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エンドウォール、初見参!

2023.9.30(土)~10.1(日) 比叡山 6

あそ望山岳会の9月例会山行は比叡山の「エンドウォール」でクラックの練習会だった。
今年、写真トポが発売され今が旬のクラック主体の岩場である。

9月30日(土)
7:00 大津の駐車場に集合。
高千穂の近くで「新平底トンネル」を初めて通った。
随分と比叡山に行っていないことを実感して、後で調べたら2018年以来、5年ぶりだった。
8:45 比叡山駐車場で待機。(約10名集まる)
9:30 Ⅲ峰の先、しめ縄駐車場。(すでに車がいっぱい)
10:00 エンドウォール(1-エリア)
よく踏まれた山道を10分ほど登る。長いアプローチは慣れておらずちょっときつい。
1エリアはすでに先客でいっぱい。左から上部壁に行く。
勇んで仲間がリードで取りつくも、私の番がいつ回ってくるか分からい状態。
右端にTr.が掛けられそうなクラックを発見、幸い下に誰もいないのでロープを下げた。

①エンチャンクラック(5.10b) Tr.

左のワイドクラックが「エンチャン(5.10b)」、右のコーナーが「シン・むささび(5.10c)」

体が3分の1ほど入るワイドクラック。チキンウィングなど、名前は知っていてもどんな腕の使い方か分からない。
使えるのは「根性」のみ!

Tr.で苦悶の表情の私。
後で知ったがこの岩場の看板ルートで、とにかく登り切れば周りから拍手が起きる。

②シン・むささび(5.10c) Tr.
このコーナークラックは右手のハンド、フィストがビシバシ決まり快適だった。

③ うめさんクラック左(5.7) MOS

カムをクラックに差し込む練習にちょうどよい。

④ うめさんクラック右(5.8) MOS

自宅の蔵に眠っていた「棒フレンズ8本」は今でも健在だ。

⑤本霧島(5.10a) Tr.
チムニーからコーナークラック。

⑥黒霧島(5.8) MOS
5.8にしては見た目が悪い。
苦労して登ったら「体の向きを変えると5.8ですよ」と教えられた。う~ん。

夕方から日之影温泉駅に入った。
「エンチャン」を登った者はみんな肩、ひじ、ひざ、くるぶしにひどい擦過傷を負っているが、私は肩に傷がなかった。
これは5月に広島:三倉岳の「ヒップ・クラック」で経験を積んだおかげであろう。
Ⅲ峰近くの片内公民館に投宿(一泊300円)。
夕飯は贅沢にすき焼きであった。 

10月1日(日)
早朝小雨が降り、昨日の疲れもあってか「帰ってもいいか」とも思ったが、昨夕にロープ類を岩場にデポしていた。
今日も入会希望者など10名が集った。

① 本霧島(5.10a) ピンクポイント

昨日のおさらいで、余裕あり。

② 黒霧島(5.8) リピート

登っているのはキーボウさん。

これも昨日のおさらいなのだが、少し舐めてテーピングもせずに取りついたら右手フィストジャムで皮をけずった。
なるほど、ホールドをしっかり見れば5.8のムーブだが、どうも私には相性が良くない。

③ シン・むささび(5.10c) Tr.

これもおさらい。昨日より更に余裕を持って登れた。
キャメロットを2セット、そして写真の「クラック・グローブ」を貸していただけたらいつでもリードしよう。

午後は2-エリアへ登った。
着いた途端、「いっせいさん、どうぞ!」と、面白そうなルートのTr.を渡された。
今や会のナンバー2(年齢)となり、若手がよくいたわってくれる。

④ 婿養子はサラブレッド(5.10a/b) Tr.

一見すると難しそうだが、近づいてみると深いハンドクラックがジグザグに走っていて、ジャムがきれいに決まる。
グローブのおかげで登れた。テーピングだけなら痛いだろう。

⑤ 安全志向(5.10a) Tr.

スラブに走る浅いクラックは棒フレンズでは登りたくない。

⑥ 違う、左じゃない(5.10d) Tr.

「違う、左じゃない」をTr.で登るオカピーさん。

ここをリードするにはトーテムカム(13.000円程度)など、小さなクラックに使えるものがないとできないことがよくわかった


   2日目の集合写真

5.8までは自前の棒フレンズ(40年前の)で登ったが、あとは借り物やTr.での練習になった。
5年間も比叡山に来なかった間に素晴らしいエリアが拓かれていてびっくりした。
また、私とキーボウさん以外はみんな「クラック・グローブ」や新しいカム類を持っていることにもびっくりした。
新しい人々、新しい時代がやってきたことを感じた。

思い出の写真(大学4年 山岳部へ)

2020.5.5(火) 思い出の写真 No3

だいたい大学の部活動は4年生になると引退して後輩に後を託す。ワンゲル部の春合宿に参加することなく、暇だった私は一人で祖母山のウルシワ谷を登り、大障子の縦走などをやっていた。
そこへ山岳部のT君が「比叡山で登りませんか」と声をかけてきた。
2年生の頃、山岳部に連れられて「双石山ルンゼルート」を登り大きな感動を覚えていた私はすぐ話に乗った。双石山の「象の墓場」で簡単な練習をした後、いざ、比叡山へ向かった。
一回目は比叡山南面の定番「第1スラブと第2スラブ」
4月にもう一回行って、「ニードル左岩稜とTAカンテ」

これはニードルの頭から懸垂下降したところ。
シューズは運動靴、下降器はなく「肩がらみ懸垂」、ヘルメットはクライミング用か?
この後、私はワンゲル部に籍を残したまま山岳部に入部した。
この頃は山岳部も全部で10人近くに増えていた。

夏前に双石山で50㎏ボッカ訓練(T君と私以外はバタバタと倒れて行った!)を経て、夏合宿は「剣沢定着~槍・穂高縦走 17日間」だった。

これは剣沢雪渓での「滑落停止訓練」の様子。
八ツ峯や源次郎尾根を登り、初めて「シャリバテ」の経験もした。
最後は涸沢でみんなと別れ、私は単独でジャンダルムを越え、西穂高の縦走で締めくくった。

休みの日は双石山(ぼろいしやま)で練習した。

写真はアブミを使った人工登攀の練習。
「象の墓場」と呼ばれるこの岩場は面白い所だった。

秋には大崩山の広タキスラブや小積ダキ南壁(人工ルート)へ行った。

広タキスラブでリード中、この後5mほど滑落した。
こんなスラブもまだ底の薄い運動靴で登っていた。この落ちたシーンを後ろにいた九大山岳部のK1さんに見られ、今でも誰彼に「広タキですべった」と吹聴するので困っている。彼はクライミングシューズだったのではないか?

冬前に40㎏のアイゼンボッカ訓練。
冬合宿は「北ア:横尾尾根から槍ヶ岳」だった。

中央に槍ヶ岳が見える。
合宿後は単独で中央アルプスに向かい、宝剣~駒ヶ岳を歩いた。
この時初めて雪洞での単独ビバークを体験した。
合宿後の単独行動はなおらない。

大学最後の春合宿は「北ア:東鎌尾根~槍ヶ岳」だった。

これは西岳ヒュッテの冬季小屋を掘り出しているところ。
2時間かけて掘ったのに、中は極寒だった。

快晴の槍ヶ岳山頂。(右端が私)

この後、T君と私は二人で大キレットを越え、北穂高岳山頂あたりでビバークして涸沢岳から新穂高に下った。稜線歩きも寝不足でフラフラして、これは今思ってもかなり危なかった山行である。
T君はその後、フリークライマーから渓流釣り師、そしてマラソンランナーとなった。福岡国際マラソンでも活躍し、川内優輝選手が出るまでは「日本一速い公務員ランナー」だったのではないか。

これは大学卒業式の時の写真。

靴は「ローバーチベッタ:重登山靴」、ズボンは5年はいてつぎはぎだらけになったニッカーボッカー、シャツはワンゲル部のユニフォーム、そして首に巻いた赤いバンダナが泣ける。(精一杯のおしゃれか?)
私にとっては大学の卒業というより、ワンゲル部と山岳部の卒業だった。
翌日の宮崎日日新聞には「山帰りの卒業生もいた」と紹介された。