私のカメラ遍歴~投稿1000回記念

2025.4.24(木)  思い出の写真10 徒然146

今回のブログで投稿数がちょうど1000回に達した。
2015年11月から投稿を始めて10年、つまり1年間で100回ペースの投稿になる。
なにか記念になる投稿にしようと考えたところ、私にとって「山・車・写真」は三位一体をなしているが、これまでカメラについて紹介したことがなかったので、1000回記念としてカメラを取り上げることにした。
また、3月末に退職して家の片づけをぼちぼち始めたところ、ちょうど中古買い取り業者さんが来られたので昔のパソコン台、ファンヒーター、皮ジャンなどと一緒に使わないカメラも出してしまった。
お世話になったカメラの恩に報いるためにもブログの中に記録しておきたい。

① 高校2年

「ヤシカ エレクトロ35」である。
父が職場から譲り受けてきたもので、我が家で初めてのカメラでもあった。フイルムは手巻きで、レンズは35mmの単焦点だった。画像はフラットで深みはなかったが写りは非常に良かった。難点はけっこう重かったぐらい。
このカメラで撮った写真はカテゴリー「思い出の写真」を参照して欲しい。

② 大学3年

「オリンパス OM10」である。
小型、軽量の一眼レフとして当時の山ヤのベストセラーになったモデルだ。
3年時、リーダーとして夏合宿に行く前に思い切って買った。貧乏学生で長期ローンを組んだのでずっと払い続けた記憶がある。
フイルム代、現像・プリント代も高かったのであまりたくさん写真を撮っていない。

針の木岳から下った黒部湖のテン場、カメラを大事そうに持ってテントの周りをうろうろする私。

北海道:十勝岳にて。こんな斜(はす)に構えた写真が多い。
数日前に信州大学思誠寮で登山靴を盗まれ、ハイキング用を履いている。(ワンゲル時代)

3月の槍ヶ岳山頂。
中古で買った長い望遠レンズなど交換レンズを3本も持って行った。若い時は重さが気にならなかったのだろう。(山岳部時代)

③ 29歳

「CANON EOS 10」である。
EOSシリーズの廉価版で、見た目よりも軽く自動焦点だった。
菊池渓谷で花の写真を撮るために高い純正のマクロレンズなどを買い求め、ポジフィルム(スライド用)を使い始めた。
田舎の写真コンテストで入選したこともあった。

1993年当時の日向神ダム事務所。以前は黒木町の小学校だった。今は取り壊されて公民館になっている。
隣には日向神社がある。
この後、家庭の都合でクライマーからランナーになった。

ご存知、カタクリの花。
30代後半からはネイチャーカメラマンの時代。

④ 44歳

「CANON EOS-kiss3L」である。
ポジとネガ2種類のフィルムを使うためにカメラ2台持ちになった。
レンズは中古のタムロン28-300の超高倍率ズーム。

⑤ 46歳

「CANON PowerShot-Pro1 」である。
一眼レフカメラのレンズをいちいちはめ変えたりレンズの重さやかさばることが気になっていた。
そこでレンズ固定、デジタルカード式、バリアングルも付いて接写もやり易そうなこのカメラを買った。
レンズの赤い帯はCANON高級レンズの証。
ところが接写時のピントが合わせにくいことが後で分かった残念な1台。

学校で「カメラクラブ」を立ち上げた頃の1枚。
ファミリーカメラマンの時代。


⑥ 51歳

「CANON EOSkissX3 」である。
ズームレンズ18-55、55-250の2本がセットだった。
このカメラは丈夫で長持ち(10年間)したが、のちにカメラ内部の小さな黒い点が写りこむようになった。(私以外誰も気付かないような点)

熊本クレッテルカメラードで岩は登らず、熊本城・宇土櫓の武者返しを登っていた。(草取りのボランティア)
ちなみにドイツ語でクレッテルは山岳、カメラードは仲間のことで、カメラとは関係ない。

⑦ 61歳

「CANON EOS-M」である。(現行機)
Mはミラーレスのこと。本体は超小型で、大人の手には小さすぎる感じもする。しかし、一眼レフながらなるべくレンズを交換しないようにするため18~150ズームを選択したので重くなった。
画質はあまり良くないが、取り扱いの良さが気に入っている。

今朝の1枚。