戻ってきた日常:日向神

2025.8.15(金) 日向神299 ダム下55

東北の旅から帰ってまず休養、その後は大雨、そして孫守・花火。
終戦記念日の今日、やっと日向神で登るという「日常」が約1ヵ月ぶりに戻ってきた。

アンビバレント(5.11b)をRPされた井ノ口さん。
皆さん雨でクライミングは久しぶりだが、よい休養になったようでいいものを見せて頂いた。

私はほぼ1ヵ月ぶりのクライミングだが、アップで調子が良かったのでイマカラダ(5.12a)にトライ。

体脂肪率6.5%の腕。
以前苦労していた下部は案外うまくこなせたが、上部の被りが全くダメ。しかしダメな中でも新しいムーブで上まで行けたので面白い。まあ、時期が悪いということにしよう。

タケシさんもアンビバレント(5.11b)をRP。
この後、勢いに乗って隧道の向こう側、「夏休み(5.11c)」を初登。(私はオンサイトの為に見に行っていないので写真がないのは残念)

一人で玉虫の写真を撮ったり、下のクラックで試登をしたりしていた。

タケシさんの初登が終わり、第2登をねらって「夏休み」にオンサイトトライ。

ところが、3ピン目あたりからもう両手指がつり始めた!
久しぶりのクライミング、かぶったクラック等のダメージは大きい。「腕がつってからがクライミングだ」という新原さんの言葉を思い出しながらも7ピン目あたりでフォール。

左は岩手限定:宮沢賢治記念館横の山猫軒で買った「アメニモマケズ」キャラメル。
右は鳥取:松葉がにせんべい

【ロードスターの弱点】
① 「海だ!」と思って横を見るとガードレール。
② 大きなお土産が積めないので買えない。

真夏のガーデニング

2025.8.12(火) ガーデニング 18

2週間の旅を終えて帰ると、ナスやオクラ、アサガオや玄関先の花も元気だった。娘がよく世話をしてくれていた。

水槽の魚が増えていた。
ドンカッチョ5匹、ヌマドジョウ5匹、ザリガニ1匹、クロメダカ40匹、グッピー2匹、ハエ3匹、オタマジャクシ3匹、チラノ1頭ぐらいか。

帰ったらとりあえずアジサイの害虫退治から始めた。

アオドウガネ。

マメコガネ。
こんな連中にはキンチョールを押す指にも力がこもって、3倍ぐらいかける。
旅から帰った翌日は100匹いた。その後も毎日30匹は捕殺している。 マメコガネはすぐ死んだふりをしてポロリと葉から落ちて地面に潜ろうとする。
アオドウガネやマメコガネは、このアジサイ畑で生まれ、葉を食べ、交尾して産卵するサイクルがここ3年ぐらい完結している。

庭の草刈り、草取りはもちろん大変。

数年ぶりに草取りをした一角にはヒゴタイが2株、クリスマスローズが3株小さくなって残っていた。

オリヅルランは勝手に増える。

カボチャは売りに出していいぐらいとれた。

2025 夏のぶらり旅:まとめ

2025.8.5(火) ぶらり旅 熊本~青森~熊本

今回の旅のめあては4つあった。
①無事に帰ってくる 
②八甲田山などに登る 
③山寺:立石寺に参拝する 
④頭文字Dの聖地巡礼
一応4つとも納得のできるレベルでうまくいった。

14泊15日で全行程4.914km、一日平均327km走った。

出費は約12万円で、主に移動は下道、テント泊なので半分はガソリン代だった。

標高1000m以上の山は10座登った。(すべて初見)
山の一押しは6日目、山形の鳥海山。観光では10日目、これも山形の立石寺。

天候は「東北地方の梅雨明け10日」をねらったので、ほぼほぼ快晴に恵まれた。東北でも昼間は40度に近くなるので、テン場は出来るだけ標高の高い所を選んだ。

【理想的な一日のパターン】
夕方、トイレのある無料の登山口に着いてテン泊
※次の山の登山口や宿泊地の情報を集める
日の出と共に登山を開始(暑くなる前に)
お昼ごろには下山、近くの温泉に入る
山を下ってスーパーで買い出し、水を補給(4ℓ)
移動して次の登山口へ向かう

これは今回の装備一式ではなく、まったく使わなかった道具たちである。
左下の黄色い箱は非常用ラジオ・ライト。焚火道具が一回も出番なし。虫よけスプレーは2本もっていた。ホットサンド、調味料セット、お皿も不使用。夏山用シュラフ、ソフト保冷バッグ、サブバッグ、保冷水筒、コンデジカメラも要らなかった。
まだまだ「ロドキャン」では荷物が減らせる。


NDロードスターはよく走った。途中2回車を洗った。

オイル交換でディーラーに行ったら「TE37に傷が2ヵ所あります」と言われた。たぶん最終日、氷ノ山の山道(ダート)だろう。(涙)

15日目、氷ノ山そして帰熊

2025.8.4(月) ぶらぶら旅  兵庫~鳥取=熊本

いつも午前3時頃には起きる。テントをたたみ朝食をとる。

きれいな朝焼けだがこれはちょっとあぶない。

大段ヶ平登山口から氷ノ山を望む。もちろん山頂はあの山の先。

この避難小屋も冬季入口は高い。

黒っぽくて柄もある大きなアオダイショウ。

約2時間歩くと、高層湿地帯の向こうに山頂小屋が見えてきた。

山頂避難小屋は新しくて立派、中には囲炉裏もある。すぐ近くに新しいバイオトイレもあるので、紅葉の時期とかに泊まってみたい。

ブナの林の中を下る。
下山途中、両ひざに違和感を感じた。左ひざは月山の頃から下りになると少し痛んだ。
(実は旅の前にトレッドミルで走り過ぎて痛めていた)

帰り道に伯耆大山などあるが下りでひざが痛くなるのはみえているので下山してもまだ午前8時、熊本に帰ることにした。

ところがここから鳥取に向かう県道29号にでるために「但馬アルペンロード」を走ったが、これがなんと今時珍しい砂利道だった。

なんと10kmも続くダートで1回車の腹をこすった。
しかもポンポンはねるあまりにもひどい振動で「BSM異常」というメッセージまで出た。(舗装路に出るとすぐ復旧)
タイヤの空気圧を高速走行に合わせて2.4と高めにしていたからなあ。

鳥取からは高速道に乗って一気に熊本へ向かう。途中、雨が降った。

九州道に入ったら時々ぱらつく曇り空だったが、久しぶりのオープンにしてビクトリーラン。
高速料金約9000円で、午後7時ごろ無事に自宅へもどった。

14日目、笹尾山と御在所岳

2025.8.3(日)  ぶらぶら旅 岐阜~三重~京都~兵庫

岐阜の岩屋ダム湖畔で野営していると暑くて午前2時に汗をかいて目覚めたので、すぐ関ヶ原に向けて走り始めた。


夜明け前の岐阜市では地元の赤いロードスター改の後に付いて爆走。その後、初めて「すき家」の朝定食をたべた。

ところで、笹尾山をご存知の方は相当な日本史通だろう。

写真は笹尾山から見た関ヶ原である。ここは西軍大将石田三成が本陣を置いた山で、今にも火縄銃の音や馬のいななきが聞こえてきそうである。

関ヶ原古戦場「決戦の地」と言われる所。
天下分け目の戦いは午前中、わずか6時間ほどで東軍(徳川家康)の勝利に終わった。
あの宮本武蔵も若い時に参戦したが西軍だったので戦功をあげることはできなかったようだ。

ここから鈴鹿山脈の御在所岳(1212m)をめざした。

途中、意外に人家の近くでサルの親子に会った。

御在所岳は遠目になかなか手強そうである。

御在所岳の近くは日曜日とあってどこも車が停められないほどだった。ここは登山はもちろん、自転車、バイク、ランなど街の人々の身近な野外活動の場なのだろう。
大きな駐車場のある武平峠から登ると山頂まで約1時間であった。

近くに登山ロープウェイもあって誰でも登れる。
有名な岩場「藤内壁」を見たかったがどうも簡単には行けないらしく諦めた。10月にはクライミングでまた来る予定である。

この後、京都の鞍馬山を考えたが京都や大阪の下道は走りたくなかったので、掟破りの高速道に乗って但馬:氷ノ山(ひょうのせん)の登山口、養父(やぶ)まで一気に行った。

途中の沢沿いの山道で見つけたイシガメ。なかなか山が深い。

氷ノ山:大段ケ平登山口は良い所で、トイレは新しいバイオトイレだった。
氷ノ山は「孤高の人:加藤文太郎」がよく登っていた山である。神戸在住の文太郎は氷ノ山を越えて日本海まで「カモシカ登山」をやっていたそうだ。

鳥の写真を撮りに来ている人がいて、
「夕暮れ時、ヨタカが駐車場の広場で砂浴びをする」
というので一緒に見ていたら本当にヨタカがやってきて、「キョキョキョッ」と鳴いた。

13日目、碓氷峠〜松本〜野麦峠

2025.8.2(土) ぶらぶら旅   群馬~長野~岐阜

赤城山を早く出て、「頭文字D」聖地巡礼の旅はもちろん「シルエイティ佐藤真子と沙雪」のホームコース、碓氷峠をめざす。
途中、異様な山体の岩山が見えてきて「妙義ナイトキッズ:R32中里毅」のホーム、妙義山だと分かった。「これはドライブや登山というよりクライミングだろう」と思って今回はパスした。

妙義山から旧道:碓氷峠は近い。
行き交う車もない早朝の旧道は静かだった。

レンガ造りの「めがね橋」は旧鉄道の遺跡で名所になっている。この旧道はコーナーが200近くあり、ナビのないころは物語のように沙雪みたいなナビ係のサポートがいた方がいい。

ここが碓氷峠で、越えれば軽井沢になる。
一休みしていたらスキール音を響かせて1台登ってきた。
シルバーのアウディ2ドア車だった。夏は軽井沢にいて、早朝にこの道を毎日走っている感じだった。

軽井沢の街は道端にもきれいに花が植栽されて品がいい。
朝から黒いベンツのマダムがセブンイレブンで買い物をする。

近くの浅間山には目もくれず松本をめざす。
自分の故郷は、1が熊本、2に宮崎、3が松本と思っていた時期も昔あった。
しかし、松本は何十年ぶりだろう。昔の彼女や元妻に会うぐらいどきどきした。

学生時代にアルプス登山の定宿としてお世話になった旧制松本高校(現信州大学)思誠寮跡地を訪ねた。プレートを見ると昭和63(1988)年に解体され「あがた公園」の駐車場になっていた。

すぐ横の「旧制高校記念館」(無料)に入った。

松本高校と言えば私にとっては「北杜夫」、そしてこの本「どくとるマンボウ青春期」である。高校・浪人中にこれを読んでバンカラな学生生活や北アルプスに憧れた。
大学1年生の夏、北杜夫が住んでいたこの思誠寮に泊まると知った時の喜びは忘れられない。その後も合宿が終わると北杜夫や昔の岳人が歩いた新島々から徳本峠~上高地への道を一人で歩いた。
(北杜夫は卓球部であまり高い山には登っていない)

夏が終わり、大学に戻った私は木造校舎をガランゴロンとお土産に買った下駄で歩いて顰蹙(ひんしゅく)をかった。この下駄で単車に乗っていてお巡りさんに見つかり免停を喰らったことは以前書いた。

【あがた公園 ヒマラヤシーダーの並木道】
合宿後の汚いパンツを捨てた銭湯や打ち上げでいつも行ったトンカツ屋「かつとも」などは巨大なイオンに飲み込まれていた。

真夏の信州路、土曜日ともなれば上高地方面行は渋滞だった。
それでも野麦峠方面に曲がると車は極端に少なくなった。

野麦峠は飛騨:高山と信州:岡谷を結ぶ標高1672mもある重要かつ歩くには昔から困難な所だ。この道標の手前に駐車場があって、旧道(山道)を歩いて峠に行ける。(今回はパス)

ここが訪れる人影もまばらな野麦峠のお助け小屋。
人が少ないとお花が多い。

きれいなホタルブクロが咲いていた。

「あゝ飛騨が見える」の像。
旧道を歩いてきた登山者の団体の中から「背負われているのが大竹しのぶよね」などと聞こえる。

飛騨への下り、ヤマドリ(尾羽が短い?)を見た。

12日目、谷川岳&頭文字d

2025.8.1(金) ぶらぶら旅 群馬

谷川岳の登山口、土合駅。
東京からの下りプラットホームから改札口まで864段の階段を登るモグラ駅で有名。

これは階段を上から見たところ。
重荷を背負って864段、これをウオーミングアップにしていたとか。谷川岳一の倉沢といえば600名ほどもなくなっている魔の山。帰りの汽車に乗れなかったクライマーも多かったろう。

「谷川岳大好き」という埼玉の女性から「ロープウェイは料金が3000円と高いし8時始発は遅すぎる」と言われ、西黒尾根を登ると言われたので一緒に行くことにした。

その前に一ノ倉沢を下から見に行くことにしたがけっこう遠くて一つ手前のマチガ沢までで引き返した。
西黒尾根は日本三大急登の1つらしくベースの早い女性についていくと汗が噴き出した。

西黒尾根を上から望む。
この尾根を「3時間で登る!」と豪語していた女性がそのうち「かったるい」を連発。結局4時間で登り切ったが私も大汗をかいた。

最高点の「オキの耳」は見晴らし最高。眼下に一の倉沢の急峻な谷間が見える。この後小雨が降った。谷川岳の天気は変わりやすいようだ。
ロープウェイを使って天神尾根方面からの登山者は多く、土日は行列ができるらしい。花もヤマユリや白いギボウシ、金色のホトトギスなど多彩。
帰りは田尻尾根を下る埼玉の女性と別れ、ロープウェイを使おうと駅まで行ったが片道1800円と知って私も歩いて下りた。一人ぼっちだったのでサルの家族に出会うことができた。
合計7時間の行動で今日も疲れた。

谷川岳インフォメーションセンターは駐車料金200円でトイレもきれい、車中泊に良いところだが日も高いので移動した。


みなかみ町公共温泉は600円。 地元のロードスターがあったので隣に停めた。そして温泉の中で今夜の宿泊地の情報を得た。

群馬と言えば「頭文字D」の舞台だったところ。谷川岳を無事に終えて、ここからは頭文字Dの聖地巡礼が始まった。
さっそく物語のオープニング「榛名山(秋名山)」へ行ってみた。

下りのスタート地点になる峠の駐車場にあった地図。

ここにはAE86藤原拓海とFD3S高橋啓介の最初のバトルを描いたマンホールがあった。
付近には「秋名スピードスター」みたいな走り屋が何台もいてこっちを見るし、雨も降って来たので下りはゆっくり走った。
勝負所の5連ヘヤピン(実際は4連)の道路は路面をわざとうねらせて速く走れないようにしてあった。
「秋名の下り」は意外と短く、もう一回走ろうかとも思ったがすぐ近くに伊香保温泉があって通行車両は切れることがない。

暗くなり、この後雨は上がる予報だったので温泉で教えてもらった赤城山に向かった。今度は「赤城レッドサンズ:高橋兄弟」のホームコースだ。こちらはカーブがゆるく高速コーナーの連続で面白くない。
人気のない大きな駐車場に着いてテントを立てた。