「ロードスター」カテゴリーアーカイブ

白内障術後のドライブ

2024.10.26(土) ロードスター91  体 18

朝から小鳥の声がしていたので窓から見たら「ジョウビタキ」だった。

眼科から処方された点眼薬が4種類。
テーブルの上に置いていた「ロードスター漢字湯飲み」が薬の入れ物になった。
10月23日の「白内障手術」から3日目、今日はもうほとんど違和感がなくなった。

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ところで、白内障とは何か。
お若い方にはまだあまり縁がないと思われるが、加齢とともにほとんどの人は避けて通れないもので、水晶体が白濁する視覚障害である。
老眼と症状は似て視力が落ちて車の運転が危なくなり、放っておくと失明の危険もあるとか。
手術は濁った水晶体を超音波吸入術で吸い出し、人工レンズを挿入するもので、眼科医としてはとてもポピュラーな手術なのでどこででもできる。

手術自体は部分麻酔が効いて痛くはないが、目は開いているのでその圧や音、光などのプレッシャーは半端なく、普段汗をあまりかかない私が相当脂汗をかいた。時間は実質30分ぐらいか。

私は軽い症状のうちに手術をしたのでそれほど視力が良くなった感じはしないが明るさは増した。
ひどい症状の方は術後人生が変わるぐらいの効果があるそうだ。

今日ネットで調べていたら白内障の手術(水晶体再建術)を行うと、老眼になりにくいそうである。
また、視覚情報が明確になり脳の認知機能が活性化して認知症のリスクが低減されるとか。

これが5万円弱(保険適用)なのでやって良かったと思う。
(希望者は多く、私は4カ月待ちだった)

ところで、「体の若作り」にはけっこう自信を持つ私が「老人性白内障」なのだろうか?

ムベの実

実は私としては「外傷性白内障」だと思っている。

それは、2022年5月25日、日向神:五色岩での開拓中に買って間もないパス(ぺツルのコネクト)の末端が左目を直撃したのである。( 当時の視力はけっこう良くてメガネはしていなかった)
その日を境に左目の視力は急に落ちて行ったのである。

教訓としては、パスの末端はぶらぶらしない工夫をすること、
開拓等では保護用の眼鏡をすること、などを得た。

Roadster jamboree 2024

2024.10.13(日) ロードスター 90

2024ロードスター・ジャンボリーが「大分スポーツ公園A駐車場」で開催された。
6:00 好天に恵まれ自宅からオープンで行く。

大津:二重の峠トンネルからロードスターが4台連なって走った。
朝の波野は気温10度。この国道57号は朝まぶしく、夕方もまぶしい。
竹田を通り会場まで約120km、2時間30分ノンストップで到着。

ロードスターだけが500台も集まると壮観だ。
どんなに似ていてもみんなどこか違うから見飽きることがない。
私と同じ「103」ナンバーの車が他に2台もあった。

エンジンルームに手を加えている車はボンネットを開けている。

ロードスター4代目のND開発主査だった山本修弘さんと記念撮影。
著書「マツダNDロードスター 開発責任者の記録」には「緒方一成さんへ 『守るために変えていく』山本修弘 2024.10.13」とサインが入っている。

用事が合って一足先に帰った白いロードスターに乗っているタケシさんの名前が抽選会で呼ばれたので代わりに賞品を受け取っておいた。
ロードスター・ブロス謹製の湯吞みである。
走にょうに常開と書いて「おーぷんかー」
走にょうに守体と書いて「ろーるばー」
走にょうに玩具と書いて「かすたむ」
走にょうに良悪と書いて「ちゅーにんぐ」
走にょうに自己愛と書いて「ろどのり」 などなど。

これは片方、くれるだろう!

日帰り235km、平均燃費19.8km/ℓは立派。

【追記】
駐車場で隣同士になったのは長崎のHassyさんで、本革の小物をいただいた。

これはトランクの上に装着するもの。
トランクを閉めるときにこのタグを引く。
おしゃれ!
(M6のボルトを小屋から探すのが大変だった)

【追記2】
10月15日、YouTubeで入場ゲートの固定カメラによる動画が配信された。3分43秒あたりにロド103号が映っていた。

太刀洗、探訪

2024.9.22(祝) ロードスター 89

竜岩でのクライミング後、福岡ラーメンを食べようと近くの「うちだ屋」に行ったら人気店らしく車を停める余地もない。
そこで筑前町まで足を伸ばし、さとちゃんお勧めの「和食:なかにし」へ寄った。

昼からご馳走の「かんぱち丼定食」を注文した。かんぱちの目玉を食べると頭が良くなると云われている。

雨も上がってオープンにした。
ここでお世話になったさとちゃんと別れて、私は左ウインカーを出して一路熊本へ。

しばらく走ると「太刀洗交差点」に来た。
ここが太刀洗(たちあらい)か。
そうなるといそぐ旅ではないし、ちょっと寄らなければならない所がある。

「無課金おじさんと菊池武光公銅像」
南北朝時代の1359年8月、菊池武光の軍がこの川で刀を洗うと歯は鋸のようになっていて川面は赤く染まったという。菊池一族が一番強かった頃であろう。太刀洗町には「菊池小学校」もある。

銅像の台座には無数の機銃痕が残っている。
昭和20年3月の太刀洗飛行場爆撃の跡である。
次に、「太刀洗平和祈念館」を訪れた。

記念館の入り口が近づいてくるだけで目がうるうるし始めるのはどうも仕方がない。

これは「震電」、館内では飛行機だけは撮影が可能だ。

この飛行機は「エンテ翼型」という変わった局地戦闘機だ。
本土上空に飛来するB29爆撃機などを高高度から一撃離脱で攻撃するための戦闘機だが、実戦配備の前に終戦を迎えた幻の戦闘機でもある。
西日本最大の航空拠点・太刀洗飛行場で教育を受けた18歳、19歳の若者が熊本・菊池の花房飛行場、鹿児島の知覧飛行場へと送られていった。
パリ五輪で活躍した早田ひな選手には、「知覧もいいけど太刀洗もいいぞ」と教えてあげたい。
また、戦争ものの漫画をよく描いている松本零士の父親はこの太刀洗飛行場で教官を務めていたということを今回初めて知った。

自分へのお土産に「震電のカンバッチ」を買った。エンテ翼型は水平翼が前にあって、プロペラが後ろにある。

ロードスターの補修

2024.9.16(祝) ロードスター 88

シルバーウイーク3日目、今日は山に行っておりません。

9月9日午後4時ごろ、市内での学生映画祭に参加するため普段より1時間早めに職場の駐車場を出た。すると、出口近くの狭い通路の手前によそ様の車が相当頭を出して停まっていた。職員ならば絶対車を停めない場所だ。
少し急いでいた私はぎりぎり行けるだろうと思い柱とその車の間にロードスターの頭を突っ込んだ。しかし途中で無理だと判断してバックさせたら左前を「ざりっ!」と柱にこすった。
その後放送で持ち主を呼び出し車をどかしてもらった。
う~ん。

「車両保険を使ってバンパーを交換すべき」とか言う人もいたが、一応自分で磨いて直すことにした。

水洗いをしたら柱の塗装が取れて少しキズが薄く見えた。

3回ほどコンパウンドで磨いたらこんな感じ。
深い傷は残ったが、浅いものはほぼほぼ見えなくなった。

今回使った補修キット。
ガラコはついでに買ってきたもの。
(実はいままで使ったことがなかった)
今思えば自分で直せる程度のキズで済み、良かったと思う。
これからは更に落ち着いた運転をしていきたい。

庭にはコスモスが咲き始めた。

バーベナも元気。

近くを緑色のCaterpillarがせわしなく動いていた。
エビガラスズメの幼虫だろう。

夕食後にケーキ(モンブラン)が出た。
「敬老の日」だという。
飲み物はコーヒーだと眠れなくなるのでカフェオレ。

日向神:夏トレ

2024.9.14(土) 日向神 240

9月のシルバーウイーク1日目、今日も日向神となった。

この写真の撮影場所、どの位置から撮ったのかなどがすぐに分かった方は相当の「日向神通」だ。

バルコニーエリアの右側の枯れ木に大型の猛禽類がいた。

9月と言っても八女の気温は37度、日向神峡も暑い。
今年の夏はサンセット広場の「善秋くんのおかげですⅢ(5.11c)B14 25m 長友」に何回か夏トレと称してトライしてきた。
そろそろ夏トレの成果を出したいところだ。

①プリティウーマン(5.11a) R(リピート)

いつものアップだが、今日は危うかった。足が岩に乗れていない。腰に違和感があり踏ん張りがきかない。

② 善秋くんのおかげですⅢ(5.11c) R(リピート)

クイックドローを14本もぶら下げてリピートしたのは初めてかもしれない。(ビレイヤーは澤田さん、カメラは川津さん)
午前中でまだ日陰ではあったが体中から汗が噴き出し、チョークを補充してきたのが功を奏した。ぎりぎりの状態で登り切った。

Tr.トライのHどん。

③ トパーズの風(5.11a) R(リピート)

これはお買い得の5.11aルート。

④ 岩ひばハング・ダイレクト(5.11a) NG
私には苦手系か10年前にRPして以来、多分登れていない。

今日の目標は早々に片づけたので、午後はカメラマンや昼寝をした。

山紫水明(5.11a)を登るあおいさん。

帰り道の星原峠コースにはヒガンバナが咲き始めていた。

たぶん、カメムシの幼虫だろう。

アキアカネは今年初めて。

久しぶりの登場、乙姫女神象。

菊鹿町にある「十月桜」、ほぼ満開である。

桜の写真を撮っていたら東の空に虹が出ていた。

秋のドライブ

2024.9.7(土) ロードスター 86

夏休み明け、台風10号明けの9月第1週はちょっとした仕事も重なり長く感じた。
また、夜は井上尚弥のボクシング(火)、県体壁(水)、W杯サッカー予選VS中国(木)とあって、昼間の暑さと相まって疲労感が増した。
そこで今日は休養と草刈日にしたのだが、早くから目が覚めてしまった。では、久しぶりにドライブへ行こう。

4:30 起床  4:50 出発(気温26度、途中コンビニへ)
5:45 北外輪Ⓟ(気温20度)  5:55 日の出

まだまだ雲海が出るような季節ではない。
それでも車が20台ほど停まっていたのには驚いた。

ISO-100、F-6.3、1/400秒 (マニュアル・手持ち)
三脚は車に積んでおきたい。
早朝からミルクロードを時速100キロで走るバイクは多い。
みんなげんきだなあ。

清水谷に寄った。

ツリフネソウ

また山中の様子が変わったように感じる。
下草(クマザサ)が減り、明るくなっている。

パンみたいなキノコ

竜門ダムに寄って朝食。
ハイバック・チェアとアルミ小テーブルを買ったのでなんとなくリッチな気分。

クサギカメムシの幼虫
 

ダムのトイレで見つけたヒトリガの仲間か。
目立つ模様だが図鑑でも同定ならず。

白い花が咲く木があったので近寄って見たらヤマボウシだった。
9月になっても花(総苞片)が残っているのは珍しい。
ダム周辺にはところどころに珍しい木が植栽されている。

これは我が家のヤマボウシ。もう実が赤くなっている。

9:00~12:00 
3時間の草刈りで水を飲んでも0.7kgの体重減。

岩隈山の切通し

2024.8.31(土) ロードスター 85

台風で折れたザクロの木を撤去した。

やっぱり木の芯は空洞になっていた。

最後の実。今年はザクロが食べられないと思うとあの酸っぱさが口の中によみがえる。

台風10号は去ったがまだ岩場は濡れているだろうからドライブ と買い物に出かけた。
まずは「菊鹿町:岩隈山の切通し」へ。

台風による落ち葉や枝が生々しい。
見事な切通しである。

昼間でないとかなり暗そうだ。

八十八体もあったという地蔵群が見守ってくれる。

頭上の青空が狭い。

珍しく「キクロス(図書館)」に寄った。

俵万智もアボカドが好きなのだろう。

木陰で読書

2024.8.17(土) ロードスター84 山歩き42

下界の気温は36度、鞍岳東登山口は標高が約1000mで28度だった。風がそよぎ、エアコンの効いた部屋にいるのと同じだ。
持ってきた本は夏目漱石の「坊ちゃん」、デカ文字文庫で一気に読み終えた。まだ四国ドライブの余韻が残っている。

せっかく来たので山も歩いてみた。

「コバノボタンヅル」は1本だけ。
この頃はグーグルアプリをあてにしている。

イノシシの罠には無線機が付いている。扉が閉まったら連絡が行くのだろう。

「オオセンチコガネ」だろう。

「無動寺跡」まで下りてきた。駐車場からは約1kmのきれいな山道だった。登りではさすがに一汗かいた。

東登山口の辺りも歩いてみた。
「コオニユリ」がまだまだ元気。

白い「ギボウシ」は珍しいかも。

ご存知「吾亦紅」、これは漢字が似合う。
雷鳴が轟き、追われるように下界に下りると気温は依然33度だった。
午後の半日、素敵な時間だった。

2024 四国の旅(車編)

2024.7.30~8.2 ロードスター 83

今回で四国ドライブも3回目となった。
これまでに分かったこと、感じたことをまとめよう。

① 走るのは昼間が良い
「山に早朝から登る」などの明確な目標があるなら別だが、走るのはやっぱり明るいうちが良い。
佐田岬のメロディーラインなど最初の2回は夜中だったのでどこをどう走っているのか見当もつかなかった。
昼間に走って「こんないい所だったのか」と感動した。

② 道が狭いので走るのは平日が良い
国道は酷道、県道は険道と呼ばれる。狭い山道自体は面白いがそこに対向車が来たらどうなるかは想像に難くない。
ガソリンスタンドは少な目で、小さい所にはハイオクが置いていないことがある。

③ ロードスターは少ない
ドライブの楽しみの一つに、ロードスター同士の「ヤエー」と呼ばれる挨拶がある。今回、4日間で1回もロードスターと対向しなかった。道路工事のおじさんからは「オープンカーはいいね!」言われたが、かなり珍しいようだ。

④ 道後温泉駐車場は危ない
温泉の南側の丘の上に公営の大きな駐車場がある。このゲートの設備はワゴン車専用の設計になっており、運転席の低い車は非常に難儀する。
私は入口で駐車券を取るためにドアを開けて身を乗り出したら、ドアの下部がコンクリートの出っ張りに「ガッ!」と当たった。
出口ではドアを開けずに窓から身を乗り出して(箱乗り!)お釣りを取ろうとしたら100円玉が手から滑り落ちて車体の下に転がった。
約3時間ぐらいで800円もとられた。これは絶対近くの有料駐車場の方が安い。場内に足湯はあるが、本館で入っていまさら足湯なんか入らない。

⑤ 国道439号で事故寸前
剣山から四国の山中を西に抜ける439号を快適に走っていた。中央に黄色線がある下りで、車も少なく時速60kmぐらいで前を行く白い軽ワゴンについて何キロもずっと走っていた。
プレッシャーはかけていなかったが「どけてくれてもいいのになあ」と思っていた。
そんな時、右への急カーブから細目の橋になる手前で左側の道路わきのスペースに白い車が急に止まって道をゆずった。
「サンキュー」と思いながら右への急カーブを曲がろうとした時、橋の方から大型ダンプが「ゴーッ!」と走ってきた。
中央線を少しでもはみ出ていたら接触していただろう。
白い車は、細い橋の方からダンプがやってくるので橋の手前で待っておくのは当たり前のことだが、道をゆずって後ろの車を先に行かせる行為は危険極まりない。そんなつもりはなかったかもしれないがこれは危なかった。

⑥ 楽しい旅は無事故が一番
約970km走ってドアの下をちょっとこすったぐらいで済み、楽しい四国の旅になった。
自分自身の反省点としては、阿蘇の滝室坂下りなどでMT車の特性を生かして後続を引き離すようなまねは減らしていきたいと思う。
また、山を小走りで進んでフクラハギに筋肉痛をもたらし、そのまま同じ姿勢で車の運転を続けたために右ひざを少し痛めてしまった。これは初めての経験であるが十分に反省したい。

2024 四国の旅 4日目

2024.8.2(金) ロードスター82

石鎚山登山口の土小屋駐車場で朝を迎えた。
車中泊の車は平日ながらも7台。
今日は道後温泉に入って旅の汗を流し、フェリーで九州へ帰る予定。

グーグルマップに「松山市」を入力すると、石鎚山スカイラインを示さない。訝しく感じながらも進むと、なんとゲートが閉まっていた。
夜中の暴走族対策だろう、朝は7時にゲートが開くのでしばらく待った。後方の山は「子持ち権現山」か。

スカイラインを快適に下ると「面河渓」入り口がある。
昨年は夕闇に包まれる頃に訪れ、アブの集団攻撃にあった。
早朝はどうだろう?

静かに渓谷も朝を迎えていた。

後方は「亀腹」と呼ばれる絶壁で朝日が当たって輝いている。

土小屋~道後温泉は82km、約2時間のドライブ。
雨が降らなければオープンで走る。
しかしそれも気温29度まで、30度になるとクローズでエアコンを効かす。
山を下りるととにかく暑い、暑い。

道後温泉本館は7月11日に改修を終えて全館営業を再開した。
昨年は右側の入り口から入館して小さな浴槽だった。

観光客で賑わうアーケード街から本館入口を臨む。
入浴料は700円。
余裕があれば浴衣付きの休憩所を利用したい。
10時過ぎでちょうどお客が少ない時に入った。
係のおじさんが「客が少ないからロッカーを2つ使ってもいいよ」と優しいお言葉。
しかしその後に若い人たちがどっと入ってきた。
真新しい浴槽の壁には「坊ちゃん、泳ぐべからず」の古い板が打ってあった。
外も暑かったが温泉も42度と熱かった。

雨傘で日陰を作りながら「松山市立子規記念博物館」に入った。
(昨年は朝が早く、まだ開館していなかった)
松山と言えば正岡子規、夏目漱石の愚陀仏庵生活だ。

愚陀仏庵で俳句談義をする漱石と子規。そこへ子規のカバンを持って現れた私。(博物館のデジタルフォトサービスで、スマホにデータを送ってくれる)
「十年の汗を道後の温泉(ゆ)に洗へ」 子規

お昼は小さな店「坊ちゃん」に入った。
ランチ500円の店、席はほぼ満席だ。
カウンター内に円背で毛糸の帽子をかぶったおばあちゃん。
「日替わり定食、ひとつください」
「わかっとる!」

「ご飯、多いので減らしてください」
「ゆっくり食え!」
アジフライのソースを探していたら隣のお客さんが、
「今日はソースがないのでポン酢だそうです」と言ってビンを渡してくれた。
食べ終わったお客さんには、
「コーヒー飲むか!」と言って、アイスコーヒー用のペットボトルをそのまま渡している。
「おばあちゃん、幾つね?」と訊いたら、
「昭和18年!」と言う。
81歳か、見た目より老けている。
「熊本から来た」というと、「チップスターてりやきバーガー」の丸い箱をくれた。
「それは、いや・・・」と言うと、ジロッと睨まれまた怒られそうだったので有難くいただいた。

松山~三崎港(95km、約2時間)
午後の日差しがシフトレバーを持つ左腕に当たり暑かった。
午後4時30分のフェリーに乗船。
佐賀関港~自宅(135km 約3時間)
午後8時過ぎ、無事に自宅着。

3泊4日で、968.9km走った。
この暑い夏、高速道を一回も使わず四国の山道を走って平均燃費16.9km/ℓは立派。