「徒然」カテゴリーアーカイブ

中秋の名月

2024.9.17(火) 徒然 133

夕方、珍しくランニングをしてカラカラの庭木に水をかけていたらもう月が昇っていた。
今日も昼間の熊本は36度の秋晴れ、そこへ迎えた「中秋の名月」は少し涼しくなってさすがにきれいである。
月齢は14だが今夜が「十五夜」であるらしい。
夕飯を食べ終わるとリビングの東の窓からも月が見えた。

M: ISO100、1/125、f7.1

拡大するとこんな感じ。
ウサギさんの頭の部分が「静かの海」で、アポロ11号が着陸したところ。
右下の大きなクレーターは「ティコ」と呼ばれている。
月は地球の衛星だが、不思議なことにこの面しか地球に見せてくれない。つまり月の裏側を望遠鏡で見ることはできない。
やっぱり月には何か居そうな気配がする。

少し雲が出ていた方が風情を感じる。

雲に食べられる月。

9月9日、忘れられない日に

2024.9.10(火) 徒然 132

9月9日(月)は8月25日に撮影された「通潤橋大そうじ」の放送日だった。けっこう多くの方が夕方からの熊本のニュースで視聴されたようだ。
しかし私はそのころ熊本市内の映画館「Denkikan 3F」にいた。
縁あって「第1回 九州学生映画祭」に参加していた。

九州内の5大学が集まっての映画祭。
コロナ禍を乗り越えて第1回目の開催となった。

実行委員長は熊大映研撮影班Qbrickの山内雄大くん。 (左端)
そして各大学作品の監督方、右端が来賓・講評の今泉力哉監督。
作品はホラーや学生のリアル、本格サスペンス、ファンタジーなどどれも予想外の大作が多く十二分に楽しめた。
学生だけでこれだけのイベントを行うとはドキュメンタリーで1本映画が出来そうだ。

すっかり夜も更けたサクラマチくまもと

今泉監督と学生監督とのトークショーが終わって外に出るとすっかり夜中になっていた。

帰ってからこれもお楽しみ、録画予約していた「通潤橋の大そうじ」のビデオを観た。

この番組は、ベテラン(私)が今年初参加の新人(ダイスケくん)に橋から下がるやり方などを指導する流れで構成されていた。

ドローン撮影や八朔祭りの様子を入れて、かなり事前のロケもしてあった。今回は5分強の尺でエキスが詰まっていた感じがした。

なお、この番組を見逃した方は、スマホの検索で「KKTエブリイくまもと通潤橋!」と呼びかけるとすぐにYouTube画面に飛ぶことができる。

私は毎年、年末には「今年の10大ニュース」をまとめている。
この9月9日はもう一つ、年間10大ニュースに入るであろう重大な出来事があった。

NDロードスターの左前バンパー部分を派手にこすってしまった。

ブログ表示数 15万回突破!

2024.8.28(水) 徒然 131

本日の未明、このブログ「山へ行って居ります」の表示数が15万回を突破した。
28日午前0時を越えて2人目の方が記念すべき15万回目の閲覧者となられた。夜中になっても見てもらえるのは嬉しいが、「ヤモリのミイラ」なんか見せられては寝つきが悪くなられたかもしれない。

非常に大型の台風10号が接近中!

今年の3月に14万回を記録しているので、計算したら5ヵ月と6日で1万回の表示数になっている。単純計算で平均63回/日となる。

九尾狐のフィギュアかな?

今回、ブログの中の「サイト統計情報」を詳しく開いてみたら、人気記事を表示する機能があることに初めて気付いた。
それを見てみると、ほとんどの表示はホームページとアーカイブからからされていた。
そして「個別のタイトル」から閲覧されているいるものが人気ランキングとなるだろう。

作業用手袋の中で「さなぎ」になろうとしていた幼虫、指にあたってびっくりした

① 熊本の山岳会              2,638回
② 日向神:生き物図鑑           1,284回
③ 八方ヶ岳:カニのハサミ岩でクライミング 1,085回
④ ロードスター乗って半年の感想       871回
⑤ ロードスターあるある10選         801回

「ロードスターあるある10選ね。あれは俺だけでも10回ぐらい読んだぞ!」という方もおられるかもしれない。

上記の幼虫が成虫になった姿「ホシホウジャク」 (写真はネットから)

他には、
⑧ 大円筋         650回
⑬ チャドクガ、恐るべし! 452回 
などは人気の秘密がよく分からない。

これからも山(岩)が好きな人、ロードスターに乗りたい人、虫を好きになりたい人を増やすためにこのブログを続けよう。

2024 夏の思い出

2024.8.26(月) 徒然 130

夏休みが今日で終わった。例年以上に楽しかったようにも感じる。ここで夏のまとめとして、1番○○だったことを記そう。

1番登った
・8月1日、朝から四国の剣山と二郎ぎゅう、夕方には石鎚山に登った。これ、西日本の高い山2位、4位、1位になる。

今夏、初物のゴーヤ

1番の体重減
・8月12日、夏のサンセット3連荘で体重が1.6㎏も減った。これは3日間で回復したが、22日の開拓(ソロ)では1日で1.6㎏減った。
この後、久しぶりに左腰が少し痛くなった。ぎっくり腰になりそうな気配がして用心して過ごしている。
【追記】8月27日、遂に整骨院へ行った。相当こりかたまっていたようだ。

一夏でこんなに伸びたポトス2鉢

1番ほっとした
・8月15日、上内田川に遊びにいったら赤いデジカメが孫によって水没させられた。夜、スイッチを入れたら「カカカカカッ」と音がした。しかし、丸一日乾燥させたら無事に復活した。

百日紅(サルスベリ)

1~3番のパリ五輪
・卓球、左腕を痛めた早田ひなと韓国シン・ユビンの激闘かな。スポーツクライミングでは金メダルを取って喜ぶヤンヤ・ガンブレットを無表情で見る森あいの姿も印象的。女子柔道の角田なつみはクールだった。

このあとどうなるアボカド群

1番の本
楢山節考。たいへん厳しい話が楽しく読めた。この映画はフランスで人気があったという。いつか観てみたい。

マメコガネの交尾

1番の害虫
マメコガネとアオカナブンがアジサイの葉に大量発生。ある日などは一回で60匹ほどやっつけた。この一夏で「ゴキジェット・プロ」をほぼ1缶使った。特定のアジサイにたかっているので、その根元で生まれたものだろう。

豊作の兆しがする太秋柿

1番の買い物
8月17日、ナフコで「難燃チェア・ハイバック」を買った。6780円なり。一応ヘリノックスや他のホームセンターも見て回り、熟考した結果。(8月17日 「木陰で読書」を参照)

部屋で見つかったヤモリのミイラ

1番嬉しかった
剣山の下り、ふと無計画に「行場」方面の道を選んだ。すると、石灰岩のクーロワールやクサリ場があり、うわさだけは聞いていた「キレンゲショウマ」の群生に出会えた。まったく予期しない出会いだったので本当にうれしかった。

キレンゲショウマ

1番の勘違い
車(ロードスター)を洗っていたら見覚えのない小さな傷が右前のバンパーにあった。「あの時だ!」と思い出した。
ある日、公園の駐車場から出ようとした時、右から来た車が私の車の前で停まり、バックで右隣の空スペースに入ろうとした。
ところがなんとなくぎりぎりだったので私は車を少しバックさせた。すると、前の車は更に急な角度で曲がってきたのでまた少し下がって難を逃れた。事なきを得てその場を離れたが、あの時軽くこすっていたのだ!
この話を職場の人に話したりした。
数日して、あの時私が乗っていたのは軽ワゴン車だったことを思い出した。

大型の台風10号が近づく8月26日の夕焼け

思い返すと昨年(2023)の夏は仕事上の小さな心配事が一つあった。しかしその小さな心配事が四国ドライブ中でも頭の中で渦まき、一夏中まったく気持ちが晴れなかった。「あ~、俺はこんな小さなことで悩むなんて、メンタル弱いな~!」と嘆いた。
しかしなんとか対応策が見つかりその後は年度末まで楽しくやれた。
今年(2024)の夏は何のストレスもなく毎日を過ごすことができた。大した計画の実現などはなく、行き当たりばったりの日々であったがストレス(心配事)なく過ごせることの幸せを感じることができた。
今日は少し腰は痛んだが久しぶりに走ってみた。日ごろから軽く体を動かしている方が調子は良いと分かっているので、またリズム感のある生活にもどしていきたい。

高崎山 おさる館!

2024.8.18(日) 尻尾の長いニホンザル 3

九州におけるサルの聖地といえば「サルのイモ洗い行動」で有名な宮崎:幸島と大分:高崎山だろう。
今日はその高崎山を訪れた。

親子で仲良く毛づくろい。
これは、毛に着いた塩をなめているそうである。

まだ0歳児の子ども。
母親のお腹にぶら下がったり、お尻に乗って移動している。
尻尾がかわいい。

垂乳根の母。

本当はナンバー3らしいが、今日はボスザルの席に座る「タツヤ」
ナンバー1と2は他の群れへナンパしに行っているとか。

サル寄せ場では時々小さなエサがまかれる。すると四方八方からサルたちが集まってくる。
この時、観光客が股を広げているとサルが人の股をくぐることがある。これを「サルの股くぐり」と云って非常に幸運の兆しらしい。そしてなんと、私は2頭のサルが股をくぐってしまった。
その他、スタッフの方が「サル社会の構造」等についても解説され大いに勉強になった。

帰りに水族館「うみたまご」の近くにある「おさる館」に寄ってお土産を買おうとした。
すると、おさる館の目玉ともいうべき漫画家の巨匠「宮下あきら」の大きなイラストが掲げてあった。

また出た「尻尾の長いニホンザル」である。
イメージとしては、若くてかわいいメスザルをねらって3匹のオスザルが闘いを始めようという場面か。
この点、スタッフの方の話によると「ケンカをするのはメスと子ども。オスは順位が決まっているのでケンカはしません。メスは順位が決まっていないのでケンカをします」とのこと。
ではオスの順位は何を持って決まるのか? 
これは高崎山に行って勉強して欲しい。

これは館内のお土産屋さんの看板。
宮下あきら先生は東京在住だからニホンザルに長いしっぽを描いても仕方ないが、これは聖地のお土産屋さんの看板としてはいかがなものだろう。
高崎山に来た純真無垢な子どもたちに「ニホンザルの尻尾はクルンと巻いて長いんだ!」と間違った知識を植え付けないか心配する。
【付記】
オスに人気のあるメスザルは、若くてぴちぴちではなく、子育ての実績がある中高年のサルだそうである。
また、パートナーを選ぶ権限はメスが持っているそうである。

なぜ私には岩なのか

2024.8.13(火) 徒然 129

高校・浪人中に九州の主な山(九重山・祖母傾など)は登っていた。
次は、北アルプスの大キレットが目標だった。
宮崎大学1年の春、山岳部の部室をのぞくと部員は2~3名で暗かった。
すると、ワンダーフォーゲル部は学食の前でたくさんの部員が明るく踊りながら、「北アルプス?、今年の夏、行きますよ~💛」と女子先輩が応えてくれて即決した。

ワンゲル部での1年間は私自身、腹ペコ青虫がアゲハチョウになったような大変身だった。
そして、大キレットの夢は2年生の夏にかなった。

ワンゲル部では北アルプスに行く前には「三点支持やロープワーク」を双石山で山岳部から教えてもらっていた。
そして2年生の秋、山岳部に連れられて「双石山:ルンゼルート」を登る機会を得た。初めてのクライミングだった。
帰りの双石山展望台から宮崎市内を見ると、見慣れたはずの景色が違って見えた。
「3年生になったら山岳部へ入ろう!」と思った。
※この「ルンゼルート」では数年前に山岳部員2名が転落死しており、それ以来部員数が減っていた。

ところが、2年生の終わりに次期チーフ(部長)となり、3年生になっても山岳部には入らなかった。

4年生の春。
(2・3年生は春山へ行き、4年生は事実上引退していた)
山岳部3年生の徳留くんから「比叡山で登りませんか?」と誘われた。徳留くんは冬山合宿で凍傷に遭い、春山合宿には参加していなかったので、二人とも暇だったのであろう。

二人で比叡山の南面スラブから始め、ニードル左岩稜などを登った。

ニードルの頭から「肩がらみ懸垂」で降りてきたところ。
シューズは運動靴と、今では考えられない装備だった。

この山行を機会に山岳部に入り、ワンゲル部との二足のワラジを履いた4年生の1年間だった。
宮崎大学山岳部は市内の近くにある「双石山:象の墓場」で練習をした。 部員数も10名近くに増えていた。

これはリングボルトが打たれた垂壁を「あぶみ」で登っているところ。

これは革靴に12本歯のアイゼンをつけて冬山の練習をしている私。
夏合宿は「劔定着~槍穂高縦走」だった。

槍の山頂で当時人気のあった女優「真理アンヌ」さんとの2ショット(?)。

この1年間で槍ヶ岳の山頂は夏、冬、春の3回踏んだ。
(一番右が私)

岩登り(クライミング)の魅力はうまく表現できないが、面白いことであるのは間違いない。
一般的にスポーツはフィジカル(体)、スキル(技術)、メンタル(精神・経験)の配分にそれぞれ妙がある。
パリ五輪を見ても、スポーツクライミングはフィジカルの要素が大きくなって若年化が進んでいる。
対して外岩は3つのバランスが程よく、経験値が体力の衰えをカバーできるところもある。
また、一口に岩登りと言ってもボルダー、ショート、マルチ、沢登り、アルパイン、冬山、アイス、トップロープ、ソロ、ジムオンリーそして開拓などジャンルが多様である。
その分、自分に合った目標を設定しやすい。
今の私は「フリーのショート」がメインである。
何度も何度も失敗して迎えたある日、朝から「今日こそ登れるぞ!」と確信したときのわくわく感は何物にも代えられない。
失敗もある意味楽しい。岩は逃げてなくならない。

フリークライミング、これは他のジャンルに比べても、安心・安全・安価なのがまた良い。
生涯スポーツとしても最良の部類に入るだろう。
今までやってきて良かったと思う。

なぜ私には山なのか?

2024.8.9(金) 徒然 128

夏休みになり、明日の土曜日は日向神に行く予定だ。
しかしどうして私は暇があると山に行くのだろうか。
これまでも時々自分なりに考えてきたが、誰も訊かない(訊いてどうする?)ので、改めてこのブログに残しておこう。

小学校時代
父は狩猟(鉄砲撃ち)や魚とりが趣味だったので、父の後をついて野山を歩くことはよくあった。球技はまったくできず、走るのも遅かったので運動には無関心だった。

中学校時代
中1の春、小6の時の仲間と地元の山、鞍岳(1119m)に登った。山頂近くの樹林帯に馬が2頭迷い込んでいた。
中2の春、同じ仲間でまた鞍岳に登った。樹林帯には馬の骨が散らばっていた。
中3の夏、「修行」と称して一人で鞍岳山頂近くの「馬頭観音堂」に泊まり込む計画を立てて実行した。ところがお堂が見つからず(なんと地図に間違った記載がされていた)、端辺原野の牧場に泊めてもらい、翌日は内牧の親戚の家まで歩いた。なにか、自信をつけた。(中学時代は卓球部に入っていた)

高校時代
自転車で九重山や万年山にまで出かけていた。父がカメラをもらって来て、登る愉しみが増えた。 しんつくし山岳会のガイドブック「九州の山」を手に 山を歩いた。
「孤高の人」や「ドクトルマンボウ青春期」を読んで「単独行」にあこがれた。 受験勉強の傍ら、時々山に登る以外の楽しみはなかった。

【初めての九重山、池の小屋で一泊した】

浪人時代
車の免許を取り、単車を使って由布岳や大崩山に行き、祖母傾縦走、霧島縦走などを行った。
九重山で黒いユニフォームを着たグループに出会い、集団登山にあこがれた。
加藤諦三の文章で「ワンダーフォーゲル部」を知った。 また、「二十歳の原点」の作者:高野悦子もワンダーフォーゲル部だった。

         【 霧島縦走(単独)】

大学時代
入学してすぐワンダーフォーゲル部に入った。(山岳部はちょっと怖かった)

    後立山:鹿島槍ヶ岳にて(後方の白シャツが私)
この後、一人であこがれの徳本峠に新島々から歩いて泊まった。
ワンダーフォーゲル部では南北アルプス、十勝・大雪山、地元のやぶ山なども歩き大変充実していた。

パリ五輪で金メダルをとった女子レスリングの「藤波朱理」選手の父親によると、藤波は小学生の頃とてもドンくさくて自転車にも乗れなかったそうだ。「球技がダメで、レスリングしかなかった」と言っていた。私はなるほどと納得した。
私は小学5年生の時ソフトボールをやっていて、フライを取ろうとしてグローブをはめていない右手の中指と薬指の間にボールが挟まってしまいバリッとやぶけて病院で縫ってもらったことがある。
大人になってサッカー中に女性とボールを同時に蹴って、私だけねん挫したこともある。(これ以来、サッカーはしない)
つまり、
簡単に言うと、山を登る以外何もできなかったのである。

今夜のパリ五輪、スポーツクライミング男子の安楽宙斗は惜しくも銀メダル。
次のブログでは、「どうして私には岩なのか」を記そう。

花咲か爺さんちの「しろ」出生の秘密?

2024.7.4(木) 徒然 127

たまたまだが、今日は有名な昔話「はなさかじい」(よしざわかずお)を読む機会があった。
すると、爺さんが山に行って、「松の木の根元で子犬を拾った」とあった。なるほど、その後隣の欲張り爺さんから殺され、その墓として松の木が植えられ(樹木葬?)て大きく育ち、木臼が作られたとなるので、話の伏線としても分かりやすく、しろは松の木の神様だったのかもしれない。

有名な昔話ではあるが、爺さんと犬の出会いがどうも私の記憶の中であいまいだったので、近くにあった別の本(松谷みよ子)を手に取った。
すると、「じさまは山にしば刈りに、ばさまは川にせんたくに行った。川上から赤と白の箱が流れてきたのでばさまが白い箱を拾い上げ、中から白い子犬が生まれた・・・」
えッ、これは「桃太郎の展開とそっくりじゃね!」と思った。
白い箱だから「しろ」か、と納得の一面もある。

ついでに別の本(おざわとしお)では、子犬は香箱に入っていたとある。香箱とは裕福な家の娘の嫁入り道具らしいから、子犬を箱に入れて流したのは女の人か。
次の本(石崎洋司)では、黒い立派な箱に入っていたとあるからやはり長者の家の子犬か。
また次の本(長谷川摂子)では、じいさんが川で拾ったとある。やはり主人公はじいさんだからなあ。

またまた次の本(稲田和子)では、赤白の箱が川上から流れてきて、ばあさんは「赤の箱」をひろったとなり、(大川悦生)の本でも赤白のうち、赤を持って帰っている。
「なんで赤い箱から白い子犬なんだ!」と叫びたくなった。

結局8冊の本をみたところ、犬が川上から流れてきたのが7つ。
そして箱に入っていたとするのが6つ。流れてきたのは赤白2つの箱とするのが4つ。そして犬が白箱から出てくるのが2つ、赤箱から出てくるのが2つという結果だった。
まあ、昔話の内容は書いた人やお国によって多少の違いがあるのはふつうだが、この有名な昔話が出だしからこうも違っていたとはまったく知らなかった。

ついでに「昔話全集」みたいな本だと、どの本でも「はなさかじい」の話が1番目に収録されていることに気付いた。分かりやすい勧善懲悪の定番設定とストーリー展開の面白さがやはり一番受けるのだろう。
疑問に思ったことが一つ。
それは松の大木である。犬の墓に植えられた松はまたたくまに大木になったらしい。これが20年も30年もかかってはじい様の寿命が足りないので、すぐに大きくなるのは合理性がある。しかし、松の木で「木臼」を作るかな?
一般的に木臼の材料はケヤキである。松脂(マツヤニ)の付いた餅はちょっとまずそう。
最後に、じいさんが灰をかけて花が咲いた枯れ木は「サクラ」だ。とすれば、かけた灰は松の木より桜の木を燃やしたものだとするのはあまりにも話ができすぎか。

尻尾の長いニホンザルがTVに!

2024.6.10(月) 尻尾の長いニホンザル 2

8日(土)の夜、TVの報道番組を観ていたら「尻尾の長いニホンザル」が堂々と出ていた。

TV番組を写真に撮ったもの

このサルは日本の昔話「桃太郎の鬼退治」だからニホンザルだろう。
改めて訴えるが、ニホンザルにこんな長い尻尾はない!

番組の内容は「この頃の絵本では、鬼退治の仕方に暴力性がなくなった」というものだった。
以前は「イヌは鬼の足に噛みつき、キジは鬼の目をつつき、サルは鬼の顔をひっかく」やり方だった。
この頃は「イヌやキジ、サルがギャーギャー叫び、その大きな声で鬼たちはやられてしまった」となっているものがあるらしい。
そして、鬼から「宝物を取り返す」のではなく、仲良くなった鬼から「プレゼントされる」らしい。う~ん。
もともと時代に合ったように物語の内容が変わるのは致し方無い。
もちろん子ども相手の物語だから、
「桃太郎の武器は刀だ。赤鬼を切ると赤い血、青鬼を切ると青い返り血を浴びて桃太郎はみるみるうちに全身ムラサキ色に染まっていった~!」なんて表現はちょっと合わない。
そこで、「トラを殺して皮をはぎ、パンツにするぐらい強い鬼」をどう退治するか、そこに工夫と鍛錬をして仲間と協力する桃太郎を描くことはできないか。

おっと、話の中心がずれてきた。
要はニホンザルの尻尾は短いと言いたいだけだ。
テレビ局にも間違ったサルの絵を流しては欲しくない。

ちなみにニホンザルは「オナガザル科」に分類されている。
それが何故「尾短かザル」になったかという説は後日述べよう。

2024年4月の振り返り

2024.4.30(火) 徒然 126

4年ぶりに異動した。
仕事の内容自体は大きく変わらないが、話す相手が全員違うのでかなり新鮮な1ヵ月であった。
異動前は「相当悪い仕事環境だ」と伝えられていたが、来てみると逆にこちらの方が良い所は多く感じる。
また、地域の役員が回ってきて休日に会議や行事が2日間あった。
そして月末には親戚で葬儀があった。

   庭にはびこる「ワイヤープランツ」

4月はバリエーション(国東半島:清水畑)、フリー(ハサミ岩で5.11bのRP)、開拓(面風の岩場)、県体壁1回など。
山に行く機会がいつもよりも少なかったのは否めない。

そのワイヤープランツで水耕栽培するのがマイブーム

体調面では、珍しく左肩が少し痛んだ。(登り過ぎではない)
昔みたいに「登って治す」みたいなことはしない。
その分、夕方にはスプリント練習を何度か行った。
体重は微増で、理想に近い。
家では隙間時間に股関節を動かすようなことを積極的に行うようになってきた。
また、「目を閉じて片足で立つ」タイムを時々計っている。
認知症の進み具合が分かる指標になるらしい。
昨年の4月は日向神:ハートエリアに集中していたが、今年の目標は定まっていない。
今は「夏休みの四国ドライブ」が漠然とした楽しみ。

この頃カラスがハナミズキの枯れ枝を折って持ち去っていた。ところが今日になってまだ枯れていない枝まで折るようになった。

運転時の視力が落ちてきたので眼科医を受診、左目の「白内障」を告げられた。秋には現代医学の力に頼ろう。