工事が行われていた。心配になって旭志支所に尋ねると「元旦マラソンは中止」とのことだった。

走ることをさぼる理由はいくらでも思いつく。
膝が痛い。腰にストレスがたまる。出る大会がない。練習不足。風邪が流行っている。シューズが古い。家族に悪い。etc
だいたい走る練習をするのに練習不足で走らないなんて「意味わかめ」も甚だしい。この頃私がよく使う走らない理由は「健康に悪いから」だ。

例年、旭志元旦マラソンと合志市カントリーマラソン大会を走ってきた。
ところが今年度、合志市から菊陽町に転勤したためカントリーマラソン大会は出られなくなった。もう3000円以上の参加費を払って一般のマラソン大会に参加する意欲はないので「出る大会がない」が理由にもなる。

せっかく旭志まで来たので足の調子を診るためにコースを走ってみた。
曇り空で気温5度、キロ6分ではあまり汗もかかない。左ひざの調子は悪くない。
「ゆっくり休んだ」のが良かったのだろう。

合志市に住む同僚が「カントリーマラソンのチラシに写真が載っていましたよ」と教えてくれた。今年度からは参加できないので応募用チラシは見ていなかった。
ちょっと気になって合志市の市民センターに見に行くと、玄関のポスターに結構大きく載っていた。

白いアンダーシャツにオレンジ色のTシャツというコーディネートが良かったのだろう。せっかく載せてもらったのにこちらも残念。

2019 合志市カントリーマラソン大会

2019.1.12(土) 合志市カントリーマラソン大会

夜中からの雨も上がって、予定通り実施された。
会場は熊本県農業公園カントリーパーク。
受付が8:45まで。スタート予定の11:00まで時間があるので、暖房の効いた広い更衣室で仮眠をとった。
この大会は前のカテゴリーが終わり次第、次がスタートするので要注意だ。
数年前、スタートに間に合わず次のカテゴリーで走ったことがある。

走っている途中、走り終わった子どもたちがタッチを求めてくる。
今年の一般6kmには社会人野球チーム「ゴールデン・ラークス」の選手がたくさん参加していた。
結果は27分14秒で、25位/65人。昨年より14秒遅いが許せる範囲だ。
抽選会で座っていると腹直筋が激しくつった。これはクライミング時にシューズを履くときにも起こることがある。

参加費は1000円。参加賞は合志市オリジナルタオル、清涼飲料水1本、イモの天ぷら2枚、ホット牛乳。抽選会では10人に1人は何かしら当たる。特賞にはゲーム機や自転車があった。

昨年は会場にただよう「唐揚げ」のにおいに我慢がならず、帰りにスーパーで唐揚げを1パック買って食べたら気分が悪くなった。おまけに2日後、発熱してインフルエンザを発症してしまった。完全に「ランニング・モラルハザード」である。

第12回 合志市民健康カントリーマラソン大会

2018.1.13 合志市カントリーマラソン大会

1 期 日 平成30年1月13日(土)
2 会 場 熊本県農業公園カントリーパーク
3 参加者 合志市在住者or市内勤務者
4 参加費 1000円 (大変リーズナブル!)
5 参加賞 バスタオル、ペットボトル、記録賞、イモ天(2枚)、牛乳、抽選会
6 天 候 朝はマイナス3度、昼前には晴れて気持ちよかったが気温は4度。
7 服 装 下はロングタイツ、上は長袖下着にTシャツ、手袋、無帽。自前のランパンは窮屈なので直前に脱いだ。靴はターサー(Japan)
8 記 録 E部門(6km) 27分03秒(29位)
9 感 想
早朝、寒さで目が覚めた。クライミングなら即中止だが、ランニングだとそうもいかない。TVショッピングを見ながら早めの朝食を摂る。
8:45 会場着。受付後は寒いので暖房の入った「男子更衣室」で過ごす。利用者はわずか4名。
9:30   部門ごとに順次走り始める。
11:00 E部門は定刻にスタート。公園内を2周して外道に出て、もどって来て約1周するとゴール。少年野球チームの子どもたちから何度もタッチを求められ気が抜けない。少し前を走る人たちのフォームは膝が上がらずあまり格好良くない。それでも私より速いのだから、私のフォームも知れたものだろう。足が冷たくて靴紐がゆるんだ感覚になりながら走った。
記録は例年通りで満足。1km平均4分30秒程度だ。長袖下着を着ていながらまったく汗をかかなかった。これはウォームアップ不足であろう。
写真を撮っていただいた若い方に抽選会用のナンバーカードを差し上げて早めに会場を後にした。

第43回 泗水町内一周駅伝大会

2017.2.12 泗水町内駅伝大会

この大会、第43回目と長い歴史を誇る。
しかし泗水町が菊池市と合併したときは存続が危ぶまれた。
青年団を始めとする関係者の努力でよく続いている。
我が「久米一区」チームは3年ぶりの出場であった。
約33kmを9区間、2時間31分でたすきをつなぎ、30チーム中総合20位と健闘した。
第43回 泗水町内駅伝
【写真はゴール地点の孔子公園】

私は1区4.3kmを17分58秒、23位であった。1kmを4分10秒程度か。
過去の栄光としては20数年前にこのコースを15分10秒で走っている。
今思えばすばらしい記録だ。
クライミングは年齢を重ねてもメンタルやテクニックでカバーできる部分も大きいが、ランニングは難しい。
今年の大会では私より年上の方は数名しかいない。
今後は出場選手中の最高齢を目指したいと本気で考えている。
そんな表彰はないかしらん。

今年もついてる。ランニングで2つ。

2017年 明けましておめでとうございます

元日は毎年恒例「旭志元旦マラソン大会」に参加。
参加費200円で参加賞は経口保水液1本、災害時クラッカー1個、タオル1本、そして四季の里温泉入湯券というすばらしさ。

9:30受付開始、気温4度、快晴で暖かい。7キロの部は10:30スタート。中学生以上、男女混合で80名ぐらいの参加者だった。
結果は29分31秒、28位。
昨年はクライミングが好調で、ランニングの方は熊本城マラソン大会に落選したこともあってあまり走っていない。
年間走行距離は584km、月間平均は49kmだった。
それで昨年より15秒も早かったのがうれしい。
毎年この大会で会っていた同級生の岩ちゃんは来ていなかった。岩ちゃんはこの辺りでは一番速い男だが、あと10年もすれば同じぐらいになりそうな気がする。
今の力が落ちないようにしたい。
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【写真は、走友のれ~さんとKさん親子】

車に戻ると「ニューイヤー駅伝」で旭化成の4区市田兄がいい走りをしていた。結局旭化成は18年ぶりの優勝。
旭化成といえば、1991年の世界陸上東京大会で谷口浩美選手が金メダルを獲得したが、あの時の鬼のような形相で坂道を駆け上った姿は忘れられない。
思い出すだけで胸が熱くなる。
毎年毎年旭化成の不甲斐ない成績にがっかりしていたが今年からは違うようだ。
東京オリンピックに向けて、ぜひ谷口や森下広一みたいな選手が出てきて欲しい。

 

熊本城マラソンに黄色信号

2016.10.1 弁天山LSD

来年2月の熊本城マラソンにエントリーした。もちろんまだ合格通知は受けていないが、10月になったので練習をした。
昼食後昼寝をして、午後3時過ぎに植木往復20kmコースを走ろうとしたら、大変日差しが強い。
気温も10月なのに30度を超えている。これではロードは無理だと判断して弁天山周回コースへ行く。
ここは一周約1kmで、ほとんどが木陰である。
適度なアップダウンがあり、ウォーキングをする人が多い。車も20台以上停まっている。
短パン、Tシャツで走り始める。
一周7分30秒程度でゆっくりだ。
徐々に調子が出て7分10秒ぐらいにまでなる。
ところが、5周したところでお腹の調子が悪くなりトイレに駆け込むと激しい下痢に見舞われた。
更に5周して2回目の下痢。
反対周りに2周走って左ひざの外側の違和感も強くなってきたので終了。
無理に目標(20周)を達成しようと思わなくなってきたところに歳を感じる。
夕方になるとランナー風の人が増えてきた。

帰ると体重が53.6kgと驚くべきことになっていた。
汗で1kg、下痢で1kgぐらい減っている。だいたい、昼食で牛乳、プロティンなどを飲んだのがいけなかった。
昼寝後のランも体に悪いことは何回も経験している。

来年の熊本城マラソン大会で連続サブフォーを狙うことは難しいと思えてきた。
不安要素はいくつかある。
① 2015.3月の左足首捻挫で2016.2月の大会は不参加。約2年ぶりのフルになる。
② 余裕で走ることができた第1回(2012)大会から4年、加齢とともにこれまでのランニングの貯金がなくなってきた。
③ 走り始めに左ひざに小さな痛み、今日はひざがしびれるようなこともあった。
④ クライミングで上半身はたくましくなってきたが、脚部は筋肉が落ちて細くなってきた。体重も減っている。
⑤ 走ると下痢をしやすい。
⑥ 職場でグループエントリーをしたので、後ろのブロックからのスタートになる。

打開策は、とにかく1か月に2回は20km程度のランをすることだ。