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昭和生まれ 熊本県菊池市在住 暇な日は草刈、読書、ナンプレなど

金曜日の夜の雨 Ⅱ

2020.6.12(金) 徒然 42

熊本が入梅して二日目、外はかなり降っている。
体の疲労感が抜けないので、この土・日は良い休養日になる。
疲労感の原因は明らかだ。
6月6日(土)のボルダー開拓と7日(日)の日向神だ。
6日は約2時間のアルバイトだがけっこう汗をかいた。
7日はサンセットエリアでワイヤード(5.11b)を中心に合計9本トライした。この日は水を1リットル持参して、帰りに自販機で500mℓ買って飲んだ。そして車を運転していると日輪寺の辺りで足腰に違和感が出て、鹿本で両足がつったので車を停めてストレッチをした。たぶん水分不足が原因だろう。
結局、この二日間で体重が1.8㎏も減っていた。(BMIは19.9)
「水分が抜けただけなので体重はすぐ戻るだろう」と思っていたが、その後もなかなか戻らない。
水曜日になっても三角筋前部や背中下部に疲労感があって県体壁は休んだ。入梅が近かったので登っておきたかったが、「残念」というよりも「用心しておこう」という気持ちの方が勝った。
齢をとると喉の渇きが分からず気づいたときには熱中症になることが多いそうなので、似たようなものだろう。
7日のワイヤードの写真がないので以前の写真をアップしよう。
2016年8月 ワイヤード(5.11b)RP

2018年6月 リピート

日向神にはボルト数3~4本の短いがけっこう厳しいルートが幾つかある。
サンセットエリアなら「プリティウーマン(5.11a)」「ワイヤード(5.11b)」
道端エリアなら「ウエルカムベイビー(5.11)」「次郎(5.11c)」など。
短いので何回もトライできるのが良い。

今年は冬場からダム下エリアの開拓で楽しい日々を過ごすことができた。
しかし、「過ぎたるは猶及ばざるが如し」という。やり過ぎて体を壊しては元も子もない。疲れた自分もリフレーミングすれば頑張り過ぎた自分になる。今はしばしの積極的休養が要るようだ。
車に流れる音楽も「あいみょん」から「Uru」になったことだし。

初夏のサンセット

2020.6.7(日) 日向神:サンセット

今日は鹿本から県道18号を使い、鹿北の岩野で国道3号に出るルートを選択した。
栗の花のむせるような匂いと田植えの準備が進む初夏のワインディングロードだ。
福岡方面からのバイクツーリングが多く、黒のNCロードスターが来たので手を挙げてご挨拶。(通算やっと5回目)
日向神駐車場でラミーカミキリを見つけた。1年ぶりの再会だが、カメラのピントが甘かった。

食べているのはカラムシというどこにでもある植物で、この栽培種がラミーと呼ばれ繊維を取ることができる。
おっと、ヘビのようなものも見つけた。

今日の山友は山崎夫婦、秀ちゃん、空さん。
①ファーストステップ(5.10b) リピート
②イーグルアタック(5.11a) リピート たぶん6年ぶり
③耕して天に至る(5.11c) NG 1テン 4年ぶり
タケシさんは「耕して天に至る」から稜線まで登る2ピッチ目を拓こうと画策中。

④~⑦ワイヤード (5.11b) NG
ワイヤード(5.11b) リピート 5便目 2年ぶり
2016年は3日間8便目でRPしている。2018年は4便目でリピート。
このルートは指先を酷使するので一日に何回もはトライできなかったが、今日は5回連続でトライできたところが成長か。
⑨赤い実のエルニーニョ(5.11a) リピート
「赤い実のヤマボウシ」から「エルニーニョ」をつなげて登った。

下の写真は「赤い実のヤマボウシ」をトライするゆきえさん。
もうルートは陰になっている。

なんか、実年齢より相当お若く見える。「日向神の美魔女」と呼ばれる日は近いだろう。

初夏のサンセットエリア、ルートによっては直射日光が当たって大変だがまだまだ一日楽しめた。

雨の予報で、プチ開拓

2020.6.6(土) ボルダリング  no.1

本日は午後から雨の予報。
「午前中だけでも登れるところはないか」と考えて以前より開拓をしようと思っていた岩場に行った。

ブッシュの向こうに壁が隠れている。(Before)

(After) 約2時間かけて掘り出したらけっこう魅力的な壁が出てきた。

高さは5mほどあり、適度にかぶっている。
石灰岩質でホールドは面白いがとにかく指が痛い。
トップロープで2本登ったところで雨が降り出した。

家に帰りつくとまだ11:30だった。
行き掛けにコンビニで買ったおにぎり等で昼食。

結局雨は本当に小雨で、図書館、ヒマワリの苗植え、草刈り、洗車と午後は充実した過ごし方ができた。

ここはステミング!(5.10b)開拓・初登 

2020.4.29(昭和の日) 日向神:ダム下

天気は快晴、昼間は気温24度。
今日の山友はSatoさんと山崎御夫婦。
Satoさんにビレイをしていただき本当にありがたかった。

①プロジェクト3をTr.で掃除、ボルト位置決め
5.10a程度のルートにするために終了点の高さに悩む。
クラックの中の木の根がしぶとい。
②プロジェクト3をTr.で掃除、ボルト位置決め、ボルト設置
終了点は宙さんから頂いたラッペルステーション。ボルトは4本。

「ここはステミング! 5.10b B4 8m」開拓・初登

できるだけステミングで登るとかっこいい。粉がまだひどい。
この桜エリアでは珍しい5.10台のルート、人気が出るだろう。
この後、タケシさんが苦労しながらもオンサイト(第2登)

ゆきえさんはTr.で2回経験していたので軽くRP(第3登)

④象の目(5.11c) NG
初登以来3ヶ月ぶりのトライ。三角コーナーに体が入ってしまって、う~ん。
真ん中あたりのエッジが効かない辺りがポイント。今日は左手外、右脚を曲げて入れ体が固定できた。

象の目(5.11c) R(リピート)

まあ、体が思い出せばそう難しくもないが初見の人にはやり甲斐があるだろう。

今日は行きも帰りも星原峠コースを利用した。片道44km、Av. 17.0km/ℓだ。

梅雨入り前の日向神クライム

2020.5.30(土) 日向神:ダム下~トンネルエリア

現在は31日の午前5時、Uruさんのすてきな歌声を聴きながらこのブログを書いている。窓の外から小さな雨音も聞こえる。
早起きの原因は1週間前の「親知らず抜歯」によるジ~ンとする左下アギトの疼きだ。

30日(土)は一人で日向神を目指した。山友の多くはまだ自粛継続中なのだろうか。もうすぐ梅雨入りしそうなので私はどうしても岩を触りたかった。
日向神「ダム下エリア」に着いても今特にやりたいプロジェクトはない。
初夏を迎えてにょきにょき生えてきた茨(いばら)を切るぐらいか。
とりあえず、「象の目」終了点にロープを架けて右下のスラブから登るルートの掃除をした。

ボルト3本、5.10a/bぐらいのルートになりそうだがどうしたものか。
意外と大きな木の根でプロテクションを取って右上に抜けた方がマルチっぽくて面白いかもしれない。
空はどんよりしてアギトは痛むのでモチベーションが上がらない。
正午を過ぎ、人恋しくなって移動した。

トンネルエリアにHさんらがおられたので加てていただいた。
①うし子(5.11b) リピート
なんとか登り切れたがこれでアップはきつい。
②コブラ(5.12a) トップロープ
核心部のボルトが遠く、リードする気持ちにはならない。
③シャオロン(5.11b) リピート
5年ぶりに登ったがこれは超お買い得ルート、写真映えもする。(Nさん撮影)

④ダイアナゴル(5.11a) NG
以前に登った覚えがあったので気楽に取り付いたら最上部でミスった。
⑤ダイアナゴル(5.11a) リピート
落ち着いて登れば問題はない。④のミスは歯痛のせいにしておこう。
5年前の日記を見直したら「ダイアナゴル(5.10b) マスターオンサイト、けっこう難」と書いていた。5年間でグレードはアップして実力はダウンしたか。

駐車場で見つけたが名前が分からない。

羽を広げてとまっているのでミスジチョウの仲間か?

県体壁の再開に寄せて

2020.5.28(木) 徒然 No41

昨夜、県体壁のクライミングを楽しんだ。
①中:赤テープ(5.10a) R(リピート)
②左:黄緑(5.11b) NG
③左:黄緑(5.11b) RP
④右:黄色(5.10d) R(リピート)
4本登って十分堪能、早めに帰った。
長い新型コロナによる閉館・自粛期間で、若い方々は実力が多少落ちているようだがもともとあまり伸びていない私にはあまり関係ないようだ。

このブログ「山へ行って居ります」も一時は「山へ行って居りません」なんてタイトルに変更しようとした時期もあった。しかしちょっと思い直して「思い出の写真」として昔の山行を掲載することで自分自身の振り返りができた。
ついでに約2年間ほどほったらかしにしていた写真アルバムもプリントしたものを貼って気になっていたことを一つ片づけることができた。

今日、小山田大氏のFBで彼のクライマーとしての信念が語られていたものを読んだ。ここではコメントを避けるが「いいね」を押した。願わくば何の気兼ねなしにクライミングを楽しめる日常が戻って欲しい。

このブログを書きながらYouTubeで「Uru」という女性の歌を聴いている。こんな気持ちの良い歌声は初めてだ。このアルバムで初めて知った曲もあり、オリジナルの歌手で聴いてみたがう~ん、Uruさんの歌声の方が私には合う。

山のブログはまだ書きにくいのでカテゴリー「徒然」のお題を幾つか考えた。
①ロードスターで通勤、あるある10選
②特集「ひかえめで芯の強い人」のうさん臭さ
③抜歯、その後
④「あと40年生きるのは強欲」発言に対して
⑤第3の出会いを待つ日々
⑥私の武勇伝
⑦これまでの不思議体験
⑧私の健康法
⑨「正しい道ではなく楽しい道を選ぶ」とは
⑩10万円の使い方
⑪なんちゃってキャンパーになりたい
・・・どれも日の目を見そうにない。

先日ドライブをして素敵な場所を見つけた。

来年の植木市ではシャクナゲを買おうとすぐ思う。

人生、初抜歯

2020.5.22(金)  徒然 40

左下の奥歯で、「親知らず」の手前の臼歯が虫歯になった。
治療も終わりがけだが、隣の「親知らず」も虫歯になりそうだしメンテナンスの邪魔にもなるので抜歯を勧められた。
この歳になるまで、歯はまだ1本の欠損がない。しかし思い切ってこれからの人生40年間のことを考えて抜くことにした。

【抜歯経験者の談】
・抜くのに3時間かかった。途中でドクターが交代した。
・3つに粉砕して取り出した。途中で麻酔が切れた。
・町歯医者から口腔外科医を紹介された。
・翌日は仕事を休んだ。
・2日間ほどあごが腫れた。
・3日間ほど流動食で過ごし体重が減った。
・空いた穴に食べたものが入ってものすごく痛かった。

前夜は眠りが浅かった。
朝起きて、自分で口の中の写真を鏡を使って撮った。
昼過ぎに歯医者さんへ。
診察台の上で麻酔をされただけで額と下半身に汗をかいているのがわかった。
「メスを用意しておこう」という声が聞こえて意識が飛びそうになった。
「抜歯を始めます」
「痛かったら手を挙げてください」
何かで歯をつかんでいるようだが麻酔が効いてよくわからない。
若い男の歯科医でかなり力は入っている様子だ。
「抜けそうです」
「抜けました」
「え!?」と私。
ほんの数分間のできごとであった。
痛くもかゆくも、ショックもない。

「上手ですね」と私。
「オガタさんの、日ごろの行いがいいからですよ」
お~、なんとも名医っぽい返しだ。
麻酔の量も絶妙で、昔のようにしばらくはまともにうがいもできないほどの痺れがない。抗生物質と痛み止めの薬をもらって1880円なり。
しばらくはご飯が食べられないからと思い、買っておいたゼリー飲料が無駄になった。

【なかなか丈夫そうな抜いた奥歯。右のマウスは歯が入っていたケース】
子どもの時のように屋根に投げたらまた新しい歯が生えてくると困るので、しばらくケースに入れて持っておこう。

金曜日の夜の雨

2020.5.15(金) 徒然 39

中学生のころから日記を書いている。
書き始めた動機は国語の時間に「日記を書こう」的な学習をしたからではないか。
近年はコクヨノート「Canpus  B 100枚」1冊が1年分だ。
先日、「思い出の写真」をブログにupするためにアルバムを探していたら「大学3~4年 1980~1982 No10」の日記帳が出てきた!

詳しくは此処では書かない(書けない?!)が、夢か映画の中のような日々を過ごしており「俺も元気だったな」と思う。酒があまり飲めない私が6次会とか行っている日もある。思い出せば1年生の時、部室にあった飲み残しの入った「霧島」を持って帰り、夜一人で飲む練習をしたこともあった。

2011(平成23)年1月8日(土) 奥日向神クライミング
10時キャンプ場集合。泗水から1時間で着く。山は雪が積もり早朝ー6度、昼でも2度の日本中寒い一日ながら道端エリアは暖かかった。
全体的に朝は湿っていたが徐々に乾いて登りやすくなった。
「君のために 5.9」をTr.で2回。3回目はRP。
「ルネッサンス 5.10b」はダメ。
「だんだん 5.9」はTr.で。
「いらっしゃいませ 5.8」はフラッシング。
「太郎 5.10c」はTr.で2回ともダメ。
スラブで右足ふくらはぎ、フェースで右腕三頭筋、全体として腹筋を使った。岩は安山岩。参加者はあそ望会長キーボウさん、ボロさん、フジミさん、マスモさん。マスモさんの友人で福岡の若い人2人。

上記は53歳であそ望山岳会との初めての日向神、17年ぶりの外岩クライミングをした時の日記。自分なりにがんばった様子が分かる。

【2011年1月8日の道端スラブ壁の写真】
まだ上部のルートや左のルートがない。

7年後の2018年に「100イレブン」を達成したが、その時「よく登った記録を取っているもんだ」と感心されたが私にとっては記録を残しておくことは普通の事。一緒に行った方、ビレイをしていただいた方も大事な記録と思っている。

日記以外にこの頃よく付けている記録は「毎朝の体重と体温」で、これは手描きの折れ線グラフにしている。60歳をこえると体重の減少がこわい。
今日はヒマワリの種を2種類買ってきて直播(じかまき)とポットを10個。
YouTubeの「あいみょんBest」にどうして「ひかりもの」が入っていないのか!

今日撮ったギンリョウソウの写真を一枚。トリミングなしがえらい。

けっこう外は降っているなあ・・・。

思い出の写真 9 (36歳、クライマーからランナーへ)

2020.5.10(日) 思い出の写真 No9

1994(平成6)年 36歳
庵鹿川の三澤さんは昔からよく語っていた。
「クライマーには3大障壁がある。1つ目は就職。2つ目は結婚。3つ目は子ども」と。
山ばかり登って仕事も恋もしていないような私であったが30歳の時には3人の子どもがいた。

写真のように「トレラン」は時々やったが、この年からクライミングはすっぱりと止め、家族で行けるマラソン大会にでるようになった。

思い出の写真を最後に3枚載せよう。
当時の愛車、三菱デリカと根子岳。

秋、クレッテル・カメラードは盛大に鍋の平で観月会を行っていた。

阿蘇・高岳鷲ヶ峰に集ったクレッテルの仲間。

それから2011(平成23)年、53歳になった私がクライミングの世界に戻ってくるまで17年の歳月を要した。

思い出の写真 8(33~35歳)

2020.5.10(日) 思い出の写真 No8

1991(平成3)年
正月は宮崎市で迎え、2日は日向市の「尾鈴ロードレース」を走り、美々津海岸「権現岬」で登る。その後、庵鹿川に行ってパートナーを見つけて比叡山で登る。そんな正月の過ごし方が何年か続いた。

権現岬は暖かく、若い人が集まっていた。

8月に熊本市内で「ODCクライミングコンペ」が行われた。大きな倉庫でリードのできる設備は珍しかった。午前中仕事があって見学だけ。

秋に金峰山・二の岳ボルダーへ行った。

数年前にこのボルダーを登ろうと思い出かけていくと、30年たって周りの杉林が伸びて場所が分からなくなっていた。

1992(平成4)年
5月には比叡山「ひむかの黒馬」など。

この頃、クレッテルで「電動ドリル」を購入したので大観峰の岩場にフェースルートを拓きに行くようになった。

1993(平成5)年
5月、雌鉾岳(庵ルート Ⅶ A0)を戸高さんと登った。

雌鉾岳頂上にて。

この年は電動ドリルを担いでよく大観峰へ行って、フェースルートを拓いた。

すてきなシングルライフ(5.9)
リアラ(5.10b)
復活の日(5.10b)
青大将(5.10d)
ヒラクチ(5.10a)
マムシの皮はぎ(5.10c)

これは「復活の日」で、「岩と雪」にも掲載してもらった。
エリアは松村さんの応援を得て第Ⅳエリアまで広がった。
我が青春の大観峰はクラックとフェースの両方を楽しめ、阿蘇五岳をバックに登るロケーションは最高であった。しかし、アプローチの悪さは致命的で訪れるクライマーは本当に少なかった。
※2016年4月の「熊本大地震」で大観峰の岩場は登攀不能になった。