なぜ私には山なのか?

2024.8.9(金) 徒然 128

夏休みになり、明日の土曜日は日向神に行く予定だ。
しかしどうして私は暇があると山に行くのだろうか。
これまでも時々自分なりに考えてきたが、誰も訊かない(訊いてどうする?)ので、改めてこのブログに残しておこう。

小学校時代
父は狩猟(鉄砲撃ち)や魚とりが趣味だったので、父の後をついて野山を歩くことはよくあった。球技はまったくできず、走るのも遅かったので運動には無関心だった。

中学校時代
中1の春、小6の時の仲間と地元の山、鞍岳(1119m)に登った。山頂近くの樹林帯に馬が2頭迷い込んでいた。
中2の春、同じ仲間でまた鞍岳に登った。樹林帯には馬の骨が散らばっていた。
中3の夏、「修行」と称して一人で鞍岳山頂近くの「馬頭観音堂」に泊まり込む計画を立てて実行した。ところがお堂が見つからず(なんと地図に間違った記載がされていた)、端辺原野の牧場に泊めてもらい、翌日は内牧の親戚の家まで歩いた。なにか、自信をつけた。(中学時代は卓球部に入っていた)

高校時代
自転車で九重山や万年山にまで出かけていた。父がカメラをもらって来て、登る愉しみが増えた。 しんつくし山岳会のガイドブック「九州の山」を手に 山を歩いた。
「孤高の人」や「ドクトルマンボウ青春期」を読んで「単独行」にあこがれた。 受験勉強の傍ら、時々山に登る以外の楽しみはなかった。

【初めての九重山、池の小屋で一泊した】

浪人時代
車の免許を取り、単車を使って由布岳や大崩山に行き、祖母傾縦走、霧島縦走などを行った。
九重山で黒いユニフォームを着たグループに出会い、集団登山にあこがれた。
加藤諦三の文章で「ワンダーフォーゲル部」を知った。 また、「二十歳の原点」の作者:高野悦子もワンダーフォーゲル部だった。

         【 霧島縦走(単独)】

大学時代
入学してすぐワンダーフォーゲル部に入った。(山岳部はちょっと怖かった)

    後立山:鹿島槍ヶ岳にて(後方の白シャツが私)
この後、一人であこがれの徳本峠に新島々から歩いて泊まった。
ワンダーフォーゲル部では南北アルプス、十勝・大雪山、地元のやぶ山なども歩き大変充実していた。

パリ五輪で金メダルをとった女子レスリングの「藤波朱理」選手の父親によると、藤波は小学生の頃とてもドンくさくて自転車にも乗れなかったそうだ。「球技がダメで、レスリングしかなかった」と言っていた。私はなるほどと納得した。
私は小学5年生の時ソフトボールをやっていて、フライを取ろうとしてグローブをはめていない右手の中指と薬指の間にボールが挟まってしまいバリッとやぶけて病院で縫ってもらったことがある。
大人になってサッカー中に女性とボールを同時に蹴って、私だけねん挫したこともある。(これ以来、サッカーはしない)
つまり、
簡単に言うと、山を登る以外何もできなかったのである。

今夜のパリ五輪、スポーツクライミング男子の安楽宙斗は惜しくも銀メダル。
次のブログでは、「どうして私には岩なのか」を記そう。