2020.5.10(日) 思い出の写真 No8
1991(平成3)年
正月は宮崎市で迎え、2日は日向市の「尾鈴ロードレース」を走り、美々津海岸「権現岬」で登る。その後、庵鹿川に行ってパートナーを見つけて比叡山で登る。そんな正月の過ごし方が何年か続いた。
権現岬は暖かく、若い人が集まっていた。
8月に熊本市内で「ODCクライミングコンペ」が行われた。大きな倉庫でリードのできる設備は珍しかった。午前中仕事があって見学だけ。
秋に金峰山・二の岳ボルダーへ行った。
数年前にこのボルダーを登ろうと思い出かけていくと、30年たって周りの杉林が伸びて場所が分からなくなっていた。
この頃、クレッテルで「電動ドリル」を購入したので大観峰の岩場にフェースルートを拓きに行くようになった。
1993(平成5)年
5月、雌鉾岳(庵ルート Ⅶ A0)を戸高さんと登った。
雌鉾岳頂上にて。
この年は電動ドリルを担いでよく大観峰へ行って、フェースルートを拓いた。
すてきなシングルライフ(5.9)
リアラ(5.10b)
復活の日(5.10b)
青大将(5.10d)
ヒラクチ(5.10a)
マムシの皮はぎ(5.10c)
これは「復活の日」で、「岩と雪」にも掲載してもらった。
エリアは松村さんの応援を得て第Ⅳエリアまで広がった。
我が青春の大観峰はクラックとフェースの両方を楽しめ、阿蘇五岳をバックに登るロケーションは最高であった。しかし、アプローチの悪さは致命的で訪れるクライマーは本当に少なかった。
※2016年4月の「熊本大地震」で大観峰の岩場は登攀不能になった。