風邪でダウン

2018.1.17 風邪でダウン

1月15日(月) 午後から発熱。夜には38度に達し、2時間おきに目が覚めた。
1月16日(火) 有休。近くの内科医に行くが、インフルエンザは陰性。「麻黄湯エキス顆粒」を食前に服用する。昼間は37.5度ぐらいで推移したが夜になって39度になった。
1月17日(水) 有休2日目。体温が乱高下するので「カロナール」という頓服薬を服用したら37度まで低下。しかし夜になると38.6度まで上がったのでまた薬を飲んだ。現在は小康状態。

体が丈夫なだけが私の取り柄なのに風邪で仕事を休むとは情けない。
原因は、
①13日(土)の合志市カントリーマラソン大会で、走後に上着を着用せず歩いて車に向かっていたら寒気を感じたこと。
②職場にインフルエンザ罹患者が多かったこと。
明日も熱が下がらないようだったら別の病院に行ってみよう。どうせなら「インフルエンザ」と言われたい。

時間つぶしに読んだ本は①ぼくの短歌ノート(穂村浩) ②鳥肌が(穂村浩) ③クライミング道場(中根穂高) そして④ナンプレ(ダイソー)
「クライミング道場」は、昨年出版された「スポーツクライミング教本」(東秀磯)がほとんどムーブに関する内容だったのに比べ、これはギヤ、ムーブ、トレーニング、その他諸々のかゆいところに手が届く内容で読むだけでも面白い。本当に目からウロコが50枚落ちそうである。

ちなみに下の折れ線グラフは体温の記録である。

 

 

第12回 合志市民健康カントリーマラソン大会

2018.1.13 合志市カントリーマラソン大会

1 期 日 平成30年1月13日(土)
2 会 場 熊本県農業公園カントリーパーク
3 参加者 合志市在住者or市内勤務者
4 参加費 1000円 (大変リーズナブル!)
5 参加賞 バスタオル、ペットボトル、記録賞、イモ天(2枚)、牛乳、抽選会
6 天 候 朝はマイナス3度、昼前には晴れて気持ちよかったが気温は4度。
7 服 装 下はロングタイツ、上は長袖下着にTシャツ、手袋、無帽。自前のランパンは窮屈なので直前に脱いだ。靴はターサー(Japan)
8 記 録 E部門(6km) 27分03秒(29位)
9 感 想
早朝、寒さで目が覚めた。クライミングなら即中止だが、ランニングだとそうもいかない。TVショッピングを見ながら早めの朝食を摂る。
8:45 会場着。受付後は寒いので暖房の入った「男子更衣室」で過ごす。利用者はわずか4名。
9:30   部門ごとに順次走り始める。
11:00 E部門は定刻にスタート。公園内を2周して外道に出て、もどって来て約1周するとゴール。少年野球チームの子どもたちから何度もタッチを求められ気が抜けない。少し前を走る人たちのフォームは膝が上がらずあまり格好良くない。それでも私より速いのだから、私のフォームも知れたものだろう。足が冷たくて靴紐がゆるんだ感覚になりながら走った。
記録は例年通りで満足。1km平均4分30秒程度だ。長袖下着を着ていながらまったく汗をかかなかった。これはウォームアップ不足であろう。
写真を撮っていただいた若い方に抽選会用のナンバーカードを差し上げて早めに会場を後にした。

冬の比叡山マルチ ナックルフェイスFYKルート

2018.1.7 比叡山マルチクライミング

1月6日に「スーパーファイナル」のリボルト作業を行った。
その際に懸案となったのはグレードである。
このルートは「宮崎の岩場クライミングガイド」でⅦ-(5.10b)とある。
実際に登った感触として日向神・野岳なら5.11aはあると感じるがスラブでⅦ+かと言われれば違う感じがする。
そこで、デシマルグレードのついた「ナックルフェイスFYKルート 5.10c」を登ってみることにした。同行は昨日に引き続き松村さん(山嶺)である。
1P目(45m 5.10c) 緒方
出だしの5mがむずかしいとされている。右からか左からか最初は迷った。花崗岩のスラブに足が慣れてくると立てるようになったが、なかなか厳しく空荷で3便出してやっと登った。

これで核心部は終わったと思い荷物を背負って取り付くとこれから上部もなかなか厳しい。しかも「もうピンは少ないだろう」と下から甘く見ていたのでカラビナ類が底をつくぎりぎりのクライミングになった。

2P目(45m Ⅳ+) 松村
3P目(40m Ⅳ+) 緒方
4P目(45m 左5.10b)松村
トポ図のラインと多少違って大きく円を描くように左上していく。後から拓かれたのでわざわざ難しい面を選んでルートにしているようだ。ホールドが多い分選択に時間がかかる。曇り空で寒いが風はないので登るのには問題ない。

5P目(35m 5.5)緒方
大きく右へトラバースしていく。
ルートの後半のプロテクションは終了点以外はまだRCC型ボルトが多い。

6P目(40m 5.9)松村
ナックルピークの右縁を登る高度感のあるピッチで、最後はゆるい斜面を駆け上がると縦走路に達する。

比叡山:スーパーファイナルのリボルト完了

2018.1.6  比叡山リボルト作業

【これまでの経過】
1986年(32年前の夏)
私は当時所属していた熊本クレッテルカメラードの一員として、比叡山のⅠ峰南面「ファイナルスラブ(Ⅵ)」の開拓に携わった。当時の南面では最高のグレードであったと思う。
ところが、技術はなかったが情熱はあった若かりし日の私はその一ヶ月前に単身奥秩父の小川山に乗り込んでいた。そこでは当時の日本最先端の岩場やクライミングに触れることができた。
当時の比叡山はグランドアップによるルート開拓が標準であった。その開拓には崇高な理念と面白みがあるのだろうが、私は「グランドアップで拓いたルートには自ずと限界がある」と思った。
1988年
私は松村史也さん(エルム山の会)と二人で比叡山の掟破り、上からぶら下がってボルトを打つ(フレンチスタイル)やり方でファイナルスラブの右横に「スーパーファイナル(Ⅶ-)」を開拓した。コンセプトは「下からは拓けないルート」であった。
その後
私と松村さんはクライミングから遠ざかっていった。
ファイナルスラブは近年ステンレスボルトにリボルトされたが、スーパーファイナルはその困難さやルートの位置から省みられることはあまりなかったようだ。
2017年4月
あそ望山岳会でクライミングに復帰した私は南面のルートを登った帰りに「スーパー」を登る事を思いついた。今でも登れるのか?
1ピン目(アルミハンガー)までのムーブは体が覚えていてスムーズに行けた。
しかし、核心部になるとプロテクションは錆びて楕円形に伸びたリングボルトであり、しかも5.11程度の力が要求されて敢え無く断念した。
「ファイナル」を登ってクイックドローは回収した。
伸びたリングボルトや残置された敗退ビナからこれまでこのルートにとりついた多くのクライマーの恨み節が聞こえるようだった。
2018年1月6日
山嶺山の会でクライミングに復帰した松村さんと私は「スーパー」のリボルト作業に着手した。下の写真は準備物である。

【作業】
①「ファイナルスラブ」を登って1P目終了点に達する。
②「スーパーファイナル」の終了点を新たに設置する。

③上から下がってステンレスのボルト・ハンガーを設置。
④リードで登り、完成。

予想以上に作業は早く進み、一日で終了した。
プロテクションはステンレスボルト(直径10mm)7本、アルミハンガー2本(下部)、ハーケン1本の合計10本である。
終了点はチェーン2本とカラビナ2枚で、ダブルロープで懸垂は容易だ。
懸案のグレードは私の体感では5.11aであるが、翌日登った「ナックルフェイス・FYKルート 5.10c」を比叡山スラブの基準とすると「5.10d」としたい。

夜は「庵・鹿川」に投宿。
三澤さんに「オガタくんて。君はいったい今まで何をしとったんだね! この田吾作がー!」と10回ぐらい怒鳴られて気持ちよく眠れた。

還暦記念クライミング

2018.1.3  日向神クライミング

本日、私は60歳の誕生日を迎えた。
「おめでとうございます」と言われてもぴんとこないが、
生きてさえいれば誰でもくる還暦でも、元気に迎えることができたことは素直にうれしい。
今日は還暦ということで、赤いTシャツ(熊本城マラソン記念)で登った。

快晴の日向神でも日陰の気温は4度、こんなときは南面で暖かいバルコニーエリアに限る。
同行はあそ望山岳会の会長キーボウさん。
①大蛇山(5.10c) リピート
②テラノ(5.10c) リピート
③14番目の月(5.12a) 敗退
④テラノ(5.10c) クイックドローの回収

「宝くじは買わないと当たらない。5.12はトライしないと登れない。」
ということでダメ元でもトライすると、6ピン目で数え切れないほど落ちた。
9.8mmのロープが8mmぐらいに伸びて細くなった。

指が耐えられなくなって降りてきたら昼飯抜きで午後2時になっていた。
足首を痛めて今日は登らないというキーボウさんに長くビレイをしていただき悪かったが、私にとってはついていたかも。
まあ、「キーボウさんからの誕生日プレゼント」だと自分勝手に思ったりする。
「14番目の月」は完全敗退だったが、5.12にトライしようとする気力・体力が還暦を迎えた日にもあることを確認できた。

家に帰ると「山の形をしたバースデー・ケーキ」が用意してあった。

我が家の宝は「すぴのざうるすは おさかなをたべるんだよ!」と私に恐竜のことを教えてくれる2歳の孫ではなく、横に座る父。
昭和2年生まれの90歳。
宮沢賢治の詩「雨ニモマケズ」の一節、「欲ハナク 決シテイカラズ イツモシズカニワラッテイル・・・・」を地で行く人だ。
30年後、「コウイウヒトニ ワタシハナリタイ」

 

2018 旭志元旦マラソン大会

2018.1.1 第46回旭志元旦マラソン大会

新年明けましておめでとうございます

テレビでは富士山から昇る初日の出を生中継していたが、残念ながら泗水の空は曇っていた。外気温は0度ぐらい、穏やかな元日の朝であった。
ニューイヤー駅伝で旭化成の茂木が先頭を引っ張るのを確認しながら家を出た。
9:30 受付。参加費は200円。今年は駐車場に苦労するぐらい参加者が多い。
10:30 7kmの部スタート。
ウェアは下がロングタイツに短パン、Tシャツ、手袋。風がなくちょうど良かった。
中間部の峠までは往年の名ランナーNさんの後ろに付けていたが下りになったら離された。最後は女性のトップを引っ張る形になった。
記録は29分32秒、54位だった。
昨年が29分31秒、28位だから参加者のレベルが大きく上がった。
昨年の月間走行距離の平均がわずか37kmとまた減って、休日は岩ばかり登っているのにタイムがあまり変わらないのは本当にうれしい。
中学校時代の同級生、岩ちゃんには3分ほど遅れをとったが、あと5年もすれば追いつけると思う。ランニングは習慣だ。

車にもどると、旭化成の4区大六野選手が設楽選手の猛追を受けているところだった。必死に走り5区村山に1位でたすきを渡したところで旭化成の2連覇が見えた。
やっぱり元日の駅伝は旭化成が活躍すると面白い。