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高校卒業アルバム:驚愕の事実

2025.10.3(金) 徒然 154

先日、高校時代の男友達6人でミニ同窓会を開いた。その席で、「伊藤(仮名)は可愛いかった!」という話題で盛り上がった。ところが、私はその伊藤さんについてまったく見覚えがなかった。(高校時代は教室の隅っこで暮らしていたからなぁ) 
伊藤さんを知らない高校時代とは、何か損をしたような気持になった。そこで今さらだが少しでも青春を取り戻そうと家に帰って「卒業アルバム」を取り出した。
クラスごとの顔写真では伊藤さんが分からない。それではと巻末の住所録から探すことにした。それでも伊藤さんは見つからない。軽く酔っていたので名前の聞き間違いかとも思った。

なかなか賢そうに見える18歳の私

その時、驚愕の事実に気付いた。
私の氏名の漢字と住所が違っていたのである。
緒方一成が「一誠」、住所が「泗水町○○」になっていた。他のみんなの住所は正式に大字の後に正しく番地が記されている。私のだけ大字抜きで小字の○○、番地なしだった。
担任が原本を作製したのであれば氏名や住所を間違うことはない。たぶん、生徒に紙切れを渡して「氏名と卒業後の連絡先」を書かせたのだろう。その日、私は欠席でもしていたのだろうか。

では誰が代わりに書いたのか。私の小字を知っている者は同じ中学校出身者だ。同じクラスで近所のAは大字から書いているので書き様が違う。隣のクラスまで見てみると、これも近所のBが「泗水町○○123」と大字抜きで小字に番地を書いている。小学校からずっと一緒だがBならば私の名前の漢字を間違うこともある。「こいつだ!」と確信した。

更にアルバムを眺めていたら「奥村村」という苗字を見つけた。これはもう完全に奥村の誤植である。また、住所の番地が12345と5桁のものがあり、これはあり得ない。50年ほども昔のことだから印刷会社のミスはよくあった。

今回の卒業アルバムの間違いは、
①私が自分で書いていない (欠席していた?)
②近所のBが頼まれてうろ覚えで書いた(しかたない)
③担任が確認していない(無関心?) 
④印刷会社のミス(担任に原稿の確認を怠った!)
こうして起こったのだろうが50年間実害はなかった、と思う。
氏名や住所が不明瞭では届くべき連絡や郵便物が届かなかった可能性もあるが、それは最初からなかったと同じだから。

あとは「伊藤さん」が誰のことだったのかが謎として残った。
次回の同窓会で確かめてみよう。

栗拾いからのリフレス人工壁

2025.9.30(火) リフレス大牟田8

先日、近所に住むさんちゃんが「栗拾いをしてもいいですか」と訊いてきたので、どうせ放ったらかしの山だから「いいよ」と言った。
すると昨日、さんちゃんが拾った栗をたくさん持って来てくれた。そして何年も手入れをしていない山が気になったので、夕方行って下草を刈り払い機ではらった。また栗を拾ってしまい、 とても食べきれないのでご近所3軒に配った。
それでもって今日も栗拾いに行った。

ごらんの通りの豊作だった。
これは10月1日(水)、県体壁に来られた方で、「ブログを見ました!」と声をかけてもらえた方に配る予定。壁を登らない方でも大丈夫。

天気は良いので岩野山へ行こうとも思ったが、気温30度ではまだまだ無理。1年7ヶ月ぶりに「リフレスおおむた」の人工壁へ行った。

昨日、フィットネスジムで倒立練習をしていたら素足の左足裏をコンセントボックスで打撲、まだ痛む。

今日はSachikoさんとビレイの練習。8の字結びは上手になった。ハーネスもシューズも頂き物がジャストフィットしている。

自宅前のヒガンバナが満開を迎えた。

世界陸上と言えば

2025.9.19(金) 思い出の写真12 ガーデニング19

昨夜は世界陸上東京大会、女子5000m予選などを観た。

TVの画像から

序盤は山本有真と田中希実が先頭を引っ張り気持ちを見せた。
欲を言えば山本の泣きそうな顔で走る姿が見たかった。(サングラスで見えなかった)

世界陸上と言えば、1991年(34年前)の東京大会男子マラソンを思い出す。(この話は以前にも書いたかな? 歳を取ると何回も同じ話をする)

ネットの画像から

谷口浩美(旭化成)が残り3キロの上り坂でスパート! 見事に後続を引き離し日本唯一の金メダルを獲得した。
当時33歳の私はマラソンを始めたばかりだったが、坂を駆け上る谷口の鬼のような形相からそのきつさがよく分かった。
テレビ画面を正座をして観ながら涙が流れた。

マラソン大会で最後のきつい時、「なんだこんな足の痛み、谷口はもっときつかったんだぞ!」といつも思いながら走っていた。

雨の杖立温泉マラソン(30代前半、初めての20km)

菊池郡市陸上記録会(46歳、1500m)

余談だが私は「谷口浩美」に走りで勝ったことがある。
宮崎:尾鈴ロードレース大会を走った後にリザルト(結果表)をみたら、私の3つ下に「谷口浩美(旭化成)」とあって驚いた。
話のオチは簡単で、当時旭化成に谷口浩美と同姓同名の市民ランナーの方がおられたのだ。

彼岸花が咲き始めた

47歳、クロカン練習中に左ひざを痛めてまったく走ることができなくなった。
その後徐々に山歩きから始め、53歳から山岳会に入り約20年ぶりに山の世界に戻ってきた。

コスモスも咲き始めた。後方は赤い実をつけたヤマボウシ。

虹:台風一過

2025.9.4(木) 徒然 152

本日の夕方、熊本地方には見事な虹が出た。
熱低が急に台風15号となって驚かせたが、熊本地方には大きな災いなく過ぎて行った。

西の空はこんな感じ。
しかし今、穂高や碓井峠あたりにいる山友さん方の事を思うと心は落ち着かない。

とりあえず、今度の土日は登れそうだ。

【生物】

先日、庭で見慣れないチョウを見つけた。
調べたら「ルリタテハ」だった。
ルリタテハをこのブログの中で検索すると「秋のガーデニング 2017年9月24日」に当たった。ルリタテハの一度見たら忘れられない幼虫の姿がある。
「そこまでしなくても、誰も食べないよ」と声をかけたくなる。
7年ぶりにうちの庭にもどってきたか。

熊日新聞に掲載:東北の旅

2025.9.1(月) ぶらり旅 徒然

夏に行った東北の山旅、その中でも最大の危機だった「蔵王山スマホ紛失事件」を熊日新聞「読者ひろば」に投稿したところ、8月30日の朝刊に掲載された。

蔵王山 火口湖

♪「蔵王の山男」

色は黒いが気はやさし 胸にファイトの灯がともる
身にはボロをまとえども おいら蔵王の山男
ああ楽しき我が心

お花畑でみる夢は 遠いカンチェかマナスルか
ザイルさばいてあの壁を おいら蔵王の山男
ああ楽しきわが心

なだれとどろく雪道を たどりゃ春風我がほほに
シールはずして雪だるま おいら蔵王の山男
ああ楽しき我が心

百歳体操へ

2025.6.13(金) 徒然150 生物24 読書8

この頃「ミステリーや推理小説」に目覚めてきた。松本清張の「陸行水行」は大分県安心院が舞台となり興味深かった。
昨年、左目の白内障手術をして以来、生活のほとんどは眼鏡なしで過ごせるのだが図書館で借りる本は大活字本が読みやすくて選ぶことが多い。

アジサイ「アナベル」

今日もフィットネスジムに軽トラで向かっていたら、近所のおばさん達に会った。おばさんと言っても皆さん90歳ぐらいのおばあちゃんだ。
「何しょっと?」
「100歳体操の帰りたい」
「あ~、俺もそのうち入るけん」
公民館である「百歳体操」は福祉課主催で無料だろうが、私の行くジムは有料だ。やっていることはたぶん同じようなことだろう。
ちなみに今日はバレトン(バレエ・フィットネス・ヨガの動きを取り入れた裸足で行うエクササイズ)とランニングを行った。
ランニングは1キロ4分ペースで800mを走り切った。

今年も「ダンスパーティー」が咲き始めた。
この花をくれたMさんは今でも時々このブログを開いているだろうか。

今年の新入り。この後どうなるか楽しみ。

午後になると雨も上がったので草取りをした。
ユリの花でササグモがアリ(?)を捕食していた。

これは「ドヨウオニグモ」、たくさんいた。
暑くて湿気が多く、ジムで汗をかき庭で汗をまたかいた。

今夜のデザートは「杏仁豆腐」に取れたて新鮮なブルーベリーをトッピング。

5月の振り返り(退職2ヵ月目)

2025.5.31(土) 徒然149 日向神286 ダム下44 

今日も通勤みたいに日向神:ダム下へ行った。

「カムカムエブリイバディ(5.10b)」を登るアリキチさんとマススさん

今日は一人でラーメンを食べながら岩の掃除でもしようかと思って来たら仲間がいた。

これ幸いと新ルートを試登したりビレイをしてもらい、掃除、ボルト位置決め後に終了点、ボルト7本の設置まで完了してしまった。

後から来たタケシさんがまた何やら作り始めた。
お披露目は明日に。

今日はデイキャンプのつもりで「うまかっちゃん」を作った

退職して2ヵ月が過ぎた。 

ほぼ4月から比べて増えている。しかしその代償として5月前半は体の節々(左ひじ、首筋、左わき腹等)を痛みが回った。
そこでジムではピラティス、ヨガ、バレトンなどのスタジオ・プログラムを選んで疲労の回復や動ける体作りに重点を置いている。

昨日からブルーベリーがとれ始めた

【5月のトピックス】
① 山~隧道エリアで「イマカラダ(5.12a)」を開拓・初登
② ジム~4月から20回通ったので「QUOカード(500円)」ゲット
③ 買い物~洗濯機を13年目で買い替えた
④ ブログ~5月24日、表示数17万回を突破
⑤ 家庭菜園~カライモ、ナス、カボチャ、ミニトマト、ブロッコリーなど
⑥ ロードスター~赤いタワーバー装着

タケシさんから戴いたタワーバーを赤くペイント

本当に走りが変わる。(すぐ慣れるけれど)

⑦ ロードスター~5月31日までの走行距離

しばらくこのままにしておきたい。

マウント合戦

2025.5.9(金) 徒然 148

YouTubeで時々見るのが「森キャンプ浩平」である。
森浩平は自称俳優であるが、実質はバイクツーリング動画の配信で食っているようだ。
で、トライアンフというバイクに乗って行き交うバイクに問いかける。
「君の、何シー?」
「750」
「僕の、1200シーシー」
こんな具合で、バイクの世界では排気量が大きいほど単純にマウントが取れるらしい。

【R32型 GT-R 2568㏄】

山の世界ではどうか。
「日本100名山、達成しました」
これは金と時間に余裕があり、かつ体力と情熱が必要で素直に敬服する。山の世界では一生マウントが取れる。

「5.13、登りました」
「2段、登りました」
これも素晴らしい。しかし、グレードのマウントは危ういところもある。
「あの人、段クライマーなのに5.11でヒーヒー言ってるよ」
と、後ろ指をさされかねない。

【AE86 トヨタ・スプリンタートレノ 1600㏄】

年齢(若年)マウントはどうか。
「あの子、小6(12歳)で5.12が登れるそうだ」
これ、10年前はすごいことだったが、今は「13ぐらい登らないと将来性がないね」などと言われる。
だいたい若い奴はうまいけれど「すぐに腐れる生もの」だからあまり信用されていない。
若ければ良いことはあまりない。

【マツダ NDロードスター 1500㏄】

高年齢マウントはどうか。
「Hさんて、75歳だって。今日は5.10cをリードしてるよ」
「すごいね!」
これは完全にアリだ。
山はもう中高年の世界、いかに長く続けられるかが大事だ。

クライミングは基本的に人と競い合うものではないから、生涯スポーツとしても推していける。
ただし、山中で倒れては人に迷惑をかけるので、「朝から立って靴下が履ける」ことができないならば山に行かないようにと私は考えている。

【MAZDA MX-5 MIATA 1500cc】

昨日、フィットネスジムの更衣室で年配の方に話しかけられた。
「御いくつですか?」
「あ~、67です」
「私は72です」と、勝ち誇ったような顔をされた。
勝手にマウントを取られた。
ジムは少しでも年上だと優越感が得られる所のようだ。

退職1ヵ月目の振り返り

2025.5.1(木) 徒然 147

庭で「ビーッ!」と何かの鳴く声がしたので、外を見るとコゲラだった。枯れかかったハナミズキの枝にやってきた。

退職して1ヵ月が過ぎた。
まだ旅行等にも行っていないのに、予想以上に楽しい。
そこで、この1ヵ月間(30日)を振り返ってみた。

①山行 10回 (日向神7,野岳1,岩野山1,九重山1)
イレブンRP3本(開花宣言、春リンドウの頃、アンダーリンク)
県体壁は2回

②フィットネスジム 10回(RADICAL/POWER 4回)

③草刈り 7回(実家5回)

④図書館 5回(キクロス3,西合志2)

⑤法事 3日(1周忌、通夜 葬儀)

⑥ドライブ 3回(おはくま、長湯、野岳)

⑦年金 いまだ0円 (講師2年間の退職金は出た!) 

⑧整骨院 1回(腰痛) 
 今はひじが痛い。少しやりすぎた感がある。

⑨始めたこと 家計簿つけ、フィットネスジム、片付け

⑩これからすること

5月1日、修理が終わった管理機で畑を15㎡ほど耕してみた。
畑仕事は力が要る。体が動く元気なうちに始めなければいけない。

私のカメラ遍歴~投稿1000回記念

2025.4.24(木)  思い出の写真10 徒然146

今回のブログで投稿数がちょうど1000回に達した。
2015年11月から投稿を始めて10年、つまり1年間で100回ペースの投稿になる。
なにか記念になる投稿にしようと考えたところ、私にとって「山・車・写真」は三位一体をなしているが、これまでカメラについて紹介したことがなかったので、1000回記念としてカメラを取り上げることにした。
また、3月末に退職して家の片づけをぼちぼち始めたところ、ちょうど中古買い取り業者さんが来られたので昔のパソコン台、ファンヒーター、皮ジャンなどと一緒に使わないカメラも出してしまった。
お世話になったカメラの恩に報いるためにもブログの中に記録しておきたい。

① 高校2年

「ヤシカ エレクトロ35」である。
父が職場から譲り受けてきたもので、我が家で初めてのカメラでもあった。フイルムは手巻きで、レンズは35mmの単焦点だった。画像はフラットで深みはなかったが写りは非常に良かった。難点はけっこう重かったぐらい。
このカメラで撮った写真はカテゴリー「思い出の写真」を参照して欲しい。

② 大学3年

「オリンパス OM10」である。
小型、軽量の一眼レフとして当時の山ヤのベストセラーになったモデルだ。
3年時、リーダーとして夏合宿に行く前に思い切って買った。貧乏学生で長期ローンを組んだのでずっと払い続けた記憶がある。
フイルム代、現像・プリント代も高かったのであまりたくさん写真を撮っていない。

針の木岳から下った黒部湖のテン場、カメラを大事そうに持ってテントの周りをうろうろする私。

北海道:十勝岳にて。こんな斜(はす)に構えた写真が多い。
数日前に信州大学思誠寮で登山靴を盗まれ、ハイキング用を履いている。(ワンゲル時代)

3月の槍ヶ岳山頂。
中古で買った長い望遠レンズなど交換レンズを3本も持って行った。若い時は重さが気にならなかったのだろう。(山岳部時代)

③ 29歳

「CANON EOS 10」である。
EOSシリーズの廉価版で、見た目よりも軽く自動焦点だった。
菊池渓谷で花の写真を撮るために高い純正のマクロレンズなどを買い求め、ポジフィルム(スライド用)を使い始めた。
田舎の写真コンテストで入選したこともあった。

1993年当時の日向神ダム事務所。以前は黒木町の小学校だった。今は取り壊されて公民館になっている。
隣には日向神社がある。
この後、家庭の都合でクライマーからランナーになった。

ご存知、カタクリの花。
30代後半からはネイチャーカメラマンの時代。

④ 44歳

「CANON EOS-kiss3L」である。
ポジとネガ2種類のフィルムを使うためにカメラ2台持ちになった。
レンズは中古のタムロン28-300の超高倍率ズーム。

⑤ 46歳

「CANON PowerShot-Pro1 」である。
一眼レフカメラのレンズをいちいちはめ変えたりレンズの重さやかさばることが気になっていた。
そこでレンズ固定、デジタルカード式、バリアングルも付いて接写もやり易そうなこのカメラを買った。
レンズの赤い帯はCANON高級レンズの証。
ところが接写時のピントが合わせにくいことが後で分かった残念な1台。

学校で「カメラクラブ」を立ち上げた頃の1枚。
ファミリーカメラマンの時代。


⑥ 51歳

「CANON EOSkissX3 」である。
ズームレンズ18-55、55-250の2本がセットだった。
このカメラは丈夫で長持ち(10年間)したが、のちにカメラ内部の小さな黒い点が写りこむようになった。(私以外誰も気付かないような点)

熊本クレッテルカメラードで岩は登らず、熊本城・宇土櫓の武者返しを登っていた。(草取りのボランティア)
ちなみにドイツ語でクレッテルは山岳、カメラードは仲間のことで、カメラとは関係ない。

⑦ 61歳

「CANON EOS-M」である。(現行機)
Mはミラーレスのこと。本体は超小型で、大人の手には小さすぎる感じもする。しかし、一眼レフながらなるべくレンズを交換しないようにするため18~150ズームを選択したので重くなった。
画質はあまり良くないが、取り扱いの良さが気に入っている。

今朝の1枚。