13日目、碓氷峠〜松本〜野麦峠

2025.8.2(土) ぶらぶら旅   群馬~長野~岐阜

赤城山を早く出て、「頭文字D」聖地巡礼の旅はもちろん「シルエイティ佐藤真子と沙雪」のホームコース、碓氷峠をめざす。
途中、異様な山体の岩山が見えてきて「妙義ナイトキッズ:R32中里毅」のホーム、妙義山だと分かった。「これはドライブや登山というよりクライミングだろう」と思って今回はパスした。

妙義山から旧道:碓氷峠は近い。
行き交う車もない早朝の旧道は静かだった。

レンガ造りの「めがね橋」は旧鉄道の遺跡で名所になっている。この旧道はコーナーが200近くあり、ナビのないころは物語のように沙雪みたいなナビ係のサポートがいた方がいい。

ここが碓氷峠で、越えれば軽井沢になる。
一休みしていたらスキール音を響かせて1台登ってきた。
シルバーのアウディ2ドア車だった。夏は軽井沢にいて、早朝にこの道を毎日走っている感じだった。

軽井沢の街は道端にもきれいに花が植栽されて品がいい。
朝から黒いベンツのマダムがセブンイレブンで買い物をする。

近くの浅間山には目もくれず松本をめざす。
自分の故郷は、1が熊本、2に宮崎、3が松本と思っていた時期も昔あった。
しかし、松本は何十年ぶりだろう。昔の彼女や元妻に会うぐらいどきどきした。

学生時代にアルプス登山の定宿としてお世話になった旧制松本高校(現信州大学)思誠寮跡地を訪ねた。プレートを見ると昭和63(1988)年に解体され「あがた公園」の駐車場になっていた。

すぐ横の「旧制高校記念館」(無料)に入った。

松本高校と言えば私にとっては「北杜夫」、そしてこの本「どくとるマンボウ青春期」である。高校・浪人中にこれを読んでバンカラな学生生活や北アルプスに憧れた。
大学1年生の夏、北杜夫が住んでいたこの思誠寮に泊まると知った時の喜びは忘れられない。その後も合宿が終わると北杜夫や昔の岳人が歩いた新島々から徳本峠~上高地への道を一人で歩いた。
(北杜夫は卓球部であまり高い山には登っていない)

夏が終わり、大学に戻った私は木造校舎をガランゴロンとお土産に買った下駄で歩いて顰蹙(ひんしゅく)をかった。この下駄で単車に乗っていてお巡りさんに見つかり免停を喰らったことは以前書いた。

【あがた公園 ヒマラヤシーダーの並木道】
合宿後の汚いパンツを捨てた銭湯や打ち上げでいつも行ったトンカツ屋「かつとも」などは巨大なイオンに飲み込まれていた。

真夏の信州路、土曜日ともなれば上高地方面行は渋滞だった。
それでも野麦峠方面に曲がると車は極端に少なくなった。

野麦峠は飛騨:高山と信州:岡谷を結ぶ標高1672mもある重要かつ歩くには昔から困難な所だ。この道標の手前に駐車場があって、旧道(山道)を歩いて峠に行ける。(今回はパス)

ここが訪れる人影もまばらな野麦峠のお助け小屋。
人が少ないとお花が多い。

きれいなホタルブクロが咲いていた。

「あゝ飛騨が見える」の像。
旧道を歩いてきた登山者の団体の中から「背負われているのが大竹しのぶよね」などと聞こえる。

飛騨への下り、ヤマドリ(尾羽が短い?)を見た。

12日目、谷川岳&頭文字d

2025.8.1(金) ぶらぶら旅 群馬

谷川岳の登山口、土合駅。
東京からの下りプラットホームから改札口まで864段の階段を登るモグラ駅で有名。

これは階段を上から見たところ。
重荷を背負って864段、これをウオーミングアップにしていたとか。谷川岳一の倉沢といえば600名ほどもなくなっている魔の山。帰りの汽車に乗れなかったクライマーも多かったろう。

「谷川岳大好き」という埼玉の女性から「ロープウェイは料金が3000円と高いし8時始発は遅すぎる」と言われ、西黒尾根を登ると言われたので一緒に行くことにした。

その前に一ノ倉沢を下から見に行くことにしたがけっこう遠くて一つ手前のマチガ沢までで引き返した。
西黒尾根は日本三大急登の1つらしくベースの早い女性についていくと汗が噴き出した。

西黒尾根を上から望む。
この尾根を「3時間で登る!」と豪語していた女性がそのうち「かったるい」を連発。結局4時間で登り切ったが私も大汗をかいた。

最高点の「オキの耳」は見晴らし最高。眼下に一の倉沢の急峻な谷間が見える。この後小雨が降った。谷川岳の天気は変わりやすいようだ。
ロープウェイを使って天神尾根方面からの登山者は多く、土日は行列ができるらしい。花もヤマユリや白いギボウシ、金色のホトトギスなど多彩。
帰りは田尻尾根を下る埼玉の女性と別れ、ロープウェイを使おうと駅まで行ったが片道1800円と知って私も歩いて下りた。一人ぼっちだったのでサルの家族に出会うことができた。
合計7時間の行動で今日も疲れた。

谷川岳インフォメーションセンターは駐車料金200円でトイレもきれい、車中泊に良いところだが日も高いので移動した。


みなかみ町公共温泉は600円。 地元のロードスターがあったので隣に停めた。そして温泉の中で今夜の宿泊地の情報を得た。

群馬と言えば「頭文字D」の舞台だったところ。谷川岳を無事に終えて、ここからは頭文字Dの聖地巡礼が始まった。
さっそく物語のオープニング「榛名山(秋名山)」へ行ってみた。

下りのスタート地点になる峠の駐車場にあった地図。

ここにはAE86藤原拓海とFD3S高橋啓介の最初のバトルを描いたマンホールがあった。
付近には「秋名スピードスター」みたいな走り屋が何台もいてこっちを見るし、雨も降って来たので下りはゆっくり走った。
勝負所の5連ヘヤピン(実際は4連)の道路は路面をわざとうねらせて速く走れないようにしてあった。
「秋名の下り」は意外と短く、もう一回走ろうかとも思ったがすぐ近くに伊香保温泉があって通行車両は切れることがない。

暗くなり、この後雨は上がる予報だったので温泉で教えてもらった赤城山に向かった。今度は「赤城レッドサンズ:高橋兄弟」のホームコースだ。こちらはカーブがゆるく高速コーナーの連続で面白くない。
人気のない大きな駐車場に着いてテントを立てた。

11日目、尾瀬沼散策

2025.7.31 ぶらぶら旅

今日からぶらぶら旅の始まり。
実は今までの日本海側北上、八甲田山に登り立石寺に参拝するまでは予定通りで、これからは行き当たりばったりになる。
まずは北海道帰りの滋賀ニッサンバネットのご夫婦オススメ、檜枝岐村からの尾瀬。
2時に蔵王を出発して、7時40分に桧枝岐村御池駐車場に着いた。
既に車は多く、8時発の電動シャトルバス(往復1600円)に乗った。

終点駅から木道で沼山峠を越えると約1時間で視界が開けた。

絵でも描きたくなるような尾瀬沼の風景が待っている。
花は時期的に多くはない。

尾瀬沼ビジターセンターで見つけた「キベリタテハ」
センターはアブ対策で網戸がしてあった。

とても大きい「長蔵小屋」はどうみても小屋じゃないな。

八甲田山でも見かけた大きな葉の植物は「ミズバショウ」の夏の姿だった。中ほどに実もあり、じつはこれ、クマの大好物らしい。 クマの糞と共にミズバショウはどんどん広がっているのかもしれない。

尾瀬沼と燧ケ岳。もっと計画的ならば山も登れたと思う。

40年ぶりの尾瀬は暑かった。
40年前は群馬国体が終わって熊本県チームみんなで秋の尾瀬ヶ原を散策した。
尾瀬はいつ来てもいいようだ。

御池バス停から約6時間で沼を一周し、午後2時には下山した。
今日は駐車料1000円も払ったので御池駐車場に泊まろうと思っていたが、昼になって大アブが大発生していた。ドアを開けるとあっという間に何匹も飛び込んできた。 特に黒色の車にはアブがたくさんたかっている。 これではせっかくの観光地も台無しだ。
日も高いので次の谷川岳へ移動。
ちなみに駐車中カーナビに直射日光を当ててしまい、室内が冷えるまでしばらく不具合を起こした。

奥只見湖、子どものニホンザル。

10日目、立石寺&蔵王山

2025.7.30 ぶらり旅

宮城県:仙台から奥羽山脈を越えて山形県:天童市へ。
途中のお店で地元のおじさんと話すと2~3個の単語しか聞き取れない。どうも「うちの近所はクマやイノシシが出て大変だ」と言っていたように思う。
そして山寺の立石寺(りっしゃくじ)へ。
今回の旅の観光ではメインになるお寺だ。

山寺は地名だが、その名の通り山にある。
奥の院まで行けば山登りの一環としてもよい。

善男善女になでられて黒くなっている。

ここがセミ岩。
「閑さや 岩にしみいる 蝉の声」
松尾芭蕉「奥の細道」のこの句はあまりにも有名だ。
今日も芭蕉の時代と同じようにセミの声が岩に沁み入っていた。異国の人は多いがあまり大声でおしゃべりはせず、みんなセミの声に聞き入っている感じだった。(暑すぎ?)

108の数珠玉を回しながらお願い事をする。

山は奇岩に囲まれ、多くの磨崖仏や石塔、大杉に歴史を感じる。
日本で一押しのお寺さんだろう。
岩は遠目には石灰岩に見えるが軟らかくて彫りやすい凝灰岩。

名物の「いも煮セット」はうまかった。

山寺から蔵王山は近い。
観光地なので登山口を迷い苅田リフト乗り場に車を停めた。
ここで連日の登山の疲れか「リフト」を選択したのが後で大変なことになった。

蔵王山は九州でいえば阿蘇山みたいなところだ。車でも山頂近くまで行ける。

避難小屋も立派で、主峰の熊野岳は1841mと高さもある。

一緒に歩いた若い女性はコマクサを見つけると「かわいい、かわいい」と連呼しながらスマホでたくさん写真を撮っていた。

リフトの近くで女性とは別れ、私は歩いて下りることにした。
山道を歩いていると、道がどうも不明瞭になってきた。リフトがあるので登山道はあまり整備されていないようだ。
「こんな時こそYAMAPだよね」とひとりごちてスマホを取り出すと道はほとんどずれていない。いつでも見られるようにとスマホをズボンのポケットに入れて道らしいところを進んだ。駐車場はもう下に見えている。
しかしだんだん藪がひどくなり、ついには完全なやぶこぎ状態に陥った。クマザサの中を泳ぐようにしてトラバース気味に進み、やっと登山道に出た時、「スマホがない」ことに気付いた。

青くなって「最初から探そう」と思い、登山道を登ると私が迷った所でちょうど3人の若者も迷っていた。
3人に正しい道を教えながらスマホを失くしたことをもらすと、「ちょっと、かけてみましょうか?」と言った。なるほど、その手があったか。さっそく私のスマホに電話をしてもらうが何も聞こえない。
「あっちだ!」「めっちゃ聞こえる!」とは若者たちの言葉。
67歳の耳にはまったく聞こえない着信音が若者たちの耳にははっきりと聞こえるのだ。猛烈なやぶの中、音を頼りに若者が突進して見事にスマホを発見してくれた。

今回の旅、最悪の事態から私を救ってくれた若者たち。
この場を借りて感謝の意を伝えたい。

今日はリフト乗り場駐車場で野営。
噴火時の退避壕を兼ねたトイレは新築であった。
ここは標高が高く、星空観察の聖地でもあるらしい。

九日目、早池峰山とイーハトーブ

2025.7.29(火)  ぶらり旅

八幡平から早池峰山登山口「小田越」までは3時間を要した。
ナビが盛岡等の街を外して山中の無料高速を指示したのでどこをどう通ったのか分からない。
さらに小田越には駐車場がないので、2kmほど下ったところの「河原坊」に車を停めて歩かねばならない。小田越には監視人もおられて、みんな厳格にルールを守っている。

午前8時近く、もう暑くなっていたが元気に歩き始めた。
高山植物で有名な早池峰山の登山道は意外にも岩ゴロが多かった。ここに咲く花はいままでの湿地性ではなく乾燥性だった。

この山固有種の「ハヤチネウスユキソウ」
他にもイブキジャコウソウ、ウメバチソウ、タカネナデシコなどが咲き乱れ、SDカードが一杯になりそうだ。
花の写真は後日アップする。

このはしご場を越えると頂上は近い。

山頂は広く、三角点の字が独特。

山頂避難小屋は新しく立派だが、トイレは「携帯トイレを使うための個室」なので注意が要る。携帯トイレはここで買うと500円で、もちろん持って下りる。
早池峰山はお花畑につつまれたなだらかな山と思っていたら、けっこうな岩ゴロ歩きだった。連日の登山の疲れか5時間歩いてヘロヘロになって下山した。最後の下りとはいえロードもきつかった。木陰にシートを敷いて仮眠した。

元気になって、立派な早池峰神社に参拝。本堂に4本も鈴が下がっているのは初めて見た。
この後は花巻へ。本当は宮沢賢治もよく登ったという岩手山に行きたかったが、噴火警戒レベル2で登山は禁止中。
それで宮沢賢治記念館を訪れた。

猫がお出迎え。

これは私も好きな「ヨタカの星」のモニュメント。

山猫軒での食事は怖いのでお土産だけ買った。旅道具満載のロードスターでは大きなお土産は買えない。

平泉に向かう途中、車の外気温計が41度を示した。賢治のように「夏の暑さにもまけぬ丈夫な体を持ち」たい。
ここまでで2.664km走った。

この日は洗濯とモバイルバッテリー等の充電のために一関のビジネスホテルに泊まった。

八日目、八甲田山&八幡平

2025.7.28(月)  ぶらり旅

酸ヶ湯温泉公共駐車場の朝焼け。

酸ヶ湯温泉は毎冬、「3mの積雪で車が見えません」なんてTV中継で有名、ぜひ来てみたかった。トイレは新しく、なんといっても駐車場が広い。車中泊は平日なので5台ぐらい。

午前5時から車中泊仲間の横浜から来られたAさんと登った。
二人とも八甲田山は初めてで、登山者が意外と少なかったから。

この沢(地獄湯ノ沢)は硫黄の匂いが強かった。
これじゃあクマも寄り付かないだろう。
Aさんはクマ除けの鈴を下げていたので心強い。

道標にはクマ除けの大きな鐘が設置されている。

しばらく登るときれいで静かな湿地帯(仙人岱)に着いた。
黄色い花はキンコウカ。
ガスが下りてきて、いつクマが出てきてもいい雰囲気。

頂上が近くなるとガスは濃く、風も強まって、初めてカッパを使った。写真を撮ってそうそうに退散した。

大岳避難小屋は積雪対策でずいぶん床高く造ってある。
冬季入口は高さ6mぐらいか。
中におじさんがいて、「週に2回、トイレ掃除のアルバイトで来ている」と言われた。その後の話は方言が強くて聞き取りにくかったが、意訳すると「3日ぶりにここに来るとハエがどんぶり一杯とれる。仙人岱ヒュッテはちゃわん一杯だ」

上毛無岱への下りに大きな葉の植物があった。時々踏みつぶされた様な跡があり、人間でなければクマだろうか?
  ※この葉の正体は尾瀬で判明した。

木道は下毛無岱の夢のような高層湿原へと続く。

ガスもとれて最高の山歩きとなった。
約6時間歩いて午前11時には下山。

お待ちかねの酸ヶ湯温泉、の前に事件が起きた。
車のキーがいつものザックのポケットに入っていないのだ。ドアは開いたがキーが見つからない。どこかザックの底にでも入っていればと荷物を全部トランクに入れてスタートボタンを押すがエンジンがかからない。しかしドアは開いたぞ。いや、これは朝からロックし忘れていたのだ。
青くなって小屋にいたおじさんに「車のキーが落ちていませんでしたか?」と尋ねたりしているうちにふと思い出した。
キーをいつものザックのポケットではなく、ウエストベルトの小ポケットに入れていたことを! 
あった!(涙が出そうだった)
ではなぜ荷物を全部乗せたのにエンジンがかからなかったのか?

後で分かったことだが、荷物は全部トランクにいれたが、ふたを閉めていなかったのだ。車の中にキーがあれば、ドアは開いていてもエンジンはかかるが、トランクの中に入れてふたが閉まっていないとエンジンがかからない仕組みになっていたのだ。

300年の歴史がある酸ヶ湯温泉は入湯料1000円で、バスタオル付、白い温泉名入りのタオルは戴ける。

入るのは男湯ではなく、もちろん混浴の「ヒバ千人風呂」だ。
昼時で人は少なく、混浴なんてできるわけないだろうと思っていたら、反対側の入り口から黒いキャミソール(湯浴み衣)を着た女性が入ってきたのでびっくりした。
ちなみにここのお湯は打たせ湯などのしぶきが目に入ると少し痛む。

まだ昼過ぎなので次へ移動。
八幡平登山口(有料駐車場)には午後5時に着いた。
下の無料駐車場に車を停めて地図を見ると頂上はすぐそこなので行ってみた。

ここは鏡沼、湖面が水鏡になっていてきれい。
5月頃には氷がとけて、この頃有名な「ドラゴンアイ」となる所だ。

1613mの山頂からガマ沼展望台に進むと写真の様な景色に出会えた。左に見えるのは陵雲荘という避難小屋。
日本離れした景色とはこのことかな。(語彙が足りない)

下の無料駐車場に車は3台。
もう夕暮れも近いのでここを野営地にするつもりだったがたくさんのアブに襲われて移動した。

7日目、青森:恐山

2025.7.27(日) ぶらり旅

北秋田~大舘~黒石と走ると左手に岩木山が見えた。
昨日の疲れで今日は移動日にして岩木山はパスして恐山を目指す。この日の岩木山頂は非常な強風だったそうだ。

秋田の海岸沿いは道も良くて、103km走って平均燃費24.7km/ℓを記録した。だいたいいつもは20km/ℓぐらい。

途中の道の駅でOD缶を捨てた。今回はキャンドルライト用に使ってきた。

15年間もよくもったなあ(笑)

霊場:恐山が近づいてくると異様な匂いに包まれてきた。
事前知識がなかったので知らなかったがここには阿蘇でいうと「地獄温泉」みたいな火山性噴気孔があるのだ。特に山地でもないのでわからなかった。

入山料は700円。
いろいろな場所が地獄や極楽に見立ててあり順路に沿って歩いて回る。
水子供養のためかヤクルトや風車、その他手ぬぐい(?)などが供えられているが雑然としてどうも品がない。
それに犍陀多(カンダタ)も入っていたという「血池地獄」の水はやけにきれいだったなあ。

ちなみに「恐山」という山はないので「五智山」という一等高い丘に登った。

入山料700円も、まあ温泉入湯料と思えば許せる。
何人かの若者が入ってきて、お尻も洗わず浴槽に入ったが注意できなかった。
体脂肪率6.8%の体はちょっと貧相に見えるな。

漫画家の「つげ義春」も若い時に旅の途中で恐山に来て、宿坊に泊まっている。実は私も宿坊を申し込んだが断られた。
昔とは違って何もかも新しくなっているのでつげさんの時みたいに「座敷童に似た子ども」とかには会えないだろうな。

霊場:恐山を出るとすぐのS字カーブの所にパトカーが来ていて、白い車が林に突っ込んでいた。運転手はそばに立ってスマホで電話をしていたが、いったい何があったのだろう。

八甲田山が近づいてくると道路標識もこうなる。3mも雪が積もるとこれが役立つのだろう。
だいぶん遅くなって、次の予定地「酸ヶ湯温泉」に着いたのはもう暗くなった午後7時30分だった。

【追記】
入浴中の体の写真があまりにも貧相なので、「これでは世の中の女性にもてないのではないか」と思い、いっそのこと削除しようと思った。
しかし現実をしっかり受け止め、これからもっとたくましい体にしようと考え直した。
また、昨夜改めて上半身の写真を撮り、「普通はこうですよ!」とアピールすることにした。

なお、昨夜我が家の体重計「TANITA カラダスキャン」に乗ったら、体年齢がなんと「38歳」と出た(驚)
右前腕が焼けている。

6日目、鳥海山に登る

2025.7.26(土) ぶらり旅 

昨夜、登山口の駐車場で車中泊の方々と呑みながら話をしたら、滝の小屋からの外輪山周回コースは12時間かかると言われた。3時半から起きて準備をすると久しぶりに緊張した。

午前4時20分、駐車場を出発。
樹林帯の中を20分も登れば滝の小屋に達し、もう森林限界となる。雪渓から落ちる滝の音がして、大雨の時は渡れないような渡渉を過ぎると急に高度を上げる。周りは一面のお花畑になる。

振り返ると滝の小屋に朝日が当たり始めていた。

部分的にチングルマが綿毛になっているところもある。花が多すぎて蜂も回りこなさないだろう。

雪渓も大きく緊張させられた。ストックを2本用意したのは正解だった。

尾根に上がるとお鉢が見えた。左の岩山が最高峰の新山でその右が一般的な山頂、七高山。下りの登山者も多く、山頂小屋に泊まっていた人たち。
初めて見る花がほとんどで写真を撮るのも忙しい。

七高山から小屋に向かって下り、荷物を置いてカメラだけ持って新山をめざす。ここは雪渓の上がガラガラの岩山で、九重黒岳の岩山に似ているが今にも崩れそうだ。
写真は胎内くぐりという岩穴を抜けるところ。

この山頂表示も黒岳に似ていて、黒岳が真似をしたのか?
この後、山頂小屋前で休憩。
鉾立方面から登ってくる人が多い。

小屋からはモレーンの地形を下る。けっこう疲労して、小さな登りで足が止まるようになった。

周りはチングルマやキスゲ、フウロが咲き乱れている。この花を求めて全国から登山者が集まっている。

この後外輪山周回コースに入ると人がいなくなった。
鳥海湖からは完全な一人旅。

高山の厳しい環境なのか、キキョウをはじめどの花も丈が短い。

「二の滝コース」から滝の小屋へは道のりが長い。

来た道を振り返る。
雪渓を下り、長いお花畑の木道を歩き、急な岩ゴロ沢を登る。
「ここまで来て、登りかーい!」と叫ぶが周りには誰もいない。
足はふらつきストック2本歩行で11時間歩き、やっと下山できた。

山を下って食料の買い出しをしたが、今から八甲田山まで走るのは危険に思え、バードラインから秋田方面の鳥海山鉾立登山口に回って野営することにした。

海の見える鉾立登山口は観光地になっていた。夜は花火が見えるとかで車が多かった。

海の方に夕焼けが見えると、海上に蜃気楼のような光が現れた。「オーロラみたい!」そんな声も聞こえる。
花火は見らずに寝た。

5日目 月山に登る

2025.7.25 ぶらり旅

午前6時、月山:姥沢登山口から望む。
トイレを済ませて登るが登山標識が全くないので少し迷った。
ヤマップ地図は節電のためになるべく見ないようにしている。

雪渓を歩くのは何十年ぶりだろうか。
滑って命を落とすような所ではないが、軽アイゼンぐらいはあった方が良い。東北の山をなめていた。

チングルマが咲き誇っている。
他にもたくさんのお花が咲いているが、植物に関してはまとめて別にアップしよう。

あまり遠くないところに鳥海山が見えた。
登山道は歩きやすく、雪渓やお花畑に囲まれ本当に来て良かったと思う。

月山の山頂付近には山小屋やバイオトイレがある。
山頂部分は神社に占領されていて、500円で祈祷を受け、厄除けのおまじないをしないと入れない。

福島からの参拝者と記念撮影。
彼らはほぼ毎年この格好で出羽三山【 月山(前世)・羽黒山(現世)・湯殿山(来世) 】を登るという。

午前11時、約5時間で暑い姥沢に下山。
熊本ナンバーロードスターの周りは遠慮してみんな車を停めない。駐車場代は1000円とちとお高いが、前泊するならここが良かった。

スマホの充電のためにも志津温泉(500円)に入った。
冷房のない館内に1時間ほどねばったがあまり充電できず、風呂上がりにまた汗をかいた。

月山ダムの近く「ななかまど亭」でとり油そばを注文。食べ応えがあった。さらにデザートのプリン、アイスコーヒーまでサービスしてもらった。

次の鳥海山は近い。
登山口の滝の小屋駐車場までは快適なドライブだった。
夕方で車は多いが人は少ない。どうも山頂小屋等に泊まるコース設定が一般的らしい。それほど山はきびしそうだ。

ほら貝を持った上半身裸でスリッパの男性が下りてきた。
神社の秋祭りに向けてまだ練習中だという。

満天の星を見ながら埼玉からの車中泊2人と四方山話。
夏の大三角の覚え方「琴ベガ、鷲アル、白鳥デネブ」という覚え方を披露した。
明日のために2リットルのペットボトルに食塩などを入れて準備をした。

4日目、天険:親不知

2025.7.24 ぶらり旅

新潟を目指す途中、北アルプス日本海側の始まりと云われる親不知(おやしらず)に寄った。

急峻な山が日本海まで迫り、昔の旅人は荒れた日本海の海岸を命がけで渡った所だ。松尾芭蕉も難儀したことだろう。

展望台から見ると、4世代の道が分かる。
江戸時代までの海岸線の道。旧国鉄の線路。トンネルを使った一般道。そして高速道路。

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これは明治期に造られた国鉄のレンガ造りトンネル。中はヒンヤリとしている。補助燈や懐中電灯も用意されているので余裕があれば歩いてみたい。

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山と海岸が近いので砂浜でなく丸ゴロ石ばかり。
芭蕉と曽良の二人もここで石を積んだと思う。

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白いホタルブクロがたくさん咲いていた。

新潟市はバイパス道でパスするが、車が多く危ない道だった。
3車線で安全のために少し車間を空けると、横からではなく斜め後ろから割り込みブレーキを踏まされる。思った通り交通事故も起きていた。

月山志津野営場を目指すが、ナビに従うとえらく複雑な道を走らされた。たぶん50km以上無駄に走った気がする。
野営場は閉まっていたので駐車場にて野営。標高が高いと涼しくて快適だ。
今日は親不知以外は「すき屋」とガソリンスタンドに寄っただけの移動日で532km走った。運転に疲れてきたようだ。

いっせいのクライミングや日々の日記です