なぜ私には岩なのか

2024.8.13(火) 徒然 129

高校・浪人中に九州の主な山(九重山・祖母傾など)は登っていた。
次は、北アルプスの大キレットが目標だった。
宮崎大学1年の春、山岳部の部室をのぞくと部員は2~3名で暗かった。
すると、ワンダーフォーゲル部は学食の前でたくさんの部員が明るく踊りながら、「北アルプス?、今年の夏、行きますよ~💛」と女子先輩が応えてくれて即決した。

ワンゲル部での1年間は私自身、腹ペコ青虫がアゲハチョウになったような大変身だった。
そして、大キレットの夢は2年生の夏にかなった。

ワンゲル部では北アルプスに行く前には「三点支持やロープワーク」を双石山で山岳部から教えてもらっていた。
そして2年生の秋、山岳部に連れられて「双石山:ルンゼルート」を登る機会を得た。初めてのクライミングだった。
帰りの双石山展望台から宮崎市内を見ると、見慣れたはずの景色が違って見えた。
「3年生になったら山岳部へ入ろう!」と思った。
※この「ルンゼルート」では数年前に山岳部員2名が転落死しており、それ以来部員数が減っていた。

ところが、2年生の終わりに次期チーフ(部長)となり、3年生になっても山岳部には入らなかった。

4年生の春。
(2・3年生は春山へ行き、4年生は事実上引退していた)
山岳部3年生の徳留くんから「比叡山で登りませんか?」と誘われた。徳留くんは冬山合宿で凍傷に遭い、春山合宿には参加していなかったので、二人とも暇だったのであろう。

二人で比叡山の南面スラブから始め、ニードル左岩稜などを登った。

ニードルの頭から「肩がらみ懸垂」で降りてきたところ。
シューズは運動靴と、今では考えられない装備だった。

この山行を機会に山岳部に入り、ワンゲル部との二足のワラジを履いた4年生の1年間だった。
宮崎大学山岳部は市内の近くにある「双石山:象の墓場」で練習をした。 部員数も10名近くに増えていた。

これはリングボルトが打たれた垂壁を「あぶみ」で登っているところ。

これは革靴に12本歯のアイゼンをつけて冬山の練習をしている私。
夏合宿は「劔定着~槍穂高縦走」だった。

槍の山頂で当時人気のあった女優「真理アンヌ」さんとの2ショット(?)。

この1年間で槍ヶ岳の山頂は夏、冬、春の3回踏んだ。
(一番右が私)

岩登り(クライミング)の魅力はうまく表現できないが、面白いことであるのは間違いない。
一般的にスポーツはフィジカル(体)、スキル(技術)、メンタル(精神・経験)の配分にそれぞれ妙がある。
パリ五輪を見ても、スポーツクライミングはフィジカルの要素が大きくなって若年化が進んでいる。
対して外岩は3つのバランスが程よく、経験値が体力の衰えをカバーできるところもある。
また、一口に岩登りと言ってもボルダー、ショート、マルチ、沢登り、アルパイン、冬山、アイス、トップロープ、ソロ、ジムオンリーそして開拓などジャンルが多様である。
その分、自分に合った目標を設定しやすい。
今の私は「フリーのショート」がメインである。
何度も何度も失敗して迎えたある日、朝から「今日こそ登れるぞ!」と確信したときのわくわく感は何物にも代えられない。
失敗もある意味楽しい。岩は逃げてなくならない。

フリークライミング、これは他のジャンルに比べても、安心・安全・安価なのがまた良い。
生涯スポーツとしても最良の部類に入るだろう。
今までやってきて良かったと思う。