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東北の旅に影響を与えた本

2025.8.26(火)ぶらり旅 19

今回の旅の一番のめあては「東北の山を登る」ことだった。そして、聖地巡礼的な自分の関心のある所へ行くのは旅の醍醐味の一つだが、その関心がどこから来るのかといえばそれはやはり本や映画、歌、YouTubeだろう。
今回の旅に影響を与えた本などをクイズ形式で紹介しよう。

第1問 「八甲田山」といえば

答えはご存知「八甲田山死の彷徨 (新田次郎)」である。
199名の死者を出した山岳遭難事件を題材にした小説で、映画にもなった。遭難資料館、幸畑陸軍墓地、後藤伍長の像を見に行く案も頭の隅にはあったが、豪雪で有名な酸ヶ湯温泉に行ってしまった。

第2問 「榛名山・赤城山・碓氷峠」

榛名山(秋名山)のコーナー番号標識(ギャラリーがたくさんいる駐車場)

答えは漫画・アニメ「頭文字D」である。
先日、車好きなIさんがこの有名なアニメを知らず、このブログをみて「頭文字D」に関心を持ちアニメを見るようになったと聞いた。そして「碓氷峠を走りに行く」とか、もうびっくり。

第3問 「月山・親不知・立石寺(りっしゃくじ)・一関」を歩いた人とは

もう、東北の旅といえば「奥の細道(松尾芭蕉)」だ。

この本の表紙絵が山形:立石寺。
「閑さや岩にしみ入る蝉の声」を知らない人はいないが、この句が詠まれたところが立石寺であることを知っている九州人は少ないだろう。
月山は奥の細道紀行で芭蕉が登った一番高い山になる。

第4問 「恐山」に行った漫画家とは  ※難問

恐山:三途の河原 「東日本大震災の慰霊碑」

このブログの愛読者なら漫画家「つげ義春」の名前にご記憶があろう。

つげ義春は「ねじ式」等の漫画以外にも旅をテーマにした随筆も書いている。この本の中で、つげは恐山を訪れ宿坊に泊っている。
今回、ブログには載せていないが「八幡平・蒸ノ湯(ふけのゆ)」にも私は立ち寄った。もちろん昔つげが泊った宿である。山の中の1軒宿で本の中でも「地の果て、旅路の果て」、「オンドル式という粗末な馬小屋みたいな浴舎があって」と紹介されていた。
しかし実際は秘湯ブームのためか「1泊2万円」と言われてあっさりと諦めた。近くの「野湯(100円)」も時間制限があって入れなかったのは残念。

第5問 兵庫と鳥取の県境「氷ノ山」に登った単独行者

これもブログの愛読者ならば判るはず。
「孤高の人(新田次郎)」である。誰もが一度は憧れる加藤文太郎の足跡を辿れたのは灌漑深い。

第6問 「尾瀬」を歌った唱歌といえば

童謡「夏の思い出」である。
作詞:江間章子  作曲:中田喜直

夏が来れば思い出す はるかな尾瀬 遠い空
霧の中にうかびくる やさしい影 野の小路
水芭蕉の花が咲いている
夢見て咲いている水のほとり
石楠花色にたそがれる はるかな尾瀬 遠い空

夏が来れば思い出す はるかな尾瀬 野の旅よ
花の中にそよそよと ゆれゆれる浮き島よ
水芭蕉の花が匂っている水のほとり
まなこつぶれば なつかしい
はるかな尾瀬 遠い空

先日、ちょっと気になるニュースが流れていた。
尾瀬の観光客が昔の4分の1に減っているそうだ。
どうも富士山と違って、尾瀬は外国人に人気がないようだ。
ならば水芭蕉の咲く季節に行けるかも。

10日目、立石寺&蔵王山

2025.7.30 ぶらり旅

宮城県:仙台から奥羽山脈を越えて山形県:天童市へ。
途中のお店で地元のおじさんと話すと2~3個の単語しか聞き取れない。どうも「うちの近所はクマやイノシシが出て大変だ」と言っていたように思う。
そして山寺の立石寺(りっしゃくじ)へ。
今回の旅の観光ではメインになるお寺だ。

山寺は地名だが、その名の通り山にある。
奥の院まで行けば山登りの一環としてもよい。

善男善女になでられて黒くなっている。

ここがセミ岩。
「閑さや 岩にしみいる 蝉の声」
松尾芭蕉「奥の細道」のこの句はあまりにも有名だ。
今日も芭蕉の時代と同じようにセミの声が岩に沁み入っていた。異国の人は多いがあまり大声でおしゃべりはせず、みんなセミの声に聞き入っている感じだった。(暑すぎ?)

108の数珠玉を回しながらお願い事をする。

山は奇岩に囲まれ、多くの磨崖仏や石塔、大杉に歴史を感じる。
日本で一押しのお寺さんだろう。
岩は遠目には石灰岩に見えるが軟らかくて彫りやすい凝灰岩。

名物の「いも煮セット」はうまかった。

山寺から蔵王山は近い。
観光地なので登山口を迷い苅田リフト乗り場に車を停めた。
ここで連日の登山の疲れか「リフト」を選択したのが後で大変なことになった。

蔵王山は九州でいえば阿蘇山みたいなところだ。車でも山頂近くまで行ける。

避難小屋も立派で、主峰の熊野岳は1841mと高さもある。

一緒に歩いた若い女性はコマクサを見つけると「かわいい、かわいい」と連呼しながらスマホでたくさん写真を撮っていた。

リフトの近くで女性とは別れ、私は歩いて下りることにした。
山道を歩いていると、道がどうも不明瞭になってきた。リフトがあるので登山道はあまり整備されていないようだ。
「こんな時こそYAMAPだよね」とひとりごちてスマホを取り出すと道はほとんどずれていない。いつでも見られるようにとスマホをズボンのポケットに入れて道らしいところを進んだ。駐車場はもう下に見えている。
しかしだんだん藪がひどくなり、ついには完全なやぶこぎ状態に陥った。クマザサの中を泳ぐようにしてトラバース気味に進み、やっと登山道に出た時、「スマホがない」ことに気付いた。

青くなって「最初から探そう」と思い、登山道を登ると私が迷った所でちょうど3人の若者も迷っていた。
3人に正しい道を教えながらスマホを失くしたことをもらすと、「ちょっと、かけてみましょうか?」と言った。なるほど、その手があったか。さっそく私のスマホに電話をしてもらうが何も聞こえない。
「あっちだ!」「めっちゃ聞こえる!」とは若者たちの言葉。
67歳の耳にはまったく聞こえない着信音が若者たちの耳にははっきりと聞こえるのだ。猛烈なやぶの中、音を頼りに若者が突進して見事にスマホを発見してくれた。

今回の旅、最悪の事態から私を救ってくれた若者たち。
この場を借りて感謝の意を伝えたい。

今日はリフト乗り場駐車場で野営。
噴火時の退避壕を兼ねたトイレは新築であった。
ここは標高が高く、星空観察の聖地でもあるらしい。

4日目、天険:親不知

2025.7.24 ぶらり旅

新潟を目指す途中、北アルプス日本海側の始まりと云われる親不知(おやしらず)に寄った。

急峻な山が日本海まで迫り、昔の旅人は荒れた日本海の海岸を命がけで渡った所だ。松尾芭蕉も難儀したことだろう。

展望台から見ると、4世代の道が分かる。
江戸時代までの海岸線の道。旧国鉄の線路。トンネルを使った一般道。そして高速道路。

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これは明治期に造られた国鉄のレンガ造りトンネル。中はヒンヤリとしている。補助燈や懐中電灯も用意されているので余裕があれば歩いてみたい。

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山と海岸が近いので砂浜でなく丸ゴロ石ばかり。
芭蕉と曽良の二人もここで石を積んだと思う。

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白いホタルブクロがたくさん咲いていた。

新潟市はバイパス道でパスするが、車が多く危ない道だった。
3車線で安全のために少し車間を空けると、横からではなく斜め後ろから割り込みブレーキを踏まされる。思った通り交通事故も起きていた。

月山志津野営場を目指すが、ナビに従うとえらく複雑な道を走らされた。たぶん50km以上無駄に走った気がする。
野営場は閉まっていたので駐車場にて野営。標高が高いと涼しくて快適だ。
今日は親不知以外は「すき屋」とガソリンスタンドに寄っただけの移動日で532km走った。運転に疲れてきたようだ。