カテゴリー別アーカイブ: 徒然

熊大で一日学生

2021.7.17(土) 徒然 62

雨の土曜日、山に行けないからではなく、何の因果か熊本大学での講習会に参加して一日学生となった。あと4回ある。

午前中は真面目にメモなどとって過ごした。
コロナ禍の中、私語は慎まねばならない。
もう楽しみはお昼の「学食」しかない。

けっこう美味しそうだったので適当に取ったら610円分だった。
味は良かったが、朝からただ座ってばかりの私には多かった。
近くのテーブルで二十歳前後の女子学生をたくさん見たが、肌の色艶がみなさん絶品であった。来た甲斐があった。
学食の帰り道、小雨の中で「夏目漱石先生」の銅像を拝んだ。

来た甲斐があった。

講習も無事終わり、帰りに山の店「シェルパ」に寄った。
たいへん久しぶりでマスク姿だったのに、店員の西沢さんが「緒方さん、いらっしゃい」と声をかけていただいた。
なんか嬉しかったのでモンベルの帽子を買った。

左が新しい帽子で右は30年ほど愛用している、やはりモンベルのリバーシブルキャップ。
ヘルメットの下に被るのにはとても具合が良い。

お盆とラッキーナンバー

2021.7.15(木) 徒然 61

この辺りは田舎の証か、7月13~15日はお盆である。
13日(火)は迎え火なのに夜は仕事(ただ顔を出すだけ)があった。しかし、「今日はお盆なので失礼します」と言って免除していただいた。
納骨堂とお寺(安国寺)にお参りして、提灯に灯して帰った。

「ヒラタクワガタ」

14日(水)は夕方から県体壁に行った。この頃は市内の渋滞がひどい。運転していると前を走る車のナンバーが「8008」だった。すると、隣車線の車も「8008」だった。
このナンバーは幸福が末に広がる人気の幸運ナンバーらしい。

やっと着いたら雲行きが非常に怪しくなった。
パラパラきたが構わず登っていたら一気に土砂降りとなった。
降りてロープを収納する間にもかなり濡れた。
風もあって壁はもちろん、ホールドも濡れている。
集まったみなさんもすぐに諦めて帰って行った。
私とSunちゃんだけは壁の下から出るに出られずしばらくじっとしていたが、「これも練習になる」と思い、ガバが続く「中:オレンジホールド(5.10b)」を登った。
そのうちに少し小降りになり、4人の男性が来られた。
「阿蘇から来ました」と言われるので、せっかく阿蘇から来られてまったく登れないのも残念だろうからと、またしばらく一緒に登った。
私は豪雨の中でも3本登れて良かった。

20:30ごろゲートを閉めた。
帰る途中の合志に見通しの悪い交差点がある。
小雨で車の通りも少ない。
前を行く車が黄色信号で通過したので「私も」と交差点に入ろうとしたが、Uruさんの曲を聴きながら心穏やかに運転していたのでブレーキを踏んだ。
すると、右側の道から信号待ちをしていたパトカーがすぐ出てきた。「あ~良かった」

オーム?

15日(木)は送り火である。
帰り道でまた「8008」の別の車を見た。
この車は、乗っている人よりも見た人を幸福にさせる車かもしれない。
今日は夕方、ランニングシューズの初下ろしをした。

小さな気づき 3選

2021.7.5(月) 徒然 60

①女の勘の鋭さ
日曜日の夕方、右前腕がこわっているのに気づいた。
原因を考えた。
1)前日の草刈り
しかし、今まで草刈り(刈り払い機)をやって右前腕だけこわったことはないぞ。
2)今日のハサミ岩
これも岩の苔落としはほんのちょっとだけだったな。
3)4日前の県体壁
易しいやつをたった3本、しかも4日前だ!
まったく心当たりがなく、しかもけっこう気持ちよく筋肉痛がきている。
そこで娘に「なぜか右腕がこわっているんだよ」と言うと、
「昨日、下の家の植木の剪定をしたからじゃない」と即答された。なるほど、確かに昨日の夕方、慣れない植木の剪定作業をした。それを自分でもすっかり忘れていた。
女の勘の鋭さに改めて恐れ入った。

②セミの抜け殻の謎
日曜日の夕方、「もうセミの抜け殻を46個、集めたよ」と自慢する孫とセミの抜け殻集めに行った。変わった趣味を持つ孫だ。
そこでふと考えた。
「セミの抜け殻はたくさんあるのに、セミの鳴き声がしないのは何故だ?」と。
何か特別な病気でもセミの間で流行っているのか。
すると、近所のG藤さんが、「今生まれているのはメスばかりじゃないのかな」と言われた。初めて聞く説だが深く納得した。

③車の並び方
今朝、職場の駐車場であることに気付いた。
職員が車を停める場所は決まっておらず、だいたい早い者から順に端から詰めていく。
ところで今朝は、右側に車の色が濃い赤、黒、青などが10台ほど並び、左側に淡い色の白、シルバーが10台ほどずらっと並んでいる。
偶然だろうが見事左右に色分けされていた。
面白いことに気付いたと思い、誰かに話そうとしていたら、次の白い車が右側に停めて、儚い気付きで終わった。
ちなみに私はドアパンチをしないように、少し離れた別の場所に停めている。


アジサイの葉の裏にいた【カメムシ】
12個のカプセル(卵)から出てきた「一齢幼虫」12匹。

合歓の木

2021.6.25(金) 徒然 59

6月20日に八方ヶ岳「カニのハサミ岩」に行く途中の山里で大きな合歓の木を見つけた。
薄いピンク色の花をたくさん咲かせてそれは見事だった。

合歓の木には幾つかの思い出がある。

思い出①
学生時代に大好きだった山の歌が「ねむの木」である。
一度覚えたら忘れることができない。

ねむの木

ねむの木のその下で ほろほろと泣いた人
風もない夕暮れに ゆれていた黒髪よ

ねむの木を見下ろして またたいた青い星
星よりもまだ遠い ぼくたちの道だった

ねむの木をひっそりと 包んだ白い霧
誰にも知られないで 涙をふいたあなた

ねむの木の葉のように 今はただ眠ろうよ
別れても離れても 夢ならば会えるもの

ねむの木のその下で ささやいた永遠(とわ)の愛
真珠の瞳にも 輝いたともしびよ

思い出②
30代後半の頃、「佐賀:父の日マラソン大会」によく出場した。
6月の下旬、父の日の早朝6時に佐賀県庁をスタートするローカルな大会だった。
そのコースの沿道にあるたくさんの合歓の木がいつもきれいに咲いていた。
早朝のすがすがしい空気の中で、合歓の木の花だけがやさしく応援してくれた。

思い出③
すっかり合歓の木が好きになった私は、ある日山から小さな1本の合歓の木をこいで来た。
そして、それを庭に植えた。
それから数年経って、合歓の木は6月になると可憐なピンクの花を咲かせるようになった。
よほど合歓の木に我が家の土が合っていたのだろう、木はどんどん大きくなっていった。
そしていつのまにか、隣の肥後椿やニワウメの木を日陰にするようになった。
更に秋になると大量の落ち葉を降らせるようにもなった。
「過ぎたるは猶及ばざるが如し」と云われる。
合歓の木は私の手で切り倒された。


合歓の木は山にあるものを愛でるに限る。

ワンダーフォーゲル部

2021.6.3(木) 徒然 58

「ワンダーフォーゲル部」
この懐かしい響き。
わが青春の1ページ、というよりも「我が青春そのもの」である。
この学生時代4年間の「ワンダーフォーゲル部」で培ったものが大きく私の人生に生きている。

ところで、ワンダーフォーゲル部出身の有名人といえば誰だろう。

①加藤泰三(社会学者・評論家)
私が高校3年生の頃、「蛍雪時代」などに若きリーダー的な立場から若者の進むべき道をよく説いていた。その中には、彼自身が大学のワンダーフォーゲル部(東大?)での活動から得た経験や知識が入っていた。
私が「ワンダーフォーゲル」という言葉と初めて出会ったのは彼の文章からだった。

②高野悦子(「ニ十歳の原点」の著者)
この本は著者が大学3年生の時、全共闘運動のなかで自殺するまでの日記である。学生運動がピークに達したころではあるが、彼女が立命館大のワンダーフォーゲル部に入っていたという記述がある。
もしもの話だが、彼女が日本アルプスの山々を仲間と共に歩いていたら少なくとも自殺はなかったのではないか。

③穂村弘(歌人・随筆家)
北海道大学に1年間いて、その時にワンダーフォーゲル部に所属している。北海道の山はヒグマもいて、彼にはあまり山歩きが合わなかったようで、その時の経験は時々自虐ネタで出てくる。
その後は上智大を卒業している。

以上3名のみ。


新しいぺツルのハンガーはキラキラと光っていない。
「いぶし銀」とはこんな状態ではないか。

お風呂の思い出

2021.6.1(火) 徒然 57

6月を迎え、暑くなると疲労感も高まり帰宅後のお風呂が一番の楽しみになる。
ところで、入浴は非常にプライベートなことであり、家族ごとの文化があり、何かとカルチャーショックを受けやすいものである。
そんなお風呂での思い出を3つ紹介したい。

【本文とは関係のない写真】

①スターの入浴法
もう50年ほど前のことである。
テレビ番組で「スターのお風呂紹介」的な番組があった。
そのスターの自宅は都会の一等地にあり、なんとお風呂は2階にあって天井はガラス張りだった。
まあしかし、この程度は昔でも驚くにあたらない。
そのスターは、カメラの前でこう言った。
「寒い冬は、湯舟のお湯を床にぱーっと撒いてお風呂場を温めます」と。
えっ、まだ誰も入っていないきれいなお湯をパーッとまく?
当時の私にとっては、それはすごい贅沢にも思えたしすごい無駄遣いにも思えた。
さすがに都会のスターはちがうな、と思った。
今ではヒートショックを防ぐためにお湯を撒く方法は常識化しているようだ。

②知人宅のお風呂場
もう30年ほど前のことである。
新築の知人宅に寄ったら、お風呂に入るよう勧められた。
ちょうど仕事帰りで汗をかいていたからかもしれない。
きれいなお風呂場に入ったら、壁に真新しいナイロンたわしが3本かかっていた。
その家は夫婦と小学校6年生の女の子がいた。
ナイロンたわしは「桃、青、黄」の色違いが3本。
当時私は5人家族だったがナイロンたわしは1本だった。
この家は3人で3本。
どの色のたわしを使ったかは覚えていない。

③足の裏
もう20年ほども前のことである。
私はよく家人と一緒にお風呂に入っていた。
ある日、家人は言った。
「あなたは、足の裏を洗わないの?」と。
えっ、足の裏って洗うのか?!
言われて初めて私は足の裏を洗わずに湯舟に入っていたことに気付いた。
もちろん、くるぶしや足の指の間など汚れそうな所はしっかり洗っていた。しかし、足の裏を洗う習慣はなかった。
子どもの頃いつも一緒に入っていた家族の誰もが足の裏は洗っていなかったと思う。
家人はいつの頃からか「この人は足の裏を洗わない人」という目で見ていたのだろう。
しかし、40年間洗ったことのない私の足の裏はとても柔らかくきれいで、ずっと洗い続けてきたであろう家人の足の裏は角質化してとても硬かった。

他にも「湯舟には右足から入る」と決めている人に会ったことなどいろいろあるが、上記の3つの話は何故か私の心に深く残っているものである。
ちなみに、私の高校時代の夢は「シャワーのある家に住むこと」だった。
私の夢はかなった。

この頃の驚き 3選

2021.5.19(水) 徒然 56

その1 【カップヌードルの値段】
先日、朝食キャンプに行ったとき、コンビニでカップヌードルの値段を見たら184円だった。なかなかの高級品だ。
直ぐ近くにカップヌードル:カレーがあり、同じく184円だった。「えっ!」と驚いた。
私が若い頃、「カレー」を初めて食べた時に「こんなうまいものが120円だなんて信じられない。生きてて良かった!」とさえ思ったぐらいである。
当然値段も普通の物よりは30円ぐらいは高かったのではないか。それは当たり前と思ってきた。
それが今や「カレー」と「普通」が同じ値段である。
これはいったいどうしたことだろう。
「カレー」が不人気で安くなったのか。
それとも「普通」の材料費が高騰しているのか。
どこかで原因を突き止めたい。

その2 【コンビニの車】
仕事帰りに街中のコンビニに用事があって寄った。
駐車場はほぼ満車だった。
店内はさぞや混んでいるだろうと思って入ると、中はガラガラだった。
「お客さんはどこだ?」
店を出て車をよく見てみると、みんな車に乗っているのだった。
これもコロナ禍による新しい生活様式か?

その3 【車から滑落?】
ある山友さんが「車から滑落して足を骨折」したそうだ。

車が大型のトヨタ:ラン○ルで、グランドフォールまでの滑落距離が相当あったようだ。
ラン○ルと云えば、ロードスターの天敵としても有名だ。
ちなみに、ロードスターは降りる時に手が滑ると写真のようになる。

下手すると腕が折れる。
とにかく、ラン○ルはロードスターにとっても運転手にとっても危険な車であることが証明されたわけだ。
※山友さんの早期回復をお祈りいたします。

伯耆大山には登っていなかった?!

2021.4.26(月) 徒然 55

3月末に「国東半島一泊の旅」を行った。
4月になって「次のロドキャンは何処にしようかな」と考えた。
最初に思いついたのは、日本人なら一度は行くべきと言われる呉市の「大和ミュージアム」である。
そして、次の日にはあまり行ったことがない山陰地方か?
しかし、伯耆大山は若い時に一回登ったからなあ。

・・・・・・・・・あれ、大山は登ったよな。
確か、キャンプ場に彼女を残して・・・・・・。
いや、えっ、ありゃ、登ってなかったっけ?
そう言えば、写真がないよな・・・。
う~ん、なんという記憶の曖昧さ。
でも、確かにキャンプ場には行ったぞ。
前の晩は山道で濃霧に襲われ、車の燃料計がエンプティを示してえらく焦ったじゃないか。
鳥取砂丘では偶然にもバイクで来ていた義兄に遇ったぞ。
島根ワイナリーにも寄ったじゃないか。
あれ、大山はどうだったっけ?

色々な記憶が断片的に残っていて、それでいて何故かいつもは絶対撮って残す「写真」がない。
そうだ、今思い出したが、学生時代に使っていた「オリンパスOM10」が壊れて次の「CANONイオス」を買う前だったのだ。
改めて山の記録一覧表(私はこれまで登った山の記録はすべて書き残している)を開けてみると、大山に登った記録がない。
え~、大山には登っていなかったんだ。
山の仲間が「元谷小屋がどうの、別山尾根がなんたら・・」という話をしたり、テレビで大山登山の番組を観たりしたからだろう。
すっかり「大山には登った」と思い込んでいた。

では、「ロドキャン2日目は、伯耆大山に登ろう!」
と、思ったがこの頃の新型コロナ変異株の勢いは止まらない。
関西には緊急事態宣言が出され、鳥取県でも感染者が出ている。
ここで山陰地方に遠出をするのは如何にソロドライブがメインとは言え、相当ヒンシュクものだ。
やっぱり県内の八方ヶ岳ぐらいしかないかな・・・。


4月25日、八方ヶ岳で見かけた「キンモンガ」
6~8月によく見られるとネット図鑑には書いてあった。
幼虫は「リョウブ」の葉を食べるという。
リョウブは、ハサミ岩の「飯田丸  5.10b」の取り付きに生えていた木肌が美しい高木であることを偶然この日に知った。

 

雨の日の独り言

2021.4.4(日) 徒然 54

この頃驚いた「長いもの 3選」

①ウンモンスズメガの交尾

庭のハナミズキで見つけた。
上が腹部の大きいメス、下がオス。
朝の8時ごろ見つけたが、一晩中交尾をしていたようだ。
夕方見たらまだ一緒にいた。
「長すぎだろう!!」

②朝のウンコ
【写真はない】
便器の中に「大きなウナギ」がいるように見える。
何回見ても感動する。

③話の長い女性
「女性の話は長い」というと、森喜朗元会長と同じになってしまう。話の長い女性もいるということだ。
年度替わりで引き継ぎの季節だが、引き継いでから話せば良いようなことを引き継ぎ者を決める会議で昨年度のことを事細かに話す人がいる。「決まる前に言っておかないと・・・」という考えは、何か前任者としての言い訳に聞こえるばかりだ。

【エビネラン】

筋トレについて

昨日のブログ題は「好きな言葉は筋肉痛」だった。
何かいつも私は筋肉痛になりそうなことばかりやっているように勘違いされたかもしれない。
反対に近年はなかなか筋肉痛にならないので、時々なると嬉しいぐらいのことだ。
若い時のように筋肉痛にならないのは、齢をとると筋繊維を損傷させるまで運動で追い込めないかららしい。
さすがに昨日はクライミングや作業の内容が豊富で「追い込み」ができたから三角筋や広背筋まで疲労した。

今日読んだ「ざんねんな筋トレ図鑑 小島央」によれば、こんな運動はケガのリスクが高まるだけで、筋肉のパワーアップにはならないようだ。
確かに、最後のボルト打ちでは足を滑らせて態勢を崩し小さな擦過傷を負った。かなり疲れていたに違いない。
この本の要点は、次の3つだ。
①筋トレの原則は高強度での運動習慣で、筋肉に「適応」を起こさせること。(超回復理論ではない)
②筋トレは週一回、各種目30秒程度でいい。
③筋トレは、老化に唯一抵抗できる。

【昨年植えたコデマリ】

老化防止(認知症対策)の為に月2400円のクライミングジムに入っていたが、歯のメンテが毎月3600円かかるようになってジムは止めた。
週に1~2回は外岩に行くので筋トレ(老化防止)は十分か。
重いリュックを背負っての山歩きは有酸素運動、クライミングは無酸素運動でちょうどいい。

悠々たる哉天壌、遼々たる哉古今・・・・

2021.2.19(金) 徒然 53

図書館で借りた「文豪のぼやき 山口謠司」の中で、久しぶりに旧制一高の学生、藤村操の遺書と再会した。

「悠々たる哉天壌、遼々たる哉古今
五尺の小躯を以てこの大をはからむとす
ホレーショの哲学、ついに何らのオーソリティーに価するものぞ
万有の真理は唯一言にして尽くす、曰く「不可解」
我この恨みを抱いて煩悶、終に死を決するに至る
既に巌頭に立つに及んで、胸中何等の不安あるなし
初めて知る、大なる悲観は大なる楽観に一致するを」

華厳の滝の近くのミズナラの木肌に残されていた「巌頭之感」である。
40数年前、当時19歳の私は、何の意味も考えぬまま受験勉強を怠惰に続けていた。それが誰に勧められた訳でもなく、自分で選んだ道ではあったが、まったくお先真っ暗な状態で何も考えないようでいてかなりのプレッシャーを感じていたようだ。
午前10時ごろになると決まって胃の辺りがしくしくと痛んだ。
「胃酸過多」と自分で判断して胃薬を飲んでいた。

そんなある日、私は人前で舞台に立つことがあった。
その時「何か面白い登場の仕方をやってみたら」ということで、唯一諳んじることができた上記の「巌頭之感」を声高らかに吟じながら登場した。
私は子どもの頃からの「緊張しい」で、この登場の仕方は極度のストレスを伴ったらしい。
その舞台の内容はすっかり忘れたが、出番が終わってからのステージ袖で私は腹の激痛に見舞われ、しばらく倒れたまま身動きができなかった。

その後の記憶はないが、いつのまにか胃が痛むことはなくなっていた。
後年、時々は人前に出ることがあってもちょっとトイレが近くなるくらいで胃が痛くなることはなくなった。
「おい、これ以上考え込んだり緊張したりすると胃が痛くなるぞ!」という防御信号がどこからか出て、頭が深く考え込まなくなったようなのである。
世の中には恋・仕事・家族・生活で悩み傷つき、メンタルを病む人は多いようだが私にはあまりそんな気配がない。
仕事仲間からは「どんなことがあっても動じない人」と目されることもあるくらいだ。
しかし実は身体が極度の緊張を嫌って、あまり深く考えない頭の構造にしたらしいのだ。
小学生の頃、リコーダーのテストで指先が震えていたり、場違いな児童会の立候補演説で頭が真っ白になり体育館のステージの上でがたがた震えていた私が懐かしいこともある。

40歳の頃、胃検診で胃カメラをのんだら「十二指腸潰瘍のひどい痕跡」が見つかった。


【本文とは無関係な写真】