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ピストルの分解掃除

2018.5.27 運動会

この日の私は違っていた。
球技はからっきしダメな私がドッジボールをやっているのだ。
相手の投げたボールを「バシッ!」と捕ると、すかさず右に走って剛速球を投げようとした。
次の瞬間、「ドン」という腰骨への衝撃に見舞われた。
高さ45cmのベッドから見事に落ちて目が覚めた。
午前4時。
痛みに耐え、しばらくベッドにもどって横になっていたが、もう眠れないので起きてしまった。

昨日は運動会だった。
小中高と学生時代の「50m走のタイム」がクラスで下から2番目に遅かった私は子どもの頃の運動会の思い出がほとんどない。
ところが大人になって走るのが速くなった。
というか、大人になって「走り方」がやっと少し解ってきた。
昨日の運動会では最後のリレーで走った。
走り終わると「そんなに速いと、走っていて気持ちがいいでしょうね」と、同僚の女性から言われた。
そう、気持ちがいい。
年に1回、運動会だけがヒーローになる子どもの気持ちがわかる。
私は70歳になったらマスターズ陸上に登録してトラックレースに挑戦しようと思っている。陸上競技は遅く始めると長く続けられそうだ。それまで、走れる素地だけは作っておきたい。

運動会の話にもどると、帰宅すると体重が随分減っていた。
軽い頭痛は水分不足だろう。
けっこう疲れていたので打ち上げには参加しなかった。
やはり総合的な体力は年相応に落ちている。
また、疲れるとベッドの上で夢をみながらじたばたすることも分かって来た。今後はベッドから転倒して骨折しないように注意しなければならない。

私の好きなことの一つが運動会後の「ピストルの分解掃除」だ。
こんなことは若い人に任せればいいのに、好きだからやってしまう。

 

100イレブンの記録

2018.5.5   100イレブン達成までの記録

1 これまで
私は高校時代から地元の山を一人で歩き始め、大学時代はワンダーフォーゲル部に入って南北アルプスなどを縦走した。
社会人山岳会は「熊本クレッテル・カメラード」に所属し、「阿蘇・大観峰の岩場」などを開拓した。
30歳を過ぎてクライミングからランニングに転向した。
47歳の時、ランニング中に膝を痛めてまったく走れなくなった。
50歳の頃から山歩きができるようになった。
53歳になり、トレランをするために「あそ望山岳会」に入会。クライミングの最高グレードは5.10b。
54歳。クライミングが面白くなり、県体壁やボルダー天国で練習した。そして10月、日向神:サンセット「エルニーニョ 5.11a」で初の5.11をRPした。

2 5.11の年齢別記録
2012年(54歳)・・  2本 (日向神:エルニーニョ、春の嵐)
2013年(55歳)・・18本(野岳:フリーフラワー、日向神:花鳥風月など)
2014年(56歳)・・13本(日向神:そこガバ、万江川:風の歌を聞け など)
2015年(57歳)・・14本(日向神:パンプダンス、次郎 など)
2016年(58歳)・・23本(本匠:ロコモシンドローム、野岳:アンタレス など)
2017年(59歳)・・23本(八面山:ウキウキ通り、備中:ハニワの涙 など)
2018年(60歳)・・  7本(日向神:空へ、備中:半日仕事 など)
※実質、5年7ヶ月間での達成
3 エリア別の記録
① 日向神   46本
② 本匠    17本
③ 野岳    14本
④ 八面山    8本
⑤ 備中        5本
⑥ 岩野山    4本
⑦ 千仏ロック  3本
⑧ 万江川    2本
⑨ 龍頭泉    1本      合計100本

4 グレード別の記録
① 5.11a    55本
② 5.11b       31本
③ 5.11c     10本
④ 5.11d    2本
⑤ 5.12a         2本       合計100本

5 全記録
①2012年10月~2014年11月

② 2014年11月~2016年9月

③ 2016年10月~2018年4月

④ 2018年5月~

雨の週末

2018.4.14 雑感

今日は久しぶりにまとまった雨が降り山に行けない。
カレンダーの記録を見ると2月から4月まで8週連続(9回)で週末は日向神クライミングだった。こんなことは初めてだ。
その要因としては、1月から2月初旬にかけての酷いインフルエンザ罹患の反動だろう。4月になりすでに1年の3分の1を過ぎたので少し記録をまとめてみた。

①2月17日(土)道端エリア
「シンシア(5.11a)」R、キーボウさん
②2月18日(日)バルコニーエリア
「スプリングスカイ(5.11a)」R、清川さん
③2月24日(土)バルコニーエリア
「空へ(5.11)」RP、フジミさん
④3月  3日(土)日向神タワー・道端エリア
「彩雲(5.11a)」MOS、フジミさん
⑤3月11日(日)道端・トンネルエリア
「ダム湖フェイス(5.11a)」MOS、フジミさん
「人生を語らず(5.11b)」RP、フジミさん
⑥3月17日(土)愛のエリア
「そこにガバがあるから(5.11a)」NG、古賀さん
⑦3月24日(土)愛のエリア
「そこにガバがあるから(5.11a)」NG、フジミさん
⑧4月  1日(日)愛のエリア・正面壁下部
「そこにガバがあるから(5.11a)」NG、フジミさん
⑨4月  8日(日)愛のエリア
「そこにガバがあるから(5.11a)」R、キーボウさん
道端エリア
「ウェルカム・ベイビー(5.11)」R、白ちゃん
「メトドス(5.11a)」MOS、井くん
※4月中旬で新しい5.11のルート5本ゲットは上出来だと思う。
自宅から日向神は約50km、1時間強のドライブだ。
クライマーの中では私が一番日向神に近いのではないか。

庭先に今年も「カラスビシャク」が顔を出した。2012年に1本だけ顔を出し、毎年倍々で増えてきた。非常にあぶない棘を持つ「メリケントキンソウ」、見た目だけはかわいいが爆発的に増える「タンポポ」など色々な植物にうちの庭は侵されている。
2回山へ行ったら、1回は草刈りをしよう。

 

図書館のトイレの鍵

2018.4.13 西合志図書館

久しぶりに図書館へ行った。初めてここの「多目的トイレ」に入るとすぐに違和感を覚えた。トイレの鍵が随分と高いところにあるのだ。私の眼の高さぐらいだから床から160cmぐらいか。
普通、多目的トイレは車椅子利用者のことを考えて低い位置に鍵が付いているはずなのに・・・。
なぜ高い位置にだけ鍵があるのかを考えてみた。
①ドアに大きく長い取っ手を付けたので、鍵を低いところに付けられなかった。
②設計者に車椅子利用者のことは全く念頭になかった。
③元々は倉庫だった場所を多目的トイレに中だけ改装した。
④上下2ヶ所付ける予定だったが、下を付け忘れた。
⑤小さい子どもや車椅子の方が中で事故を起こしても鍵がかかっていないので助けやすいため。
⑥ドアだけ間違って倉庫用を注文してしまった。

退職の祝い

2018.3.31 退職の祝い

家族が集まって還暦・退職のお祝いを開いてくれた。
会場はユウベルホテルの「菊泉」
走ったり登ったりばかりの60年の間に、いつの間にか6人の子宝に恵まれていた。

今日3月31日が正式に私の退職の日。
そして昭和2年生まれの父の91歳の誕生日。
二人分のケーキも用意されていた。

横断幕は三女が書いてくれた。
練習しなくても上手に書けるのはすばらしい。
育ち盛りの中学生なので顔がパンパンになっている。

次女が家族の60年間のアルバムや友だちからのビデオメッセージをタブレットで作ったがプロジェクターでは映せなかったので、なんとユーチューブにアップしてスマホ画面で見せてくれた。時代の変化を感じない訳にはいかない。
今回は次女が中心になっていろいろと準備をしてくれた。有難いことである。

一応退職はしたけれど、4月2日からまたこれまでと同じように働くことができる。
これも有難いことである。

定年退職の日を迎えて

2018.3.30 退職者辞令交付式

午前中は洗濯、布団干し、掃除など普段あまりしないことをした。
午後2時から菊池市で行われた退職者辞令交付式に参加。
少し早く着いたので、近くの菊池神社参道で高校時代の同級生U君としばしの花見。

40歳ぐらいの時、U君は「ぼくは細く長く生きる」と私に言った。「おまえ、何を言っているんだ!」と心の中で私は思った。
しかし、定年退職の今日の日を迎えてみると私も「細く長く」生きてきた。
彼の方に先見の目があったようだ。
もし無理して背伸びをしていたら、今日の日を迎えることは出来なかったかもしれない。少なくとも、山なんかとても行ってはおられなかっただろう。

さて、4月からどう過ごすか。
Mさんみたいに海外のマラソン大会に参加するか。Nさんみたいに山歩き三昧の暮らしをするか。
あまり考えることもなく、私には「再任用」の道以外はなかった。
幸いなことに4月からも今勤めている職場に再任用された。仕事内容もほぼ同じなので私はついているようだ。もうしばらく「細く長く」生きる。

60歳を超えてもまだ働きたいという意欲があるのは、やはり健康的な体を維持しているからだろう。
55歳の頃にフィジカル面での目標を3つ立てた。
①60歳になってもフルマラソンで4時間を切る。
②60歳になってもクライミングで5.11aのルートを登る。
③60歳になっても鉄棒で「蹴上がり」ができる。

①に関しては現在できない。やればできると思うが、やる気が起きない。フルマラソンを4時間で走りきるにはそれ相応の練習が必要だ。
若いころは「少ない練習量で最大の効果をあげる」のが自慢だったがもう練習していない。「長距離走は体に悪い」と自分自身に言い聞かせていて、悔いはない。
②に関しては十分達成である。むしろ目標が低かった。今年はできれば5.12aを2本登りたい。
③に関してはできている。

そろそろ、65歳になったときの目標を定めようと思う。

 

親から子への襷渡し 

2018.2.11 泗水町内一周駅伝大会

第44回泗水町内一周駅伝に参加。
1区はいつものように私だが、今年はなんと2区を長男(29歳)が走った。
ついに親子での襷リレーが実現して大変うれしい。

概ね長男というのは父親からみるといつまでも頼りない存在だ。
例えば先日、近所の通夜に微熱の父(90歳)の代わりに私が参列することになった。すると父が長男の私(60歳)に「数珠は持っとるか? 車は軽トラば使え。」などといらぬ心配をしてくる始末だ。

私の長男も全く頼りない存在ではあるが、彼の場合は少し事情が違う。
彼は「重い先天性の心臓病」を持って生まれたのだ。
赤ちゃんの時は「はいはい」もできず、2歳のころはいつもチアノーゼで顔は紫色をしていた。
当時は熊本で小児心臓病の手術ができず、3歳の時に久留米医大病院で1回目の手術を受けた。手術の翌日、ピンク色の顔や唇を見たときの感動は忘れられない。
小学校では運動全面禁止だった。勉強もできなかったが生きているだけで親としては良かった。その後も2回の手術があった。
だから中学校で卓球部に入ったときは驚いた。運動はできるのか?
卓球の試合で勝ったのは見たことがない。それでも3年生のときは主将を務めた。
心配された高校進学は自分で地元の公立高校を選んだ。
高校時代は一人でこそこそと勉強したみたいで、3年生の秋には県立大学の推薦合格を決めて周りを驚かせた。
大学の4年間はぱーっと弾けて青春を謳歌して欲しかったが、自宅通の上にコンビニでバイトばかりしていたので親はお金がかからなかった。
卒業後は地元の団体職員になり、地域の消防団員にもなって地域貢献している。

彼は「生きているだけで良し!」と小さいときから思われているので、何か当たり前のことをやっても「へー、意外とやるもんだ」と高評価を得ることができる。
今回も「え、お前が駅伝に出ると!?」と、周りを驚かせた。

そして今日は本番。2区で私から襷を受けると元気に走って行った。

車で先回りして3区中継所で待っていると、いつまでたっても現れない。
「ひょっとすると、途中で倒れているかも・・・」と心配になり、車で迎えに行くと断トツビリで回収車の前を歩くように走っていた。
それでも「あ~、倒れていなくて良かった。なんとか走っているよ~。」と周りをほっとさせた。

ゴール地点の孔子公園で記念写真を撮った。
来年は「最下位からの脱出!」がチームの目標だ。

還暦記念クライミング

2018.1.3  日向神クライミング

本日、私は60歳の誕生日を迎えた。
「おめでとうございます」と言われてもぴんとこないが、
生きてさえいれば誰でもくる還暦でも、元気に迎えることができたことは素直にうれしい。
今日は還暦ということで、赤いTシャツ(熊本城マラソン記念)で登った。

快晴の日向神でも日陰の気温は4度、こんなときは南面で暖かいバルコニーエリアに限る。
同行はあそ望山岳会の会長キーボウさん。
①大蛇山(5.10c) リピート
②テラノ(5.10c) リピート
③14番目の月(5.12a) 敗退
④テラノ(5.10c) クイックドローの回収

「宝くじは買わないと当たらない。5.12はトライしないと登れない。」
ということでダメ元でもトライすると、6ピン目で数え切れないほど落ちた。
9.8mmのロープが8mmぐらいに伸びて細くなった。

指が耐えられなくなって降りてきたら昼飯抜きで午後2時になっていた。
足首を痛めて今日は登らないというキーボウさんに長くビレイをしていただき悪かったが、私にとってはついていたかも。
まあ、「キーボウさんからの誕生日プレゼント」だと自分勝手に思ったりする。
「14番目の月」は完全敗退だったが、5.12にトライしようとする気力・体力が還暦を迎えた日にもあることを確認できた。

家に帰ると「山の形をしたバースデー・ケーキ」が用意してあった。

我が家の宝は「すぴのざうるすは おさかなをたべるんだよ!」と私に恐竜のことを教えてくれる2歳の孫ではなく、横に座る父。
昭和2年生まれの90歳。
宮沢賢治の詩「雨ニモマケズ」の一節、「欲ハナク 決シテイカラズ イツモシズカニワラッテイル・・・・」を地で行く人だ。
30年後、「コウイウヒトニ ワタシハナリタイ」

 

2018 旭志元旦マラソン大会

2018.1.1 第46回旭志元旦マラソン大会

新年明けましておめでとうございます

テレビでは富士山から昇る初日の出を生中継していたが、残念ながら泗水の空は曇っていた。外気温は0度ぐらい、穏やかな元日の朝であった。
ニューイヤー駅伝で旭化成の茂木が先頭を引っ張るのを確認しながら家を出た。
9:30 受付。参加費は200円。今年は駐車場に苦労するぐらい参加者が多い。
10:30 7kmの部スタート。
ウェアは下がロングタイツに短パン、Tシャツ、手袋。風がなくちょうど良かった。
中間部の峠までは往年の名ランナーNさんの後ろに付けていたが下りになったら離された。最後は女性のトップを引っ張る形になった。
記録は29分32秒、54位だった。
昨年が29分31秒、28位だから参加者のレベルが大きく上がった。
昨年の月間走行距離の平均がわずか37kmとまた減って、休日は岩ばかり登っているのにタイムがあまり変わらないのは本当にうれしい。
中学校時代の同級生、岩ちゃんには3分ほど遅れをとったが、あと5年もすれば追いつけると思う。ランニングは習慣だ。

車にもどると、旭化成の4区大六野選手が設楽選手の猛追を受けているところだった。必死に走り5区村山に1位でたすきを渡したところで旭化成の2連覇が見えた。
やっぱり元日の駅伝は旭化成が活躍すると面白い。

岩野山:デズイリハングのグレードダウン

2017.12.9 岩野山

朝の室温7度、外気は0度以下か。
カーテンを開けると庭木に小鳥が来ていた。
カメラを向けると目が合った。
ジョウビタキ(メス)
陽光を浴びて和毛(にこげ)をふくらませていた。

今日の同行はフジミさん。
師走だからこそ、仕事を計画的に済ませて二人は山へ行く。

山道の途中に「たぬきの溜め糞」がある。
ハンパない量である。
「ここから先は俺の縄張りだ!!」と言わんばかりだ。

好調を維持しているフジミさんは「ニッケ栗饅頭 5.10a  23m」や「フェアウェイ 5.10b」などをマスターオンサイト。
写真は「カンテ左」を登るフジミさん。
私も来週の長崎:野岳に備えていろいろ登った。
その中でロックタワーの「デズイリハング直上 5.10c」を登ると、核心部の縦ホールドが欠落してガバホールドが出来ていた。
完全にグレードダウンである。
相変わらず高度感はあるが今後は「デズイリハング直上 5.10a」としたい。

午後は少し陽がかげってきたが久留米から馴染みのIさんら4人が来られ、また楽しく登ることができた。