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13日目、碓氷峠〜松本〜野麦峠

2025.8.2(土) ぶらぶら旅   群馬~長野~岐阜

赤城山を早く出て、「頭文字D」聖地巡礼の旅はもちろん「シルエイティ佐藤真子と沙雪」のホームコース、碓氷峠をめざす。
途中、異様な山体の岩山が見えてきて「妙義ナイトキッズ:R32中里毅」のホーム、妙義山だと分かった。「これはドライブや登山というよりクライミングだろう」と思って今回はパスした。

妙義山から旧道:碓氷峠は近い。
行き交う車もない早朝の旧道は静かだった。

レンガ造りの「めがね橋」は旧鉄道の遺跡で名所になっている。この旧道はコーナーが200近くあり、ナビのないころは物語のように沙雪みたいなナビ係のサポートがいた方がいい。

ここが碓氷峠で、越えれば軽井沢になる。
一休みしていたらスキール音を響かせて1台登ってきた。
シルバーのアウディ2ドア車だった。夏は軽井沢にいて、早朝にこの道を毎日走っている感じだった。

軽井沢の街は道端にもきれいに花が植栽されて品がいい。
朝から黒いベンツのマダムがセブンイレブンで買い物をする。

近くの浅間山には目もくれず松本をめざす。
自分の故郷は、1が熊本、2に宮崎、3が松本と思っていた時期も昔あった。
しかし、松本は何十年ぶりだろう。昔の彼女や元妻に会うぐらいどきどきした。

学生時代にアルプス登山の定宿としてお世話になった旧制松本高校(現信州大学)思誠寮跡地を訪ねた。プレートを見ると昭和63(1988)年に解体され「あがた公園」の駐車場になっていた。

すぐ横の「旧制高校記念館」(無料)に入った。

松本高校と言えば私にとっては「北杜夫」、そしてこの本「どくとるマンボウ青春期」である。高校・浪人中にこれを読んでバンカラな学生生活や北アルプスに憧れた。
大学1年生の夏、北杜夫が住んでいたこの思誠寮に泊まると知った時の喜びは忘れられない。その後も合宿が終わると北杜夫や昔の岳人が歩いた新島々から徳本峠~上高地への道を一人で歩いた。
(北杜夫は卓球部であまり高い山には登っていない)

夏が終わり、大学に戻った私は木造校舎をガランゴロンとお土産に買った下駄で歩いて顰蹙(ひんしゅく)をかった。この下駄で単車に乗っていてお巡りさんに見つかり免停を喰らったことは以前書いた。

【あがた公園 ヒマラヤシーダーの並木道】
合宿後の汚いパンツを捨てた銭湯や打ち上げでいつも行ったトンカツ屋「かつとも」などは巨大なイオンに飲み込まれていた。

真夏の信州路、土曜日ともなれば上高地方面行は渋滞だった。
それでも野麦峠方面に曲がると車は極端に少なくなった。

野麦峠は飛騨:高山と信州:岡谷を結ぶ標高1672mもある重要かつ歩くには昔から困難な所だ。この道標の手前に駐車場があって、旧道(山道)を歩いて峠に行ける。(今回はパス)

ここが訪れる人影もまばらな野麦峠のお助け小屋。
人が少ないとお花が多い。

きれいなホタルブクロが咲いていた。

「あゝ飛騨が見える」の像。
旧道を歩いてきた登山者の団体の中から「背負われているのが大竹しのぶよね」などと聞こえる。

飛騨への下り、ヤマドリ(尾羽が短い?)を見た。