「徒然」カテゴリーアーカイブ

高崎山 おさる館!

2024.8.18(日) 尻尾の長いニホンザル 3

九州におけるサルの聖地といえば「サルのイモ洗い行動」で有名な宮崎:幸島と大分:高崎山だろう。
今日はその高崎山を訪れた。

親子で仲良く毛づくろい。
これは、毛に着いた塩をなめているそうである。

まだ0歳児の子ども。
母親のお腹にぶら下がったり、お尻に乗って移動している。
尻尾がかわいい。

垂乳根の母。

本当はナンバー3らしいが、今日はボスザルの席に座る「タツヤ」
ナンバー1と2は他の群れへナンパしに行っているとか。

サル寄せ場では時々小さなエサがまかれる。すると四方八方からサルたちが集まってくる。
この時、観光客が股を広げているとサルが人の股をくぐることがある。これを「サルの股くぐり」と云って非常に幸運の兆しらしい。そしてなんと、私は2頭のサルが股をくぐってしまった。
その他、スタッフの方が「サル社会の構造」等についても解説され大いに勉強になった。

帰りに水族館「うみたまご」の近くにある「おさる館」に寄ってお土産を買おうとした。
すると、おさる館の目玉ともいうべき漫画家の巨匠「宮下あきら」の大きなイラストが掲げてあった。

また出た「尻尾の長いニホンザル」である。
イメージとしては、若くてかわいいメスザルをねらって3匹のオスザルが闘いを始めようという場面か。
この点、スタッフの方の話によると「ケンカをするのはメスと子ども。オスは順位が決まっているのでケンカはしません。メスは順位が決まっていないのでケンカをします」とのこと。
ではオスの順位は何を持って決まるのか? 
これは高崎山に行って勉強して欲しい。

これは館内のお土産屋さんの看板。
宮下あきら先生は東京在住だからニホンザルに長いしっぽを描いても仕方ないが、これは聖地のお土産屋さんの看板としてはいかがなものだろう。
高崎山に来た純真無垢な子どもたちに「ニホンザルの尻尾はクルンと巻いて長いんだ!」と間違った知識を植え付けないか心配する。
【付記】
オスに人気のあるメスザルは、若くてぴちぴちではなく、子育ての実績がある中高年のサルだそうである。
また、パートナーを選ぶ権限はメスが持っているそうである。

なぜ私には岩なのか

2024.8.13(火) 徒然 129

高校・浪人中に九州の主な山(九重山・祖母傾など)は登っていた。
次は、北アルプスの大キレットが目標だった。
宮崎大学1年の春、山岳部の部室をのぞくと部員は2~3名で暗かった。
すると、ワンダーフォーゲル部は学食の前でたくさんの部員が明るく踊りながら、「北アルプス?、今年の夏、行きますよ~💛」と女子先輩が応えてくれて即決した。

ワンゲル部での1年間は私自身、腹ペコ青虫がアゲハチョウになったような大変身だった。
そして、大キレットの夢は2年生の夏にかなった。

ワンゲル部では北アルプスに行く前には「三点支持やロープワーク」を双石山で山岳部から教えてもらっていた。
そして2年生の秋、山岳部に連れられて「双石山:ルンゼルート」を登る機会を得た。初めてのクライミングだった。
帰りの双石山展望台から宮崎市内を見ると、見慣れたはずの景色が違って見えた。
「3年生になったら山岳部へ入ろう!」と思った。
※この「ルンゼルート」では数年前に山岳部員2名が転落死しており、それ以来部員数が減っていた。

ところが、2年生の終わりに次期チーフ(部長)となり、3年生になっても山岳部には入らなかった。

4年生の春。
(2・3年生は春山へ行き、4年生は事実上引退していた)
山岳部3年生の徳留くんから「比叡山で登りませんか?」と誘われた。徳留くんは冬山合宿で凍傷に遭い、春山合宿には参加していなかったので、二人とも暇だったのであろう。

二人で比叡山の南面スラブから始め、ニードル左岩稜などを登った。

ニードルの頭から「肩がらみ懸垂」で降りてきたところ。
シューズは運動靴と、今では考えられない装備だった。

この山行を機会に山岳部に入り、ワンゲル部との二足のワラジを履いた4年生の1年間だった。
宮崎大学山岳部は市内の近くにある「双石山:象の墓場」で練習をした。 部員数も10名近くに増えていた。

これはリングボルトが打たれた垂壁を「あぶみ」で登っているところ。

これは革靴に12本歯のアイゼンをつけて冬山の練習をしている私。
夏合宿は「劔定着~槍穂高縦走」だった。

槍の山頂で当時人気のあった女優「真理アンヌ」さんとの2ショット(?)。

この1年間で槍ヶ岳の山頂は夏、冬、春の3回踏んだ。
(一番右が私)

岩登り(クライミング)の魅力はうまく表現できないが、面白いことであるのは間違いない。
一般的にスポーツはフィジカル(体)、スキル(技術)、メンタル(精神・経験)の配分にそれぞれ妙がある。
パリ五輪を見ても、スポーツクライミングはフィジカルの要素が大きくなって若年化が進んでいる。
対して外岩は3つのバランスが程よく、経験値が体力の衰えをカバーできるところもある。
また、一口に岩登りと言ってもボルダー、ショート、マルチ、沢登り、アルパイン、冬山、アイス、トップロープ、ソロ、ジムオンリーそして開拓などジャンルが多様である。
その分、自分に合った目標を設定しやすい。
今の私は「フリーのショート」がメインである。
何度も何度も失敗して迎えたある日、朝から「今日こそ登れるぞ!」と確信したときのわくわく感は何物にも代えられない。
失敗もある意味楽しい。岩は逃げてなくならない。

フリークライミング、これは他のジャンルに比べても、安心・安全・安価なのがまた良い。
生涯スポーツとしても最良の部類に入るだろう。
今までやってきて良かったと思う。

なぜ私には山なのか?

2024.8.9(金) 徒然 128

夏休みになり、明日の土曜日は日向神に行く予定だ。
しかしどうして私は暇があると山に行くのだろうか。
これまでも時々自分なりに考えてきたが、誰も訊かない(訊いてどうする?)ので、改めてこのブログに残しておこう。

小学校時代
父は狩猟(鉄砲撃ち)や魚とりが趣味だったので、父の後をついて野山を歩くことはよくあった。球技はまったくできず、走るのも遅かったので運動には無関心だった。

中学校時代
中1の春、小6の時の仲間と地元の山、鞍岳(1119m)に登った。山頂近くの樹林帯に馬が2頭迷い込んでいた。
中2の春、同じ仲間でまた鞍岳に登った。樹林帯には馬の骨が散らばっていた。
中3の夏、「修行」と称して一人で鞍岳山頂近くの「馬頭観音堂」に泊まり込む計画を立てて実行した。ところがお堂が見つからず(なんと地図に間違った記載がされていた)、端辺原野の牧場に泊めてもらい、翌日は内牧の親戚の家まで歩いた。なにか、自信をつけた。(中学時代は卓球部に入っていた)

高校時代
自転車で九重山や万年山にまで出かけていた。父がカメラをもらって来て、登る愉しみが増えた。 しんつくし山岳会のガイドブック「九州の山」を手に 山を歩いた。
「孤高の人」や「ドクトルマンボウ青春期」を読んで「単独行」にあこがれた。 受験勉強の傍ら、時々山に登る以外の楽しみはなかった。

【初めての九重山、池の小屋で一泊した】

浪人時代
車の免許を取り、単車を使って由布岳や大崩山に行き、祖母傾縦走、霧島縦走などを行った。
九重山で黒いユニフォームを着たグループに出会い、集団登山にあこがれた。
加藤諦三の文章で「ワンダーフォーゲル部」を知った。 また、「二十歳の原点」の作者:高野悦子もワンダーフォーゲル部だった。

         【 霧島縦走(単独)】

大学時代
入学してすぐワンダーフォーゲル部に入った。(山岳部はちょっと怖かった)

    後立山:鹿島槍ヶ岳にて(後方の白シャツが私)
この後、一人であこがれの徳本峠に新島々から歩いて泊まった。
ワンダーフォーゲル部では南北アルプス、十勝・大雪山、地元のやぶ山なども歩き大変充実していた。

パリ五輪で金メダルをとった女子レスリングの「藤波朱理」選手の父親によると、藤波は小学生の頃とてもドンくさくて自転車にも乗れなかったそうだ。「球技がダメで、レスリングしかなかった」と言っていた。私はなるほどと納得した。
私は小学5年生の時ソフトボールをやっていて、フライを取ろうとしてグローブをはめていない右手の中指と薬指の間にボールが挟まってしまいバリッとやぶけて病院で縫ってもらったことがある。
大人になってサッカー中に女性とボールを同時に蹴って、私だけねん挫したこともある。(これ以来、サッカーはしない)
つまり、
簡単に言うと、山を登る以外何もできなかったのである。

今夜のパリ五輪、スポーツクライミング男子の安楽宙斗は惜しくも銀メダル。
次のブログでは、「どうして私には岩なのか」を記そう。

花咲か爺さんちの「しろ」出生の秘密?

2024.7.4(木) 徒然 127

たまたまだが、今日は有名な昔話「はなさかじい」(よしざわかずお)を読む機会があった。
すると、爺さんが山に行って、「松の木の根元で子犬を拾った」とあった。なるほど、その後隣の欲張り爺さんから殺され、その墓として松の木が植えられ(樹木葬?)て大きく育ち、木臼が作られたとなるので、話の伏線としても分かりやすく、しろは松の木の神様だったのかもしれない。

有名な昔話ではあるが、爺さんと犬の出会いがどうも私の記憶の中であいまいだったので、近くにあった別の本(松谷みよ子)を手に取った。
すると、「じさまは山にしば刈りに、ばさまは川にせんたくに行った。川上から赤と白の箱が流れてきたのでばさまが白い箱を拾い上げ、中から白い子犬が生まれた・・・」
えッ、これは「桃太郎の展開とそっくりじゃね!」と思った。
白い箱だから「しろ」か、と納得の一面もある。

ついでに別の本(おざわとしお)では、子犬は香箱に入っていたとある。香箱とは裕福な家の娘の嫁入り道具らしいから、子犬を箱に入れて流したのは女の人か。
次の本(石崎洋司)では、黒い立派な箱に入っていたとあるからやはり長者の家の子犬か。
また次の本(長谷川摂子)では、じいさんが川で拾ったとある。やはり主人公はじいさんだからなあ。

またまた次の本(稲田和子)では、赤白の箱が川上から流れてきて、ばあさんは「赤の箱」をひろったとなり、(大川悦生)の本でも赤白のうち、赤を持って帰っている。
「なんで赤い箱から白い子犬なんだ!」と叫びたくなった。

結局8冊の本をみたところ、犬が川上から流れてきたのが7つ。
そして箱に入っていたとするのが6つ。流れてきたのは赤白2つの箱とするのが4つ。そして犬が白箱から出てくるのが2つ、赤箱から出てくるのが2つという結果だった。
まあ、昔話の内容は書いた人やお国によって多少の違いがあるのはふつうだが、この有名な昔話が出だしからこうも違っていたとはまったく知らなかった。

ついでに「昔話全集」みたいな本だと、どの本でも「はなさかじい」の話が1番目に収録されていることに気付いた。分かりやすい勧善懲悪の定番設定とストーリー展開の面白さがやはり一番受けるのだろう。
疑問に思ったことが一つ。
それは松の大木である。犬の墓に植えられた松はまたたくまに大木になったらしい。これが20年も30年もかかってはじい様の寿命が足りないので、すぐに大きくなるのは合理性がある。しかし、松の木で「木臼」を作るかな?
一般的に木臼の材料はケヤキである。松脂(マツヤニ)の付いた餅はちょっとまずそう。
最後に、じいさんが灰をかけて花が咲いた枯れ木は「サクラ」だ。とすれば、かけた灰は松の木より桜の木を燃やしたものだとするのはあまりにも話ができすぎか。

尻尾の長いニホンザルがTVに!

2024.6.10(月) 尻尾の長いニホンザル 2

8日(土)の夜、TVの報道番組を観ていたら「尻尾の長いニホンザル」が堂々と出ていた。

TV番組を写真に撮ったもの

このサルは日本の昔話「桃太郎の鬼退治」だからニホンザルだろう。
改めて訴えるが、ニホンザルにこんな長い尻尾はない!

番組の内容は「この頃の絵本では、鬼退治の仕方に暴力性がなくなった」というものだった。
以前は「イヌは鬼の足に噛みつき、キジは鬼の目をつつき、サルは鬼の顔をひっかく」やり方だった。
この頃は「イヌやキジ、サルがギャーギャー叫び、その大きな声で鬼たちはやられてしまった」となっているものがあるらしい。
そして、鬼から「宝物を取り返す」のではなく、仲良くなった鬼から「プレゼントされる」らしい。う~ん。
もともと時代に合ったように物語の内容が変わるのは致し方無い。
もちろん子ども相手の物語だから、
「桃太郎の武器は刀だ。赤鬼を切ると赤い血、青鬼を切ると青い返り血を浴びて桃太郎はみるみるうちに全身ムラサキ色に染まっていった~!」なんて表現はちょっと合わない。
そこで、「トラを殺して皮をはぎ、パンツにするぐらい強い鬼」をどう退治するか、そこに工夫と鍛錬をして仲間と協力する桃太郎を描くことはできないか。

おっと、話の中心がずれてきた。
要はニホンザルの尻尾は短いと言いたいだけだ。
テレビ局にも間違ったサルの絵を流しては欲しくない。

ちなみにニホンザルは「オナガザル科」に分類されている。
それが何故「尾短かザル」になったかという説は後日述べよう。

2024年4月の振り返り

2024.4.30(火) 徒然 126

4年ぶりに異動した。
仕事の内容自体は大きく変わらないが、話す相手が全員違うのでかなり新鮮な1ヵ月であった。
異動前は「相当悪い仕事環境だ」と伝えられていたが、来てみると逆にこちらの方が良い所は多く感じる。
また、地域の役員が回ってきて休日に会議や行事が2日間あった。
そして月末には親戚で葬儀があった。

   庭にはびこる「ワイヤープランツ」

4月はバリエーション(国東半島:清水畑)、フリー(ハサミ岩で5.11bのRP)、開拓(面風の岩場)、県体壁1回など。
山に行く機会がいつもよりも少なかったのは否めない。

そのワイヤープランツで水耕栽培するのがマイブーム

体調面では、珍しく左肩が少し痛んだ。(登り過ぎではない)
昔みたいに「登って治す」みたいなことはしない。
その分、夕方にはスプリント練習を何度か行った。
体重は微増で、理想に近い。
家では隙間時間に股関節を動かすようなことを積極的に行うようになってきた。
また、「目を閉じて片足で立つ」タイムを時々計っている。
認知症の進み具合が分かる指標になるらしい。
昨年の4月は日向神:ハートエリアに集中していたが、今年の目標は定まっていない。
今は「夏休みの四国ドライブ」が漠然とした楽しみ。

この頃カラスがハナミズキの枯れ枝を折って持ち去っていた。ところが今日になってまだ枯れていない枝まで折るようになった。

運転時の視力が落ちてきたので眼科医を受診、左目の「白内障」を告げられた。秋には現代医学の力に頼ろう。

雨の一日

2024.4.21(日) 徒然 125

雨の一日、というだけではなく地域の行事で今日は在宅日。
行事は2時間程度で終わったが、とにかく一日が長かった。
雨で草刈も出来ないし、運動不足で時間を無駄に過ごす感じがとにかく胸の中をむずむずもぞもぞさせる。

① 庭の花でも愛でる

ジャーマンアイリスに雨は似合う。

青系もいい。

② 車でも愛でる

茶色系は品がいい。

今年のRS:ベストフォトに入るかも。
手前のチューリップは片づけるべきだった。

③ 図書館にでも行く
「シルバー川柳」を借りた。
「まっすぐに 生きてきたのに 腰まがる」まだこんな状況には陥っていないが、幾つか身につまされるものがあった。
「アイドルの 還暦を見て 老を知る」
「目覚しの ベルはまだかと 起きて待つ」
「本性が 出るというから ボケられぬ」
「温かく 迎えてくれるは 便座のみ」
最後に、
「靴下を 立って履くのは E難度」に関して言えば、私としては「靴下を立って履けなくなったら岩登りはやめる」覚悟をしている。

④ ステンレス:ハンガーが届く

ウクライナの兵士ではないが、実包がなければ戦えない。
今年もあそ望山岳会からの支援が約束されている。

⑤ ヘッドランプの物色でもする

このナショナル製を真似た安物はなんだ?
しかも「熊本クー・クラックス・クラン?」とは!
ロドキャンの達人(?)と思われている私だが、実は使えるヘッドランプを持っていない。
これまでキャンプの時は普通のハンディライトを使ってきた。
ヘッドランプが必要な山や時間には行動しないのが信条。
しかし、この頃になって「終の山道具」として上等なヘッドランプが欲しくなった。
そこで「山と渓谷 2023年4月号 山岳装備大全」を借りて下調べをして、ネットの情報・クチコミを吟味した。
そこで分かったことは、ネット情報は各会社による「売らんがため」のやらせ記事が横行していることだ。
スペックはどれもすばらしいので、やっぱり山の店に行って実物を手に取り、感覚的なところで決めた方が良いように思えてきた。

雨の日曜日

2024.3.24(日) 徒然 124

早朝から雷雨となって、3月としては記録的な大雨になっている。
それでも散髪と県知事選挙を済ませ、家を出たついでに近くの図書館にも寄ってきた。

               ハナニラ

床屋ではオヤジさんがあまり世間話に乗ってこないのが気になった。
選挙会場では、投票用紙をそのまま箱に入れようとしたら「折って入れてください」と注意を受けた。どうせ箱の中で自然に開く仕組みの紙なのだが。
図書館には新聞をくしゃくしゃにしながら読んで「ゼ~ゼ~ッ!」と病的な息をするおじさんがいた。職員の方にはストレスだろう。

              多肉植物の花

このブログの表示回数「14万回」を3月22日に達成。
直近の1万回は「4ヵ月と21日間」であった。
山で「読んでますよ~」と声をかけていただくと嬉しい。

           ラッパスイセン

4月から、4年ぶりの異動となった。
同じ町内ではあるが、これからいろいろありそうで心がざわつく。とりあえず働き続けたい。

             ニワウメ

1年間空いてまた地域の役員になった。
田舎の人材不足はいかんともしがたい。

         ユリ(カサブランカ)の芽

昨日、ロクパの帰り道に「健康だから登れるのか、登っているから健康なのか」と考えたが、答えは分からなかった。
今年は「走れる体づくり」をしたい。

          スイセン2種

「認知症というのは遅かれ早かれ誰でもなるものだという覚悟を決めること。そのうえで、認知症になるのをできるだけ遅らせることがポイント」  (和田秀樹の老い方上手から)

      アイビーとワイヤープランツの水栽培

暇なときは「筋トレする、本を読む、散歩する」習慣はいつまでも持っていたい。

やっぱり、そうか。

2024.1.25(木) 徒然 123

菊陽町から見た阿蘇山

昨日の大雪で阿蘇はすっかり雪化粧をしている。
朝、通勤途中の畑道ではマイナス6度だった。

昨日は大雪に触発されて過去の「雪にまつわる事故の話」を3つこのブログに書いた。
その確認をスマホで行ったら、記事の下に「凍てつく日」と題した(2021.1.9)の関連記事が付いていた。
それを開いてみると、やっぱりあった、同じような文章が。
雪道での車の事故は私の人生の中でも強烈な部類の出来事なので30年ほどたっても忘れることができない。
だからと言って、3年経つと以前に書いたことを忘れてまた書いてしまう。これはいかがなものか。
年寄りが同じことを何度も繰り返し言って、周りから疎まれることはよくある話だ。私も年をとった証拠かもしれない。
もしかしたら、このブログの熱心な読者ならば「あっ、この話は数年前にも読んだぞ」と思われたかもしれない。
そこはそう、温かい目で見てほしい。(3年後も)

菊陽町図書館近くから見た鞍岳(1119m)

夕方、図書館へ行った。
「55歳から楽しむ人生 楽しめない人生」 石川恭三
「今やる人になる40の習慣」 林 修
この頃は「老後を幸せに生きる指南書」みたいな本を必ず1~2冊は借りる。
その中の幾つかは実践し習慣化していて少し安心する。

「明日死ぬかのように生きろ」は、マハトマ・ガンジーの言葉。
やりたいことはなるべく早く取り組むと、一日を気持ちよく終われるように感じる。

雪道での車の事故 3選

2024.1.24(水) 徒然 122

今日は全国的に大雪だった。
熊本県菊池市の我が家でも庭先には5㎝ほどの積雪がみられた。
迷わず、軽トラ(四駆)で出勤した。

これまで、雪道での大きな事故は起こしていないが、
それでも雪道の車の運転は非常に嫌なものである。
それは以下のような経験による。

【3位】
20歳代の出来事。
夕方から大雪警報が出て、早めに退勤したが積雪はもう1~2㎝。
車は三菱のコルディア(1600ccターボ、2ドア)だった。
畑道の三叉路の手前で余裕を持ってブレーキをかけたが、タイヤがロックしてまっすぐ滑走、壁に当たりそうになりハンドルを切ったら前輪が側溝に落ちて止まった。
近所のレッカー車を呼んで引き上げ、6000円払った。
幸運だったのは、この後の大雪で事故が多発、1時間遅かったらレッカー車が出払っていて引き上げは翌日になったろう。
【2位】
30歳代の出来事。
当時は四駆の三菱デリカに乗っていて、同僚4人で五ヶ瀬スキー場を目指した。
まず、馬見原の雪道で後続の車から追突された。
その後はスキー場の往復をデリカは余裕でこなした。
スキーを終えて、山を下りたら先輩が「ちょっと運転したい」と言い出した。
もう雪も少なくなったので運転を代わった。
たぶん清和村のあたりだったろう、カーブにオーバースピードで入りスリップ、ガードレールに向かって横に滑った。
「もうダメだ!」と思った時、偶然にも車がガードレールの切れ間から空き地に滑り込み180度回って止まった。
まったくの幸運だった。先輩の手が震えていた。
【1位】
20歳代の出来事。
2月に3人で軽ライトバンに乗り合わせ、阿蘇高岳の赤谷~ダイレクト尾根を登った。
そして仙酔峡からの下り、道路は積雪でまだら模様だった。
A君が運転し私とBさんは後部座席にいた。
このライトバンが日陰で雪の多いカーブで滑り、全くコントロールを失い左側の谷間に向かって走った
「もう死ぬ!」と思った時、ガードレール代わりの低い土手に正面からぶつかり、コテンと横倒しになって止まった。
当時、後部座席はシートベルトをする習慣はなく、Bさんは私の下敷きになっていた。私は体重が乗らないように必死で体を支え続けた。幸運にも3人にケガはなかった。
ライトバンは3人で押すと元に戻り、下まで乗って帰れた。
しかし、ラジエターが破損していて焼き付いたらしい。

本日夕方の西の空。
明日は晴れそうだ。