「クライミング」カテゴリーアーカイブ

「そこガバ」NGについて考えた

2018.3.19 日記

3月17日の日向神:愛のエリア「そこにガバがあるから 5.11a」は登れなかった。
このルートは4年前の2014年10月に4便目でRPしている。1便目から最上部まで行くことができた。最後のフットホールドやマントリング的なムーブで苦労したのを覚えている。
それがどうだ。今回は出だしのフェイスがまったく登れなかった。とにかく足が乗らないので指先に負担がかかってテンションを何度もかけた。確かに難しいところではあるが、4年前にはあまり苦労していない部分なので印象が薄い。
原因の①は「花鳥風月 5.11a」で前腕が完全パンプして力が出なかった。
原因の②は、半年ぶりの「愛のエリア」に心身がなじんでいなかった。
原因の③は、加齢で力が落ちた。

原因①と②については次回、登ってみることで判明するだろう。「そこガバ」は私がこれまで登ったルートの中では最高の部類に入るすばらしいルートだが4年間もリピートしなかったのは自分なりに少し恥ずかしい。ただ、RPのときはマスターだったので自信はあった。
問題は③である。まだまだ加齢による衰えは認めたくないが還暦クライマーだから影響がない訳はないだろう。ではどうするかだ。
対策① 体重を落とす。※クライミングの為に体重は落としたくない。
対策② ジムで、かぶりより垂壁での細かなムーブに重点を置く。
対策③ 何回もトライする。  ※一番現実的だ。

ということは、3月24日は日向神になる。もし登れたら、古賀さんらが拓いた仮称「スカイライン 6P 5.11b」もやってみたい。

愛のエリアで「う~ん・・」

2018.3.17  日向神クライミング

先日来の雨もあがり、快晴の朝。
我が家の近くから雲仙がよく見えた。
同行はキーボウさん、コガさん、kinnyさん。
久しぶりに「愛のエリア」へ行く。
途中、右手の岸壁からは雨のように水滴が落ちていた。
先客は常連のIさん、Kさんらである。
下の写真は本日の賑わい。

①愛は勝つ(5.10b) マスターR(リピート)
②花鳥風月(5.11a) NG
1テンで上まで行けたが途中で完全に前腕がパンプしてしまった。
③そこにガバがあるから(5.11a) マスターNG
花鳥風月で腕が終わっていたようでテンションの嵐で上まで。
④本命チョコ(5.10c) R
⑤夢中歩行(5.9) R

コガさんがアップで登った「花鳥風月」、私は数年ぶりなので1テンで登れたのは上出来かもしれない。
コガさんは岩が乾いてくると「ペガサス 5.12b/c」(下の写真)にトライ。

③の「そこガバ」は4年前にRPしたもの。
そのときは4便出したが、下部では一度も落ちなかった。
それが今日はどうだ。
花鳥風月で腕が萎えていたとはいえ、下部がもう登れない。
足を乗せるホールドが見えないのだ。
後ろの方で「愛のエリアは半年来ないと怖いよね。毎週来てても怖いのに・・・・」という会話が聞こえてきた。確かにそうだと納得した。
帰って調べると、昨年の7月以来8ヶ月ぶりだった。
この頃は「登れる5.11」を探して各地を徘徊し、愛のエリアを疎かにしていたつけが回った格好だ。
最後はこの岩場に馴染むために2本登った。
今日の感想は「う~ん・・・」

日向神に春が来た

2018.3.11 日向神クライミング

3月中旬快晴の日曜日、日向神の賑わいはすごかった。
9:30 駐車場に着くとすでに満車。県外ナンバーが目立つ。
とりあえず「道端」へ。同行はフジミさんである。
「ウェルカム・ベイビー 5.11a」開拓者の広瀬さんがおられたのでいいところを見せようとトライしたがうまくリピートできない。スマホに保存された広瀬さんが登る動画を見せていただくと、私の知る限り「誰もそんなやってない、否、やれない」ムーブだった。今日はテンションをかけながらも「正規」のホールドで2回上まで抜けたので次回が楽しみだ。
下の写真は今日の道端エリア。

次の写真は陽気に浮かれるおじさんたち。
K1さんが「体幹トレは広場で」というルートを作るかもしれない。

午後はトンネルエリアに移動。
ここに「登れそうな5.11ルート」を見つけていた。
ダム湖フェイス 5.11a」である。
下部の「旅の宿 5.10a」をフジミさんに登ってもらった。
しかしここからではロープの流れが悪くなりそうだったので、「けほぎリッジの下部」からつなぐことにした。
この「ダム湖フェイス」は小さいカチを拾いながら少しずつ高度を上げていく。リッジの左側に回りこむこのルートは下から見えず、目の前は黒い壁で孤独感が漂う。MOSだが嬉しいというより「ほっとした」感じである。
写真の私がいる所はダム湖フェイスの取り付き地点。ここから左に回りこみ黒い壁を直上する。

もう1本、「人生を語らず 5.11b」にトライした。
見た目すっきりしたスラブで、手がかりが乏しい。
マスタートライは何回もテンションをかけた。
手順足順を覚えているうちにと、2回目のトライでRPできた。
ボルトの位置も最適でこれはお勧めのルートである。

吉田拓郎のアルバム名は「今はまだ人生を語らず」である。
何かを始めるのに「遅すぎることはない」というようなメッセージが込められているらしい。

さて、私の「100イレブン・プロジェクト」も今日の2本で97になった。そろそろ最後の1本を決めておく必要がありそうだ。

2018 初本匠

2018.3.4  本匠クライミング

6:30 大津に集合、乗り合わせる。
9:00 本匠:宮前エリア着
同行はキーボウさん、白ちゃん、Kくん他、会員外が6人と大所帯である。
天候は晴れの予報だったが、前日の雨で午前中は霧が濃く、一日中曇り空で時折霧雨が舞う状態だった。
①山女(5.10b) リピート
②青厳峡ボーイ(5.11a) NG
③ムー大陸(5.10c) リピート
④ウイ(5.10a) OS
⑤ギブ(5.11b)敗退
⑥ヤマユリ返し(5.10c)OS
⑦山女:回収
⑧見返り美人:回収
⑨ムー大陸:回収
この中で、「ヤマユリ返し」はガバをつないで右上していく楽しいルートで、今まで登っていないのが不思議な気がした。
石灰岩の特徴だろうか、前日の雨と湿気の多い空気で右奥の短い3本は午後には真っ黒に濡れて登れなくなってしまった。
下の写真は「ロック(ストーン)・バランシング」を楽しみながらクライミングもするDくん。(白いシャツ)

本匠は昨年の7月以来、7ヶ月ぶりだった。
仲間にも初めて本匠を訪れた人が多く、私も含めてとりあえず石灰岩に慣れる事が今日のテーマになった。
地元の女性で一日中5.12のルートにトライしていた方もいて良い刺激を戴いた。

16:30 終了
19:00 大津着(ミルクロード経由)

春風の日向神タワー

2018.3.3 日向神クライミング

ネットで岳団彩雲が昨年拓いた日向神タワーのルートを調べていたら、第2ルートの1ピッチ目が「彩雲 5.11a」のショートルートとして紹介してあった。
もう日向神では「私が登れる5.11」が少なくなってきたのでぜひ行ってみたいと思った。
同行はフジミさんである。3月1日に大きな仕事を終えて「今日は道端でまったりクライミングをしたい」と言われていたが、なんとか日向神タワーに誘い込んだ。
日向神タワーには2本のマルチルートが拓かれている。マルチは10年ぶりというフジミさんだったので、マルチの楽しさも味わってもらいたかった。

日向神タワーの取り付きまでは「びっくりフェース」の入り口から赤テープに導かれ、谷を渡るとフィックスロープを頼りに登る10分ほどの山径である。
冬枯れの樹林から屹立したタワーが時折見える。

第1ルート(3P、77m、5.10c)に取り付いた。
1P(30m、5.10a)
傾斜はゆるいが波を打った感じで次のボルトがすぐには見つからないところがある。

2P(25m、5.10c)
昔リングボルトの人工で直上していた跡が見える。
ルートは右側の凹角状のフェースに引かれている。
ホールドは大きいがボルト数が少なめなのか、けっこう緊張させられた。
核心部を登り切ってほっと一息の二人。

3P(22m、5.10a)
最後はスプーンカットのホールドを使うが、バルコニーで登りこんでおけば問題ない。
終了点はチェーンを使った立派なもので懸垂下降も大安心である。
50mダブルロープで2回の懸垂下降の練習ができる。

第2ルート1P目「彩雲 18m、5.11a」
午後になり15:00からは小雨の予報なので、とりあえず登ってみる。
見た目は易しそうだが、登ってみると岩場が左下がりの逆層でホールドに乏しい。
しかし私の得意系なのかうまくオンサイトできた。
終了点は立派なチェーンである。

道端エリアに下りて、フジミさんが新しいシューズの試しに2本登られたら15:00、予定通りに雨が落ち始めて撤収した。
先日までの冷たい風が嘘のような春風のそよぐ日向神タワーでのクライミングだった。
近場に楽しいマルチルートを拓いていただいた彩雲の皆様に感謝を申し上げたい。
なお、第2ルートでクイックドローが2本残置(?)されていたので回収している。
心当たりのあるお方はフェイスブックの方にでも書き込みをして欲しい。

日向神:バルコニー 「空へ」RP

2018.2.24 日向神クライミング

先週に引き続き日向神詣で。
同行はフジミさん。
天候に恵まれ、明日は雨の予報なのに土曜日のためかそれほど車は多くない。
エリアはもちろんバルコニー。(道端でアップ)
2月18日にトライした「空へ 5.11」に再挑戦だ。
今日のために60cmの長ヌンを4本用意した。
中間部の大フレークの辺りをすべて長ヌンにすると「落ちられない」気持ちが沸き起こり、なんとなく体がかたくなった。そのためクラックに差し込んだ手に力が入り両手とも擦り傷ができた。血がにじんだ手の甲を見ると、「今日2回は登りたくない」と思った。
スラブに出るところで大レスト。
この後は先週苦労した所だが、ステミング気味のフットホールドを体がよく覚えていてゆっくり休みながら登ることができた。
「空へ 1ピッチ目 5.11」2便目でのうれしいMRPである。

今日は4本登って早めの撤収。
写真が少ないので自撮写真を一枚載せよう。

帰りの車の中で「いきものがかり」のCDアルバムを聴いていたら「未来(つぎ)の~ 空へ~」というフレーズがあった。「YELL」の一節である。
卒業式の定番曲、季節は春である。

あ~、カーリング女子の銅メダル決定戦をTVで観ながらだと筆がなかなか進まない。
おめでとう、日本。

 

発熱を押して日向神クライミング

2018.2.17  日向神:道端エリア
晴れの予報だったが、前日の雨で朝から霧が濃い。
岩場に着いてもべっとり濡れている。同行はキーボウさん。
道端は東向きで朝日が射すとスラブ壁からは湯気が立ち上った。
乾くのを待てず、トレーニングと割り切って登った。
「だんだん 5.9」など、もう十分に5.11の技量を要した。
「シンシア 5.11a」は最上部も乾いて快適であった。
「太郎 5.10c」など計7本登った。

関東から男女の二人連れが来られていた。
見慣れぬギヤを使っておられたので訊いてみた。
「エーデルリッドのOHM(オーム)」である。

体重差のあるペアの場合、1ピン目に使うとフォール時のビレイが楽になるそうである。この二人の場合、30kgぐらいの体重差があり、女性があまり登れないので有効かも。ちなみにネットで調べたら定価16,000円だった。

1月に自分の誕生日のプレゼントにバーナーを買った。
「SOTO  AMICUS  SOD  320」4,527円で、81gと軽量である。
左はキーボウさんの「スノーピーク」 共にコンパクトタイプであるが、大きな違いは音であろう。

スノーピークは小さいながら「ボボボーー!」と咆哮し、アミカスはほぼ無音。
明るい所だと火がついていないように感じるくらいだ。
たった一人のテント生活なら派手に音が出た方が楽しいかも。

夕方から「あそ望山岳会」の例会。
夜は春から都会に就職するカワコウ君の送別会と代わりに入会したカワシマ君の歓迎会。
楽しいひと時を過ごせたが、店を出ると寒気がしてきた。
自宅に帰ると37.8度あった。

2018.2.18 日向神:バルコニーエリア
夜半に寝汗をかき、朝は37.3度。8時ごろには37度まで下がったので日向神へ。
昨日とは打って変わって車だけでも20台ほど集まっている。岩はパリパリに乾いている。あまり人が多いので道端やバルコニーでみんなうろうろしている。
道端のスラブ壁ではK1さんのビレイで長めの1本(5.10-)を登った。
ユジンさんは外国の女性のために「次郎 5.11c」にロープをかけていた。この優しさやぺらぺらの英語力に怪しいものを感じる。

バルコニーも賑わっていた。
まず、「レフトハンド 5.10d」を登った。ギヤループにかけた左側のクイックドローがどんどん減り、左腕の疲労が大きいのでこのルート名がついたのだろう。
次は「スプリングスカイ 5.11a」を原口さんのビレイで登った。
(写真右側のルート)

4年前にMOSしているので余裕があった。マルチルートのフリー化なのでB10とあるが、13本ほど使った。こんなルートは楽しい。

バルコニーの一番右端に拓かれた「空へ 1P目 5.11b/c」に取り付いた。
登っているのは清川さん。

ボルトがダブルロープを前提に打たれているようで、長ヌンを3本使ってもロープの流れが悪い。上部のスラブが核心で何度かフォールしてやっとテラスに這い上がった。大きなフレークを越えて厳しいスラブと変化に富んで面白い。
注意すべきは、1ピッチ目の終了点まで35mあり、60mロープでロワーダウンするとロープが伸びても5mほど足らないので「すっぽぬけ」がないようにしたい。
清川さんに「微熱より、クライミング熱の方が勝ってますね。」と言われた。

お目当ての「14番目の月 5.12a」は人が多くて寄り付けず、実力者の方々もなかなか登れないのを見てやる気が失せた。まあこれも発熱のせいにしておこう。
自宅に帰ると38.3度。
追記
2月17日の懇親会で隣に座っていた会友が18日に体調不良で山行を取り止めた。
他の会友は大丈夫かしらん。

インフルBからの復活はボル天で

2018.2.10 ボルダー天国

1月下旬に罹患したインフルエンザB型は酷かった。
食事がのどを通らず1.6kgも体重が減った。
体温の最高値は40.0度を記録し、5日間も仕事を休むことになった。

これほど酷くなった原因は幾つかある。
①1回目の受診が早すぎた
発熱から2日目、まだ37.5度の時に検査すると「インフルエンザでないことを祈ります」と院長先生に言われた。結果は陰性で、麻黄湯という漢方薬とカロナールという解熱剤を処方された。私としては「多分インフルエンザでしょう」と判断していただいて、タミフル等の特効薬を出してもらいたかった。
この夜、39度の発熱。
②解熱剤で我慢してしまった
3日目は体温が高くなるとカロナールを飲んでやり過ごした。
夜中にまた39度の発熱。
③2度目の受診は遅すぎた
最初の発熱から4日目、体温が38度を下らないので別の医院で受診。
インフルエンザB型と診断されたが「発熱から48時間を過ぎているのでもう薬が効かないでしょう」と言われた。
それでもイナビルを処方していただき、2回吸った。
5日目から6日目にかけてついに40度を記録。
嘔吐まではしないがむかむかして水も飲みたくなく、更に体重減。

その後も昼間は37度で夜は39度の日が続き、楽しみにしていた最後の職員旅行もキャンセル。なんとか軽くボルダリングができるまで約2週間かかった。
2月4日に今年初めてのボル天でリードクライミングを楽しむことができた。しかしルーフから上に手を伸ばすもなかなか届かない状態だった。
そして本日2回目のボル天クライミング。
ずいぶん体がキレるようになってきた。

昨夜は以前(2013年1月)にボル天で撮ったビデオを観た。
ルーフをトラバースして行く「黒囲いルート」で、最後に力尽きてしまっている。
やっと5.11aを数本登れた頃で、ビレイヤーは今日と同じフジミさんだった。
そして今日は「黒囲い」も余裕をもって登ることができた。
ボル天のリードルートはほとんどがパーマネントルートなので、1年に数回しか行かない私には今の自分の実力を測る確かな指標となる。

写真はビジターで賑わう休日午後のボル天リード壁。外は雨。

冬の比叡山マルチ ナックルフェイスFYKルート

2018.1.7 比叡山マルチクライミング

1月6日に「スーパーファイナル」のリボルト作業を行った。
その際に懸案となったのはグレードである。
このルートは「宮崎の岩場クライミングガイド」でⅦ-(5.10b)とある。
実際に登った感触として日向神・野岳なら5.11aはあると感じるがスラブでⅦ+かと言われれば違う感じがする。
そこで、デシマルグレードのついた「ナックルフェイスFYKルート 5.10c」を登ってみることにした。同行は昨日に引き続き松村さん(山嶺)である。
1P目(45m 5.10c) 緒方
出だしの5mがむずかしいとされている。右からか左からか最初は迷った。花崗岩のスラブに足が慣れてくると立てるようになったが、なかなか厳しく空荷で3便出してやっと登った。

これで核心部は終わったと思い荷物を背負って取り付くとこれから上部もなかなか厳しい。しかも「もうピンは少ないだろう」と下から甘く見ていたのでカラビナ類が底をつくぎりぎりのクライミングになった。

2P目(45m Ⅳ+) 松村
3P目(40m Ⅳ+) 緒方
4P目(45m 左5.10b)松村
トポ図のラインと多少違って大きく円を描くように左上していく。後から拓かれたのでわざわざ難しい面を選んでルートにしているようだ。ホールドが多い分選択に時間がかかる。曇り空で寒いが風はないので登るのには問題ない。

5P目(35m 5.5)緒方
大きく右へトラバースしていく。
ルートの後半のプロテクションは終了点以外はまだRCC型ボルトが多い。

6P目(40m 5.9)松村
ナックルピークの右縁を登る高度感のあるピッチで、最後はゆるい斜面を駆け上がると縦走路に達する。

比叡山:スーパーファイナルのリボルト完了

2018.1.6  比叡山リボルト作業

【これまでの経過】
1986年(32年前の夏)
私は当時所属していた熊本クレッテルカメラードの一員として、比叡山のⅠ峰南面「ファイナルスラブ(Ⅵ)」の開拓に携わった。当時の南面では最高のグレードであったと思う。
ところが、技術はなかったが情熱はあった若かりし日の私はその一ヶ月前に単身奥秩父の小川山に乗り込んでいた。そこでは当時の日本最先端の岩場やクライミングに触れることができた。
当時の比叡山はグランドアップによるルート開拓が標準であった。その開拓には崇高な理念と面白みがあるのだろうが、私は「グランドアップで拓いたルートには自ずと限界がある」と思った。
1988年
私は松村史也さん(エルム山の会)と二人で比叡山の掟破り、上からぶら下がってボルトを打つ(フレンチスタイル)やり方でファイナルスラブの右横に「スーパーファイナル(Ⅶ-)」を開拓した。コンセプトは「下からは拓けないルート」であった。
その後
私と松村さんはクライミングから遠ざかっていった。
ファイナルスラブは近年ステンレスボルトにリボルトされたが、スーパーファイナルはその困難さやルートの位置から省みられることはあまりなかったようだ。
2017年4月
あそ望山岳会でクライミングに復帰した私は南面のルートを登った帰りに「スーパー」を登る事を思いついた。今でも登れるのか?
1ピン目(アルミハンガー)までのムーブは体が覚えていてスムーズに行けた。
しかし、核心部になるとプロテクションは錆びて楕円形に伸びたリングボルトであり、しかも5.11程度の力が要求されて敢え無く断念した。
「ファイナル」を登ってクイックドローは回収した。
伸びたリングボルトや残置された敗退ビナからこれまでこのルートにとりついた多くのクライマーの恨み節が聞こえるようだった。
2018年1月6日
山嶺山の会でクライミングに復帰した松村さんと私は「スーパー」のリボルト作業に着手した。下の写真は準備物である。

【作業】
①「ファイナルスラブ」を登って1P目終了点に達する。
②「スーパーファイナル」の終了点を新たに設置する。

③上から下がってステンレスのボルト・ハンガーを設置。
④リードで登り、完成。

予想以上に作業は早く進み、一日で終了した。
プロテクションはステンレスボルト(直径10mm)7本、アルミハンガー2本(下部)、ハーケン1本の合計10本である。
終了点はチェーン2本とカラビナ2枚で、ダブルロープで懸垂は容易だ。
懸案のグレードは私の体感では5.11aであるが、翌日登った「ナックルフェイス・FYKルート 5.10c」を比叡山スラブの基準とすると「5.10d」としたい。

夜は「庵・鹿川」に投宿。
三澤さんに「オガタくんて。君はいったい今まで何をしとったんだね! この田吾作がー!」と10回ぐらい怒鳴られて気持ちよく眠れた。