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昭和生まれ 熊本県菊池市在住 暇な日は草刈、読書、ナンプレなど

五色岩:右岩稜へ

2022.6.4(土) 日向神:五色岩 24

6月1日(水)
熊本県体壁は約3か月ぶり。

ルートが新しくなって楽しい。3本トライして早退。
20代の新人が二人参加して、これから楽しみ。

6月3日(金)
ホタル観賞。
最初に行った有名なS地点は車が数台停まっていたがホタルは皆無。
ダメもとで行ったK地点はたくさんの光がゆらゆらと飛んでいた。
やさしく捕まえると手の中で黄緑の光を放つ。
ここは穴場なので、誰にも教えられない。
(ホタルと言えば旭志が有名だが、今年も鑑賞自粛中)

6月4日(土) 
五色岩で開拓。

【樹林の中で車が朝日を浴びる】


【右壁:「ナイス~」の終了点からみた右岩稜】
このスカイラインを登る。


【左には「びっくりフェイス」が見える】

上からラッペルして1回目の掃除。

浮き岩を落としたらアオダイショウのきれいな抜け殻があった。
2回の掃除は主にカンテの右側を行った。
澤田さんにビレイして頂きTr.で登ってみるが、見た目より難しい。距離も27mと長い。

【右岩稜:試登中】
この後終了点を5mほど下げて、ボルトを7本埋めた。


スタート地点は「公園」と呼びたいほどのきれいな大きいテラスである。
初登は次回の予定。午後4時半、下山。

車の近くで「オオオサムシ」を見つけた。
後羽が退化して飛べないそうだ。

暑い一日で、体重が激減していた。

ルート開拓100本の軌跡

2022.6.1(水) 徒然 89

5月28日の日向神:五色岩で「百色(ももいろ)」を開拓したことが、通算100本目の開拓となった。
これまでの軌跡を記しておきたい。

1983年(25歳)~1933年(35歳)
阿蘇:大観峰    26本(リアラ、復活の日など)
八方ヶ岳:穴川の岩場 1本 (2P 未発表)
菊鹿:丸岩の開拓 (Tr.多 未発表)
比叡山:南面スラブ 2本(スーパーファイナルなど)
宇土:赤瀬海岸   2本 (未発表)
宮崎:行縢山    1本(アロマージュ 4P 未発表)

大観峰「カウンター・チン」の2ピッチ目を開拓中

【22年間の空白期間】

2015年(57歳)
植木:岩野山    11本 (夏の思い出など)
2016年(58歳)
植木:岩野山    4本 (フェアウエイなど)
2017年(59歳)
日向神:サンセット 2本(若い時のりりィなど)
2018年(60歳)
日向神:愛のエリア 5本(義理チョコで勘違いなど)
日向神:奥壁    1本(生きた証)
2019年(61歳)
日向神:愛のエリア 4本(平成最後のヒールフックなど)
日向神:ダム下   2本(フルグラなど)
2020年(62歳)
日向神:ダム下   6本(素敵なロドライフなど)
星原峠:ボルダー開拓
2021年(63歳)
日向神:ダム下   1本(ビターチョコ)
八方ヶ岳:カニのハサミ岩 18本(ロドキャンなど)
日向神:五色岩   2本(ゆずレモンなど)
2022年(64歳)
日向神:五色岩   9本(岳間茶など)
日向神:ダム下   1本(ハイドランジャー)

ルート開拓者は「絶滅危惧種」と言われて久しい。
では、何故私はルート開拓をするのか。
答えは一つ、「面白いから」

大観峰:「アゾロ・ダイレクトカンテ」の開拓中

私の場合、クライミングとは開拓をすることである。
若い時に「熊本クレッテル・カメラード」に入り、大観峰というほとんど手つかずの岩場と出会えたことが大きい。
(大観峰の岩場は熊本地震で行けなくなった)
そして2011年、「あそ望山岳会」に入会して山との出会い直しができた。
100本はもちろん通過点であるが、この後はどうなるかは分からない。
フェイスブックで東秀磯氏が5月だけで10本開拓して、「月間最多ルート開拓賞」を自らに与えていた。
私は8回山に行って開拓は2本、打率は2割5分か。まだまだだな。

1983年、大観峰では「ヨセミテスタイル」が流行っていた。

あと10年もしたら、「聖地巡礼 いっせいの100ルートを登る」なんて企画が起きるかもしれないが、その時は詳しい資料をお渡ししたい。

運動会の思い出

2022.5.30(月) 徒然 86

先日、1年生の孫の運動会を見に行った。
50mの直線を走る「徒競走」では、1コースでスタートしたのに前を行く右側の子に引っ張られてゴールした時は3コースだった。そして5位。(カメラのファインダー越しに爆笑!)
だいたい緒方家に足の速い子はいない。

私がその源でいつも短距離走はクラスの中で下から2番目だった。
だから運動会で活躍したことはまったくない。
だいたい運動が「嫌い」だったのではなく、運動することに「無関心」だったのだ。思い出もほとんどない。
運動会を見に来た親も私の姉の活躍が楽しみだったろう。

【小学校時代】
何年生の時か、ショウケを背中に乗せて四つん這いで進む「亀の子レース」という技巧走で3位になった。
【中学校時代】
3年生の時に、応援団長から「団画を描いてくれ」と言われて、畳大の「マジンガーZ」を描いた。(絵は得意だった)
【高校時代】
フォークダンスで手をつないだ女子がテニス部だったのか、手の皮がごわごわだった。
組体操で台上倒立ができなかった。
以上、走った思い出がない

そんな私ではあったが、大学時代にワンゲル部に入って毎日トレーニングすることでかなり体ができてきた。
更に教職に就いたことで日頃から走ることが多く、学生時代の走力を維持できた。
この頃、やっと「走り方」が分かってきた
20代後半の頃、「熊本走ろう会」の同僚の勧めでマラソン大会に出るようになった。
鹿本マラソンの10km、杖立温泉マラソンの20km、大津白川マラソンの30kmと距離も伸びて嬉野温泉高速道開通マラソン大会が初フル。
更に山口萩往還140kmのウルトラマラソンも3回出場した。

懸案だった「短距離走」もそれなりに力がついて、40代後半の時に出た町内体育祭「地区別対抗リレー」では、4位でバトンをもらいごぼう抜きで1位になるまで前を走る選手が本当に歩いているように見えた
場内の歓声と共にテントにいた老いた両親にやっと息子の晴れ姿を見せることができた。(と、思っている)

そして、運動が苦手な我が子たちであるが、
1年生の時に声が大きいので「開会宣言」をした子、
原稿を読むのが上手で放送係をした子、
重い病気を持って生まれたのにみんなと一緒に参加できるまでになった子、
入場行進で吹奏楽部の指揮をした子、
応援団で力いっぱい大きな声を出した子、
体が小さくいつも先頭にいて元気な笑顔で踊っていた子、
みんなそれなりに親を楽しませてくれた。

今思えば、運動会の思い出は親の心に残るものではなかろうか。

百色(5.10c)開拓・初登

2022.5.28(土) 日向神:五色岩 23

土曜日なのに午後1時まで仕事をして、軽く昼食をとって車を飛ばし、日向神に着いたのが午後3時。
す~さんも少し前についたばかりだった。

5月25日にボルトを打った五色岩右壁の新ルートの初登をめざす。

もう、登る前から「初登」したような気分。


岩はカラカラ、少し曇って絶好のコンディション。


あっさり初登。
「百色 5.10c B8 26m 緒方」の完成。
「ももいろ」とは、「百本目のルートは五色岩」を略したもの。
実にこのルートは私が開拓した100本目のメモリアルルートになったのである。


第2登はす~さん。
場所は「如月」と「ビッタビタ」の間。
ロープは60mがいる。
第3登は澤田さん。

右壁のアプローチはFixロープを張っていたが、岩が湿っているときは滑りやすいので、す~さんの協力で足場を作った。

平日も五色岩

2022.5.25(水) 五色岩 22

1年に1~2回ある平日の休み。
職場の仲間はゴルフとか言っていたが、私はもちろん山。

5月22日に終了点を打ったプロジェクトにボルトを打つ予定。
暑くなる前に終わろうと早起きして来たが、日向神が近づくにつれて道路に水たまりが出てきた。
どうも昨日、夕立があったらしい。
昨日は皆さん、QDを回収することもかなわなかったのだろう。
道端の「無念」のある壁にはたくさんのQDが残置されていた。


五色岩の近くにはサワガニまで上がってきていた。

南面の五色岩右壁エリアは乾きが早い。

1回シャントで登りボルト位置を確認、2回目は下りながらボルトを8本埋めた。
作業中にスリングが左目を直撃した。いつもはゴーグルをはめているのに油断した。まだ痛い。


【落ちなかったオトシブミ】


【山の仲間 トカゲ】

道端ではQDを回収に来られたIさんらが登られていた。
今日は早く帰って散髪に行こう。


【サイハイラン 根引峠】


【ソメイヨシノ 星原峠】


ハンマーのネジが1個紛失していたので、帰りにホームセンターで合うものを買った。ステン径6mmで40円。

散髪に行ったら、お客さんがたくさん待っておられたので帰った。水曜日が休みの人は多いのか?

庭の草取りをした。

我が家の【クサギカメムシ】

かなりお疲れの五色岩

2022.5.22(日) 五色岩 21

昨日のダム下「ハイドランジャー(5.11d)開拓・初登」は相当疲れた。
朝から疲れが残っているのはよく分かるが、来週末が土日とも山に行けないのでどうしても行かざるを得ない。


【日向神ダム湖の主? コイ】

少しゆっくり来たら、愛のエリアもキャンプ場も車で一杯だ。
五色岩はわずか2台。

10時
重荷を担いでやっと稜線に着く。

【セッコクラン】
花に鼻を近づけて「くんくん」してみるが、匂いはよく分からない。
稜線からラッペルして、予定したあたりに終了点を設置。
下りながら岩の掃除。

12時
昼食後、シャントで登り返しながら掃除。
気温は高いがいい風が吹いてそれほど汗はかかない。
クライミングシューズを履いているのでつま先が痛い。

26mと、けっこう長い。
15時
相当疲れているので下山。


【道端エリアの賑わい ドラレコ映像から】
山友のKさんが首を痛めていた。
「加齢ですか?」と訊いたら「ジムで痛めた」と言われた。
やっぱり、ジムは加齢よりこわい。

帰り道、疲れてゆっくり運転すると眠くなる。
県外からのクライマー諸氏も居眠り運転にはご注意して欲しい。

ダム下2.5階 ハイドランジャー(5.11d)開拓・初登

2022.5.21(土) 日向神:ダム下 29

先週、ダム下2.5階のプロジェクトは濡れていた。
今日は曇り空で暑さもない。

①ラッペルしてシャントで登り返しながらボルト位置を決める。

②なかなかうまく登れないが、「なんとかなりそう!」と自分に言い聞かせてボルトを5本打った。

ビレイは2階で登っていたナカさんにお願いした。

③マスタートライ NG

大フレークのハングを越える。


パワー全開ながら、細かな足置きが要求される。

意外と気合が入って最上部までうまく登れた。
最後のスラブでTr.と違う登り方をしてスリップ。

昼食、岩場の整備

④トライ2 RP(初登)
ハイドランジャー 5.11d B5 10m 緒方」完成。
ビレイヤーはナカさん。

【開拓・初登の軌跡】
2020年12月 3日間(掃除・Tr.トライ)
この頃は核心部をヒールフックで越えていた。
あまりにも難しいので半分諦めて「カニのハサミ岩」へ。

2022年4月 2日間(Tr.トライ)
核心部を右から越えることができた。
フレークにボルトは打てないので開拓が進まない。

本日、フレーク上のプロテクションには固い岩からステンレスワイヤーを垂らすことで解決。
終了点はロープが岩とこすれないように頭上の立ち木からスリングでとっている。

⑤荷物(デポ)の回収
帰ろうとした頃タケシさんがやってきて「3階の開拓用具を回収する」というので手伝った。


「ハイドランジャー」とは地球防衛軍海洋潜航艇ではなく、猫の名前でもなく、5月の花「アジサイ」の英語名である。

ちょっとお疲れの日向神

2022.5.15(日) ダム下 28  日向神 140

先週は雨の日が多く、今日も降り出しそうな空模様だ。

今日はダム下2.5階のプロジェクトAにボルトを打つ。
歩き始めるとドリルやメタル類の入ったリュックがえらく重く感じる。
ダム下2.5階に着くと、プロジェクトは染み出しが滴っていた。
意気消沈して3階へ行くと、既にK1さんが軽快なドリルの音を響かせていた。

①K1さんの開拓手伝い

【エゴノキの枝を手で折っている】

②プロジェクトBにTr.トライ
2年前に掃除して諦めたライン。
下部が強かぶりで全く歯が立たない。

③K1さんの初登ビレイ
気合の入った声が谷間にこだまして、見事に初登。
「セッコクガーデン 5.11a   B6 長友」完成。
一日、否、半日でルートを作ってしまうのが凄い。

セッコクガーデン(5.11a)   F(フラッシュ)
若干あぶない場面もあったがなんとか一撃。

目の前の白い花が「セッコクラン」で、ここより右側の壁はガーデン状態。

昼食前にダム下は下山。


【賑わう八女津姫岩】
どうも宙さんらによる開拓ブームがきているようだ。

次の目的地「愛のエリア」へ上がる。
どうも疲れているので、あまり登らずルートの苔落としをした。

⑤「今日もing」「初歩のレイバック」をラッペルで掃除
かぶっていない所はすぐ苔が生える。


【掃除したての今日もingを登る楠田くん】


【初歩のレイバックを登る楠田くん】


【義理チョコで勘違いを登るナカさん】

⑥愛は勝つ(5.10d) リピート
タケシさんの架けたQDをお借りして登った。


【帰り道に咲くサイハイラン】
以前より株が増えている。来る人が少ないからだろう。


【星原峠のシャクナゲ】
ここのは花株がとても大きい。先週は咲いていなかった。
開花期に通れて良かった。

昨日の草刈りの疲れか、水曜日の筋トレの疲れか、
それとも日々の仕事の疲れか。
今日は体が重かった。
帰りの運転では初めて眠かった。

 

雨の金曜日 2

2022.5.13(金) 徒然 85

GW明けの今週は長く感じた。
特に今年は仕事量が1.3倍ぐらい増えたように感じる。
主な仕事場も3階になり、一日最低5回は階段の上り下りを繰り返す。健康的ではある。

火曜日
通勤途中に農道から県道に出る三差路がある。
この頃、土手の草が繁って見通しが悪くなっていた。
田舎の県道は車のスピードも出ているのでちょっと危ない。
夕方、車のトランクから鎌を取り出して土手の草刈りをした。

【どこに貼るか迷っているシール】

水曜日
雨の日は軽トラで通勤。
まだ連休疲れで県体壁まで行って登る元気はない。
帰ってメトリウスにぶら下がって筋トレ。
ぶら下がり用の丈夫な3段脚立が欲しい。
夜はまたYouTubeで「ウクライナの攻防戦」を見てしまう。

【今年初のウンモンスズメガ】

木曜日
スマホのGoogleの中のGmailというアプリを開いたら、「Maps Timeline」というのがあった。
なんと自分が訪れた町やお店、観光地が克明に記録されていた。
コンビニに何分いたか、車を何分で何キロ運転したか、日向神に何時間いたか・・・。
これはもう驚いた。
もうお忍びで悪いことは絶対できない。
だからみんなスマホに画面ロックとかしているのか!

【これは菊陽のドン〇にしかない】

金曜日
「サバイバル家族 服部文祥」を読了。
どこでも子どもは勝手に育つのがよく分かった。
しかし「アタリ嫁」はいいなあ。
服部氏を「ワンダーフォーゲル部出身の有名人」に追加。

7日にもらって移植した「ドウダンツツジ」がぐんぐん大きくなっているのがとても嬉しい。

ブログ表示数、10万回突破!

2022.5.9(月) 徒然 84

2015年11月14日、ブログ「山へ行って居ります」を開設。
2022年5月8日、ブログ表示数が合計で10万回突破
足かけ6年と半年、2365日での達成である。
単純計算で1日平均42回/日となる。
1日の最高表示数は331回である。

始めたきっかけは思い出せないが、離婚して2週間後に開設しているので何か思うところはあったのだろう。

読者には「朝のトイレでとりあえず1回開いてみる」など日々のルーティンにしている人が約50人おられる。

このブログはWordPressを使った有料Webサイト(月額500円)なので、広告などが入らずシンプルだ。
当初はフェイスブックと連携させていたが、近年は「開拓・初登」したときぐらいはフェイスブックに載せている。

ルート開拓の記録
2015~16年、植木:岩野山で15本
2017年   日向神:サンセットエリアで2本
2018~19年 日向神:愛のエリアで9本、奥壁で1本
2019~21年 日向神:ダム下エリアで9本
2021年   八方ヶ岳:カニのハサミ岩で18本
2021~22年 日向神:五色岩で10本

こうしてみると、ルート開拓の発表をこのブログで行うことが、これまで続けてこられたモチベーションではないか。
山と写真と車の三位一体。
好きなことの話ばかりだから飽きることがない。

【これから飲むコーヒー豆】

ブログを長く続けられた要因に、このブログには「コメントが書き込めない」ことがあるように思う。
この設定は意図したものではなく、気づいたらそうなっていたのである。

「ルート開拓、ありがとうございます。今度は私が登れるルートを拓いてください」
「使わなくなったカラビナがあります。終了点に利用してください」
こんなコメントならば嬉しい限りである。
「ありがとうございます」の一言返信で済む。

「〇〇ルートはどうして8mmボルトなんですか?」
「ドノーマルのロードスターに乗っていて恥ずかしくないですか。カスタムがチープ過ぎ!」
「45歳バツイチ。今度スラブの登り方を教えてくださいな♡」
こんなコメントが来たらメンタルの弱い私はもう返信を考えただけで眠られなくなるかもしれない。

実際、このブログには書き込めないので他のメディアを介して2件のクレームが来たことも事実である。

①4人であるルートに取り付き、ブログには簡単に「4人とも敗退」と記したところ、1人の方が「私は敗退したのではなく、自分から止めたのだ」と言ってこられた。
確かにあまり登られていないルートで、見た目も危なかったので私自身も登るのをやめたのである。
自分の思いや記録をとても大事にされる方だと思い、大いに反省させられた。

②「平日の〇〇エリア駐車場に車が2台あった」と記したことにも怒りのクレームが来た。
これだけの内容で「お忍びクライミングまたはコソトレ」がばれて大火事になられたのだろう。あらためてお詫び申し上げる。

前向きに考えれば7年間で2件のクレームは上等だろう。

【我が家のペット】

とりあえず、表示数10万回突破はうれしい。
単なるブログ(日記)ではあるが、一応読んでもらうことを前提に書いている。
どこかの山で私に会ったら、
「いっせいさん、時々読んでいますよ」
「○○について詳しく書いてください」
「院内の赤い桜、あれは花桃でしょ!」
とか言ってもらえれば、またやる気を持って書き続けることができるだろう。