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2024 通潤橋清掃

2024.8.25(日) 通潤橋清掃

今年も秋の観光シーズンの前に、国宝「通潤橋」の清掃活動に行ってきた。
5:30 我が家をマミリンさんのシエラ(MT)で出発。
6:30 通潤橋:布田神社に到着、無料高速が山都町まで伸びて大いに助かった。

今年は熊本県山岳・スポーツクライミング連盟のあそ望山岳会と八代山の会、そしてAAR(オール阿蘇レスキュー)の合計40名で取り組んだ。
この頃連日のように夕立が来ていたようなので、早く始めて早く終わろうと仕事を進めた。

毎年毎年よく草が生える。

ここは橋の中央、要石に近い所。川面まで約20mほどある。
当然私は草を取ったら上まで登り返す。
今年は秘蔵の「テープあぶみ」を持参した。
これは作業に大変有効で、特に最後マントリングで登りあがるときに足場が作れて楽だった。

午後の放水をねらって観光客も多い。
表に2本、裏に1本の放水口がある。

とても綺麗になった通潤橋をバックにテレビカメラマンのノブアキくんと記念撮影。
今年はKKTが私とダイスケくんを中心に「国宝:通潤橋清掃」の番組を作成する。9月に15分間ぐらいの番組になって放送される予定だ。

今年も昔からの山友である地元の吉岡さんからミニトマトのお土産をいただいた。
結局雨は降らず、隣接の通潤橋山荘が営業を再開したのでしっかり汗を流して帰った。

【付記】
先日、別件で通潤橋を訪れて資料館の隣にある食堂「いしばし」でランチをいただいた。
注文したのはもちろん「通潤橋カレー」である。

草の生えていない真っ白な通潤橋である。お皿の大きさにまず驚かされた。

2022 通潤橋草取り

2022.8.28(日) ボランティア 3

熊本地震で5年ほど中断していた「通潤橋草取り」はコロナ禍に負けず3年連続の実施となった。
矢部とは言わず、熊本のシンボル的史跡なので維持管理は大切だ。

水面までは中央部で約20mある。

中央部は下が川なので、アッセンダーとグリグリで登り返す。

今日はこんな道具立て。
私のアッセンダーは元祖「ユマール」で40年前の物。
ノコ鎌と剪定ハサミは支給品。
橋の上に数10本の螺旋杭を埋め込み、ロープで連結してある。
これを支点にして懸垂(ラッペル)をする。

だいぶん綺麗になった。

午後1時、観光用に放水があった。
本来の目的は送水管の掃除だろう。

上から見るとこんな感じ。

現地の山友、吉岡さんからトマトを戴いた。
帰りに運転しながら4個ほどつまみ食い!

2021通潤橋草取り

2021.8.29(日) ボランティア 2      温泉 4

秋の行楽シーズンを前に、恒例の「通潤橋の草取り」が行われた。
今年は八代山の会、あそ望山岳会、AAR(オール阿蘇レスキュー隊)など約30名が集まった。

1年ぶりの草取り、草や灌木の繁り具合は相変わらずひどい。

暑い中、安全に十分注意してみんな黙々と頑張る。


この辺りは中央に近く、川面まで20mの高さ。


午後には観光用の放水があった。
導水路は3本あるので、表側に2本、裏側に1本出る。

裏側の放水、上から見ると引き込まれそうになる。

午後4時ぐらいまで、正直よく働いた。

レスキュー隊の皆さんは難物であるアーチの下もきれいにされた。すごい技術だ。
側壁もきれいになった。


あそ望Tシャツの赤を着た白ちゃんと昨日は沢登りだったアリキチさん。

終わった後の楽しみは「国民宿舎 通潤荘」の温泉。
毎年無料入湯券が配られる。

中は広くてきれいだ。
けっこうお客さんは多い。

山都町(旧矢部町)はJOC会長山下泰裕氏の故郷。
柔道着や「国民栄誉賞」の賞状等が飾られていた。

【追加の写真】
清掃作業中、下の方で元気よく手を振る人に気付いた。
その時は「女性だね、誰かなあ~」ぐらいしか思っていなかった。
メガネを外していると私の視力は0.5ぐらいなのだ。
夜になったら、たくさんの写真が送られてきた。
山友のさとさんがわざわざ遠くから清掃活動を見に来られていたのだった。
どれもすてきな写真だったのでここで載せよう。


相当の高倍率ズーム!
三脚を使ったのかな。ブレていない。

5年ぶり、通潤橋草取りボランティア

2020.8.23(日) 通潤橋:ボランティア

2016年4月14日の熊本地震で山都町の国重要文化財「通潤橋」は大きな被害を受けた。
それから4年をかけての修復作業が終わり、今年放水も再開された。
山都町教育委員会の依頼を受けて、熊本県山岳スポーツクライミング連盟が草取り作業をボランティアで行うことになった。
2015年の草取り以来、約5年ぶりである。
7月豪雨の影響で今年は自衛隊さんの参加がない。

手前の草が生えていな所が崩れたところだ。
この表面より裏面や下部の草が酷かった。
放水のしぶきのごとく汗を垂らしながら25名はよく働いた。


ここは川の真上なので終わったらアッセンダーで登り返す。
橋の上は手すりなど何もないので、降り始めは緊張する。


普通、女の子は下を見ただけでくらくらする所だ。
あそ望山岳会からは女子だけでも6人の参加があって華やかだった。


江戸時代にこの巨大な導水路としての石橋を作ったことには驚くしかない。

夕方、無事に作業が終わって「通潤荘」の入浴券と記念品のタオルをいただいた。

2020年の東京オリンピックはコロナ禍で延期になったが、JOC会長の山下泰裕氏がこの山都町の出身なので記念のタオルを作られたらしい。
「Heart  of  YAMATO」とは「やまと魂」か?