熊本地震後、初めて「大観峰の岩場」を訪れた。
ミルクロードを「やまなみ」方面から車で近づくと大観峰の南側斜面が大きく崩壊しているのが見えた。
こんなに崩れているのか。
もう、岩場自体が完全に無くなったのか?
ドキドキしながら売店から岩場への踏み跡をたどる。
ブッシュ帯に入ると3年ぶりなので藪こぎになる。
岩場が望める場所にくると「第1エリア」は変わりないが、「第2エリア」は上部が崩壊している。
さらに奥の岩壁は完全に岩雪崩を起こして無残な様相を呈していた。
30数年前、私は社会人山岳会「熊本クレッテルカメラード」に入ってから、毎週のようにこの岩場に通った。
初期のクラックルートの開拓から電動ドリルを使ったフェースルートの開拓と時代は移ったが私の青春はこの岩場と共にあった。岩場も未発表の「第4エリア」まで広がった。
写真は大観峰で最初に拓かれた「カイトが舞うチムニー 5.5 20m」である。
岩場は南面なので夏場は暑かったが冬は北風がまったくあたらず快適だった。
秋の紅葉シーズンも素晴らしく、阿蘇五岳をバックに登るロケーションは最高であった。
「一日1本」を目標にルート開拓を楽しんだ。
しかしこの岩場は上部から下りてくると懸垂下降を強いられる。帰りは疲れた体で重荷を背負って岩壁を登り返さなければならない。
当たり前だがクラックルートはカム類がなければ登れない。
クラックルートのブームが去るとこの岩場を訪れる人はほとんどいなくなった。
1993年、フェースルートの岩場としての再興を図って、「復活の日 5.10b」「青大将 5.10d」「リアラ 5.10c」等のルートを開拓した。
しかし、私自身がその後はクライミングから遠ざかって行った。写真は「復活の日」である。
2011年、長い休眠から覚めた私は「あそ望山岳会」に入会し、さっそく大観峰の岩場の再興を願った。
開拓好きでドリルを持っているK1さんを誘って岩場に行き、懸垂下降地点にステンレスのボルトを打たせてもらった。
2012年には例会山行で大観峰クライミングを企画したり、会でドリルを買って「リアラ 5.10c」のアルミハンガーをステンレスに替えるリボルトや第1エリアの上部にラッペルステーションの設置を行った。
懸垂下降をせずに岩場に行けるルートの探索も行った。
しかし以前のプロテクションは当時のスタンダートだったペツルのアルミハンガーであり、今はクライミング不可になっている。終了点はほとんどがリングボルトの平行打ちで、阿蘇山系特有の腐食の早さがみられる。
今後、お金をかけてリボルトしても登りに来る人はいるのだろうか。
そんなことを考えているうちに、私は日向神でのクライミングの面白さを覚え、大観峰へ足が向くことがなくなった。
2016年4月、震度7の激しい地震は阿蘇山系にも大きな傷跡を残した。
大観峰の各エリアはかろうじて残ってはいるものの、周りの様子からもう登るべきではないだろう。
5月26日、私は5年前に打った下降地点のステンレスハンガーを躊躇なく外した。
また、上部のラッペルステーションも外した。
これらは岩野山の岩場で再利用するつもりである。
さらば、我が青春の大観峰