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合歓の木

2021.6.25(金) 徒然 59

6月20日に八方ヶ岳「カニのハサミ岩」に行く途中の山里で大きな合歓の木を見つけた。
薄いピンク色の花をたくさん咲かせてそれは見事だった。

合歓の木には幾つかの思い出がある。

思い出①
学生時代に大好きだった山の歌が「ねむの木」である。
一度覚えたら忘れることができない。

ねむの木

ねむの木のその下で ほろほろと泣いた人
風もない夕暮れに ゆれていた黒髪よ

ねむの木を見下ろして またたいた青い星
星よりもまだ遠い ぼくたちの道だった

ねむの木をひっそりと 包んだ白い霧
誰にも知られないで 涙をふいたあなた

ねむの木の葉のように 今はただ眠ろうよ
別れても離れても 夢ならば会えるもの

ねむの木のその下で ささやいた永遠(とわ)の愛
真珠の瞳にも 輝いたともしびよ

思い出②
30代後半の頃、「佐賀:父の日マラソン大会」によく出場した。
6月の下旬、父の日の早朝6時に佐賀県庁をスタートするローカルな大会だった。
そのコースの沿道にあるたくさんの合歓の木がいつもきれいに咲いていた。
早朝のすがすがしい空気の中で、合歓の木の花だけがやさしく応援してくれた。

思い出③
すっかり合歓の木が好きになった私は、ある日山から小さな1本の合歓の木をこいで来た。
そして、それを庭に植えた。
それから数年経って、合歓の木は6月になると可憐なピンクの花を咲かせるようになった。
よほど合歓の木に我が家の土が合っていたのだろう、木はどんどん大きくなっていった。
そしていつのまにか、隣の肥後椿やニワウメの木を日陰にするようになった。
更に秋になると大量の落ち葉を降らせるようにもなった。
「過ぎたるは猶及ばざるが如し」と云われる。
合歓の木は私の手で切り倒された。


合歓の木は山にあるものを愛でるに限る。

ワンダーフォーゲル部

2021.6.3(木) 徒然 58

「ワンダーフォーゲル部」
この懐かしい響き。
わが青春の1ページ、というよりも「我が青春そのもの」である。
この学生時代4年間の「ワンダーフォーゲル部」で培ったものが大きく私の人生に生きている。

ところで、ワンダーフォーゲル部出身の有名人といえば誰だろう。

①加藤泰三(社会学者・評論家)
私が高校3年生の頃、「蛍雪時代」などに若きリーダー的な立場から若者の進むべき道をよく説いていた。その中には、彼自身が大学のワンダーフォーゲル部(東大?)での活動から得た経験や知識が入っていた。
私が「ワンダーフォーゲル」という言葉と初めて出会ったのは彼の文章からだった。

②高野悦子(「ニ十歳の原点」の著者)
この本は著者が大学3年生の時、全共闘運動のなかで自殺するまでの日記である。学生運動がピークに達したころではあるが、彼女が立命館大のワンダーフォーゲル部に入っていたという記述がある。
もしもの話だが、彼女が日本アルプスの山々を仲間と共に歩いていたら少なくとも自殺はなかったのではないか。

③穂村弘(歌人・随筆家)
北海道大学に1年間いて、その時にワンダーフォーゲル部に所属している。北海道の山はヒグマもいて、彼にはあまり山歩きが合わなかったようで、その時の経験は時々自虐ネタで出てくる。
その後は上智大を卒業している。

以上3名のみ。

【追記 2022.5.12 】
④服部文祥(サバイバル登山家)
学生時代は都立大ワンダーフォーゲル部。「岳人」編集部に参加してカラコルム、K2に登る。狩猟や渓流釣りをYoutubeにアップし、サバイバル関係の著書も多い。
奥さんは女子美大のワンダーフォーゲル部だった。


新しいぺツルのハンガーはキラキラと光っていない。
「いぶし銀」とはこんな状態ではないか。

お風呂の思い出

2021.6.1(火) 徒然 57

6月を迎え、暑くなると疲労感も高まり帰宅後のお風呂が一番の楽しみになる。
ところで、入浴は非常にプライベートなことであり、家族ごとの文化があり、何かとカルチャーショックを受けやすいものである。
そんなお風呂での思い出を3つ紹介したい。

【本文とは関係のない写真】

①スターの入浴法
もう50年ほど前のことである。
テレビ番組で「スターのお風呂紹介」的な番組があった。
そのスターの自宅は都会の一等地にあり、なんとお風呂は2階にあって天井はガラス張りだった。
まあしかし、この程度は昔でも驚くにあたらない。
そのスターは、カメラの前でこう言った。
「寒い冬は、湯舟のお湯を床にぱーっと撒いてお風呂場を温めます」と。
えっ、まだ誰も入っていないきれいなお湯をパーッとまく?
当時の私にとっては、それはすごい贅沢にも思えたしすごい無駄遣いにも思えた。
さすがに都会のスターはちがうな、と思った。
今ではヒートショックを防ぐためにお湯を撒く方法は常識化しているようだ。

②知人宅のお風呂場
もう30年ほど前のことである。
新築の知人宅に寄ったら、お風呂に入るよう勧められた。
ちょうど仕事帰りで汗をかいていたからかもしれない。
きれいなお風呂場に入ったら、壁に真新しいナイロンたわしが3本かかっていた。
その家は夫婦と小学校6年生の女の子がいた。
ナイロンたわしは「桃、青、黄」の色違いが3本。
当時私は5人家族だったがナイロンたわしは1本だった。
この家は3人で3本。
どの色のたわしを使ったかは覚えていない。

③足の裏
もう20年ほども前のことである。
私はよく家人と一緒にお風呂に入っていた。
ある日、家人は言った。
「あなたは、足の裏を洗わないの?」と。
えっ、足の裏って洗うのか?!
言われて初めて私は足の裏を洗わずに湯舟に入っていたことに気付いた。
もちろん、くるぶしや足の指の間など汚れそうな所はしっかり洗っていた。しかし、足の裏を洗う習慣はなかった。
子どもの頃いつも一緒に入っていた家族の誰もが足の裏は洗っていなかったと思う。
家人はいつの頃からか「この人は足の裏を洗わない人」という目で見ていたのだろう。
しかし、40年間洗ったことのない私の足の裏はとても柔らかくきれいで、ずっと洗い続けてきたであろう家人の足の裏は角質化してとても硬かった。

他にも「湯舟には右足から入る」と決めている人に会ったことなどいろいろあるが、上記の3つの話は何故か私の心に深く残っているものである。
ちなみに、私の高校時代の夢は「シャワーのある家に住むこと」だった。
私の夢はかなった。

この頃の驚き 3選

2021.5.19(水) 徒然 56

その1 【カップヌードルの値段】
先日、朝食キャンプに行ったとき、コンビニでカップヌードルの値段を見たら184円だった。なかなかの高級品だ。
直ぐ近くにカップヌードル:カレーがあり、同じく184円だった。「えっ!」と驚いた。
私が若い頃、「カレー」を初めて食べた時に「こんなうまいものが120円だなんて信じられない。生きてて良かった!」とさえ思ったぐらいである。
当然値段も普通の物よりは30円ぐらいは高かったのではないか。それは当たり前と思ってきた。
それが今や「カレー」と「普通」が同じ値段である。
これはいったいどうしたことだろう。
「カレー」が不人気で安くなったのか。
それとも「普通」の材料費が高騰しているのか。
どこかで原因を突き止めたい。

その2 【コンビニの車】
仕事帰りに街中のコンビニに用事があって寄った。
駐車場はほぼ満車だった。
店内はさぞや混んでいるだろうと思って入ると、中はガラガラだった。
「お客さんはどこだ?」
店を出て車をよく見てみると、みんな車に乗っているのだった。
これもコロナ禍による新しい生活様式か?

その3 【車から滑落?】
ある山友さんが「車から滑落して足を骨折」したそうだ。

車が大型のトヨタ:ラン○ルで、グランドフォールまでの滑落距離が相当あったようだ。
ラン○ルと云えば、ロードスターの天敵としても有名だ。
ちなみに、ロードスターは降りる時に手が滑ると写真のようになる。

下手すると腕が折れる。
とにかく、ラン○ルはロードスターにとっても運転手にとっても危険な車であることが証明されたわけだ。
※山友さんの早期回復をお祈りいたします。

伯耆大山には登っていなかった?!

2021.4.26(月) 徒然 55

3月末に「国東半島一泊の旅」を行った。
4月になって「次のロドキャンは何処にしようかな」と考えた。
最初に思いついたのは、日本人なら一度は行くべきと言われる呉市の「大和ミュージアム」である。
そして、次の日にはあまり行ったことがない山陰地方か?
しかし、伯耆大山は若い時に一回登ったからなあ。

・・・・・・・・・あれ、大山は登ったよな。
確か、キャンプ場に彼女を残して・・・・・・。
いや、えっ、ありゃ、登ってなかったっけ?
そう言えば、写真がないよな・・・。
う~ん、なんという記憶の曖昧さ。
でも、確かにキャンプ場には行ったぞ。
前の晩は山道で濃霧に襲われ、車の燃料計がエンプティを示してえらく焦ったじゃないか。
鳥取砂丘では偶然にもバイクで来ていた義兄に遇ったぞ。
島根ワイナリーにも寄ったじゃないか。
あれ、大山はどうだったっけ?

色々な記憶が断片的に残っていて、それでいて何故かいつもは絶対撮って残す「写真」がない。
そうだ、今思い出したが、学生時代に使っていた「オリンパスOM10」が壊れて次の「CANONイオス」を買う前だったのだ。
改めて山の記録一覧表(私はこれまで登った山の記録はすべて書き残している)を開けてみると、大山に登った記録がない。
え~、大山には登っていなかったんだ。
山の仲間が「元谷小屋がどうの、別山尾根がなんたら・・」という話をしたり、テレビで大山登山の番組を観たりしたからだろう。
すっかり「大山には登った」と思い込んでいた。

では、「ロドキャン2日目は、伯耆大山に登ろう!」
と、思ったがこの頃の新型コロナ変異株の勢いは止まらない。
関西には緊急事態宣言が出され、鳥取県でも感染者が出ている。
ここで山陰地方に遠出をするのは如何にソロドライブがメインとは言え、相当ヒンシュクものだ。
やっぱり県内の八方ヶ岳ぐらいしかないかな・・・。


4月25日、八方ヶ岳で見かけた「キンモンガ」
6~8月によく見られるとネット図鑑には書いてあった。
幼虫は「リョウブ」の葉を食べるという。
リョウブは、ハサミ岩の「飯田丸  5.10b」の取り付きに生えていた木肌が美しい高木であることを偶然この日に知った。

 

雨の日の独り言

2021.4.4(日) 徒然 54

この頃驚いた「長いもの 3選」

①ウンモンスズメガの交尾

庭のハナミズキで見つけた。
上が腹部の大きいメス、下がオス。
朝の8時ごろ見つけたが、一晩中交尾をしていたようだ。
夕方見たらまだ一緒にいた。
「長すぎだろう!!」

②朝のウンコ
【写真はない】
便器の中に「大きなウナギ」がいるように見える。
何回見ても感動する。

③話の長い女性
「女性の話は長い」というと、森喜朗元会長と同じになってしまう。話の長い女性もいるということだ。
年度替わりで引き継ぎの季節だが、引き継いでから話せば良いようなことを引き継ぎ者を決める会議で昨年度のことを事細かに話す人がいる。「決まる前に言っておかないと・・・」という考えは、何か前任者としての言い訳に聞こえるばかりだ。

【エビネラン】

筋トレについて

昨日のブログ題は「好きな言葉は筋肉痛」だった。
何かいつも私は筋肉痛になりそうなことばかりやっているように勘違いされたかもしれない。
反対に近年はなかなか筋肉痛にならないので、時々なると嬉しいぐらいのことだ。
若い時のように筋肉痛にならないのは、齢をとると筋繊維を損傷させるまで運動で追い込めないかららしい。
さすがに昨日はクライミングや作業の内容が豊富で「追い込み」ができたから三角筋や広背筋まで疲労した。

今日読んだ「ざんねんな筋トレ図鑑 小島央」によれば、こんな運動はケガのリスクが高まるだけで、筋肉のパワーアップにはならないようだ。
確かに、最後のボルト打ちでは足を滑らせて態勢を崩し小さな擦過傷を負った。かなり疲れていたに違いない。
この本の要点は、次の3つだ。
①筋トレの原則は高強度での運動習慣で、筋肉に「適応」を起こさせること。(超回復理論ではない)
②筋トレは週一回、各種目30秒程度でいい。
③筋トレは、老化に唯一抵抗できる。

【昨年植えたコデマリ】

老化防止(認知症対策)の為に月2400円のクライミングジムに入っていたが、歯のメンテが毎月3600円かかるようになってジムは止めた。
週に1~2回は外岩に行くので筋トレ(老化防止)は十分か。
重いリュックを背負っての山歩きは有酸素運動、クライミングは無酸素運動でちょうどいい。

悠々たる哉天壌、遼々たる哉古今・・・・

2021.2.19(金) 徒然 53

図書館で借りた「文豪のぼやき 山口謠司」の中で、久しぶりに旧制一高の学生、藤村操の遺書と再会した。

「悠々たる哉天壌、遼々たる哉古今
五尺の小躯を以てこの大をはからむとす
ホレーショの哲学、ついに何らのオーソリティーに価するものぞ
万有の真理は唯一言にして尽くす、曰く「不可解」
我この恨みを抱いて煩悶、終に死を決するに至る
既に巌頭に立つに及んで、胸中何等の不安あるなし
初めて知る、大なる悲観は大なる楽観に一致するを」

華厳の滝の近くのミズナラの木肌に残されていた「巌頭之感」である。
40数年前、当時19歳の私は、何の意味も考えぬまま受験勉強を怠惰に続けていた。それが誰に勧められた訳でもなく、自分で選んだ道ではあったが、まったくお先真っ暗な状態で何も考えないようでいてかなりのプレッシャーを感じていたようだ。
午前10時ごろになると決まって胃の辺りがしくしくと痛んだ。
「胃酸過多」と自分で判断して胃薬を飲んでいた。

そんなある日、私は人前で舞台に立つことがあった。
その時「何か面白い登場の仕方をやってみたら」ということで、唯一諳んじることができた上記の「巌頭之感」を声高らかに吟じながら登場した。
私は子どもの頃からの「緊張しい」で、この登場の仕方は極度のストレスを伴ったらしい。
その舞台の内容はすっかり忘れたが、出番が終わってからのステージ袖で私は腹の激痛に見舞われ、しばらく倒れたまま身動きができなかった。

その後の記憶はないが、いつのまにか胃が痛むことはなくなっていた。
後年、時々は人前に出ることがあってもちょっとトイレが近くなるくらいで胃が痛くなることはなくなった。
「おい、これ以上考え込んだり緊張したりすると胃が痛くなるぞ!」という防御信号がどこからか出て、頭が深く考え込まなくなったようなのである。
世の中には恋・仕事・家族・生活で悩み傷つき、メンタルを病む人は多いようだが私にはあまりそんな気配がない。
仕事仲間からは「どんなことがあっても動じない人」と目されることもあるくらいだ。
しかし実は身体が極度の緊張を嫌って、あまり深く考えない頭の構造にしたらしいのだ。
小学生の頃、リコーダーのテストで指先が震えていたり、場違いな児童会の立候補演説で頭が真っ白になり体育館のステージの上でがたがた震えていた私が懐かしいこともある。

40歳の頃、胃検診で胃カメラをのんだら「十二指腸潰瘍のひどい痕跡」が見つかった。


【本文とは無関係な写真】

今週の買い物

2021.2.2(火) 徒然 52

日頃から質素倹約を旨とする私であるが、この一週間はよくお金を使った。

その1
ボルトとハンガーである。

ボルトはヒルティ社のステンレス・M10である。
熊本市内のヒルティ専門店まで買いに行った。
ハンガーはぺツル社のCoeur・ステンレス・10mmである。
海外通販で今日届いた。
終了点用のメタル類は菊陽町のハンズマンで買う。

機能美あふれるボルトセットを手に取ると、その冷たさと心地よい重さにむらむらとやる気が沸き起こる。

その2
昨年買った「地域振興券」が5枚も余って、使用期限を迎えたので町内のコンビニで使うことにした。
しかし、コンビニで5000円分も雑貨を買うのは難しかった。
そこで本棚に目を付けた。

水木しげるの「戦争と日本」、そして地理の本と歴史の本で3冊買った。
水木しげるは、赤道直下のニューブリテン島で敗走し爆撃で左腕をなくしてマラリヤにもかかったが九死に一生を得ている。
戦後28年目に残留日本兵の横井庄一さんが見つかった時、私は中学生だった。あの驚きは忘れられない。

その3
職場の近くに有名なコーヒー豆の専門店があると聞き、今日の帰りに寄ってみた。
狭い店内で先客の女性と店主が大声でコーヒー談義をしていた。
この頃はみんなマスクをして、こそこそ話が普通なのに全くの異空間だった。
ここでは淹れ立てのコーヒーを試飲させていただける。
出てきたものはさすがに我が家のコーヒーとは香りが違う。
しかし、私が感心したのはカップの上等さである。
さらにびっくりしたのはもう一杯別の豆のコーヒーが出てきたことだ。どんなにうまいコーヒーも夕食前に2杯は飲めない。

100グラムで720円とプチ贅沢。

今日の驚き 4選

2021.1.21(木) 徒然 51

その1
朝の通勤時、キツネの交通事故死体を見つけた。
場所は時速70kmほどは出せる畑道。
キツネは久しぶりだったので、車を停めてスマホで写真を撮った。
【閲覧注意】

この時、「ピーッ、ピーッ」と、スマホから何か音がしたような気がした。
しかし、耳を澄ませると音はキツネの体の方からから聞こえてくるのだった。
どうも何らかの発信機が体に取り付けられているようだ。
というわけで、驚きその1は「発信機を付けたキツネ」だ。

その2
時々(月に一度ぐらい)、職場の個室トイレを使う。
今日、用を済ませて温水便座の「おしり」スイッチを押した。
しばらくすると、めちゃ勢い良く温水が局部に当たった。
レベルは「最強」であった。凄いの一言。
我が家の温水便座のパフォーマンスを最大限引き出せていない自分がなんか弱く感じる。
というわけで、驚きその2は「温水便座を最強で使う人の存在」である。

その3
夕方、近くの歯科医に歯のメンテナンスに行った。
駐車場の隣の車の中で若い男性が歯を磨いていた。
歯医者に行く前に歯を磨くのは最低限のマナーであるが、
車の中で磨くだろうか。
磨いた後の「唾液」はどうするのか?
首をかしげたまま待合室にいたら、くだんの若者が入ってきた。
大きなマスクをしているので頬の様子は分からない。
受付を済ませると洗面台のあるトイレにすぐ入って行った。
そして62秒後に出てきた。
というわけで、驚きその3は「車の中で歯磨きする男」だ。

その4
昨年、私は虫歯の治療や親知らずの抜歯を終えて、口腔内に全く不具合がない。
それなのに、単なるメンテと歯ブラシ1本で3,890円の請求だった。前回も高かった。
顔色一つ変えず、一万円札を出してお釣りを受け取る自分が相当見栄を張っているように感じた。
親知らず抜歯の前は3ヶ月に1回のメンテだったが、治療後は1ヶ月に1回となった。
おかげで、私は月2,400円のボルダリング・ジムの会員を辞めた。
というわけで、驚きその4は「歯のメンテでジムを辞めた男の存在」である。

凍てつく日

2021.1.9(土) 徒然 50

今年最強の寒波か。
降雪注意報が出て3連休だというのに諦めの境地になる。
今朝は道路まで白くなって車は乗りたくない。
37年前熊本にも大雪が降り、運転していた車が土手に向かって滑りだし、なんとかハンドルを切ったら側溝にタイヤが落ちて止まったことがある。
また同じころ、阿蘇仙酔峡からの雪の下り道で乗っていた軽ワゴン車がスリップして谷に向かって滑ったことがある。「もうダメか!」と思ったが谷の手前の小さな土手にぶつかり、車が横転して助かったことがある。

年賀状は歩いて出しに行った。


【途中にあった用水路の水門】

年末年始はTVアンテナが壊れてTV番組を観ることができなかったが、今日アンテナの交換工事が行われた。
6日の未明に市内で牛舎火災(夜中で気付かなかった)があって、乳牛15頭が被害に遭った新聞記事を見たが、アンテナ工事を頼んだ電気屋さんは偶然にもその牛舎の息子さんだった。

午後は歩いて図書館へ行った。
10冊近い本をミレーの赤いザックに入れて歩いたので、山に行っているようだった。
前回借りたある本の中に「図書館は税金で建てて運営しているのに、使っているのはほんの一部の人だけだ。税金の無駄遣いだ」という一文があった。
私はその一部の人だ。
10数年後、新型コロナ禍も収束し健康のためにと歩いて図書館に来た後期高齢者で、立って新聞や本を読んでいるのは私だろう。


【熊本市内で見つけた、首の長い狛犬】
本文とは何も関係ありません。