2020.5.10(日) 思い出の写真 No5
1985(昭和60)年
2月に阿蘇高岳で赤谷~頂上を3人でめざして遭難騒ぎを起こした。ケガはなかったが下山が夜中になってしまった。小さなミスが重なると大きな事故につながることを学んだ。
夏前に日向神正面壁の八女ルート、鵬翔ルートで人工登攀の練習を積んだ。
8月、「南ア:甲斐駒ケ岳 赤石沢Aフランケ~赤蜘蛛・奥壁左ルンゼ」を登った。
恐竜カンテの人工登攀
山を下りると自衛隊の車両がたくさん集まっていた。その時、初めて「御巣鷹山に全日空機が墜落」した事件を知った。
1986(昭和61)年
この冬も高岳にはよく通った。
ダイレクト尾根の背後には鷲ヶ峰の九州離れした景色が広がる。
そんなある日、仙酔峡からの帰り道に乗っていた車が雪でスリップして谷に突っ込む寸前に横転、一命を取り留める事故に遭った。
夏は奥秩父:小川山に一人で乗り込んだ。
写真はクラックルートのカサブランカ(5.10a)である。
当時の一流クライマーは、夏は小川山、冬は城ケ崎で登っていた。
小川山にはクライミング雑誌に登場する有名人がたくさんいて、もうそれだけで楽しかった。
比叡山ではクレッテルカメラードの「ファイナルスラブ開拓」に携わった。
このころは大観峰でのクラックルート開拓は終わりを迎え、菊鹿町の丸岩で開拓を始めていた。
登っているのは松村さん
年末は「北ア:北鎌尾根~槍ヶ岳」に参加した。
北鎌尾根のP4に達したところで遭難事故が2件発生していた。数日間、天候の回復を待ってヘリコプターに怪我した人をピックアップしてもらったところで時間切れ下山となった。
幾つかの事故を身近に感じ、この後、雪山に行くことはほとんどなくなった。