岩隈山の切通し

2024.8.31(土) ロードスター 85

台風で折れたザクロの木を撤去した。

やっぱり木の芯は空洞になっていた。

最後の実。今年はザクロが食べられないと思うとあの酸っぱさが口の中によみがえる。

台風10号は去ったがまだ岩場は濡れているだろうからドライブ と買い物に出かけた。
まずは「菊鹿町:岩隈山の切通し」へ。

台風による落ち葉や枝が生々しい。
見事な切通しである。

昼間でないとかなり暗そうだ。

八十八体もあったという地蔵群が見守ってくれる。

頭上の青空が狭い。

珍しく「キクロス(図書館)」に寄った。

俵万智もアボカドが好きなのだろう。

台風10号やっと通過

2024.8.30(金) カメラ散歩 23

この台風はえらくゆっくり進むので「台風一過の青空」とはならず、傘をさしての散歩となった。
(午後3時、まだ中心は愛媛県松山のあたり)

カタツムリは梅雨時みたいにたくさんいた。
そういえば「秋雨前線」という言葉がそろそろ聞こえてきそう。

近所の空き家に咲いていた「ルコウソウ」

本田の稲は元気。
以前父は風が吹いたり雨が降ったりするといつも田を見回っていた。

合志川はこんな感じ。
水は濁っているがそれほど増えていない。

カモの番(つがい)がさっと逃げていった。

2年前に竣工したこの橋は何と読む?

私は「こうしがわばし」と読むけれど。

小学校のフェンス。熟したゴーヤに秋を感じる。

緑道にいたカマキリ。カメラを向けると睨まれた。

結局、我が家のザクロが一番の被害だったかな。
まあ、テッポウムシにやられていたのを台風が最後の一押しをしただけ。

まだ食えそうにない。

ブログ表示数 15万回突破!

2024.8.28(水) 徒然 131

本日の未明、このブログ「山へ行って居ります」の表示数が15万回を突破した。
28日午前0時を越えて2人目の方が記念すべき15万回目の閲覧者となられた。夜中になっても見てもらえるのは嬉しいが、「ヤモリのミイラ」なんか見せられては寝つきが悪くなられたかもしれない。

非常に大型の台風10号が接近中!

今年の3月に14万回を記録しているので、計算したら5ヵ月と6日で1万回の表示数になっている。単純計算で平均63回/日となる。

九尾狐のフィギュアかな?

今回、ブログの中の「サイト統計情報」を詳しく開いてみたら、人気記事を表示する機能があることに初めて気付いた。
それを見てみると、ほとんどの表示はホームページとアーカイブからからされていた。
そして「個別のタイトル」から閲覧されているいるものが人気ランキングとなるだろう。

作業用手袋の中で「さなぎ」になろうとしていた幼虫、指にあたってびっくりした

① 熊本の山岳会              2,638回
② 日向神:生き物図鑑           1,284回
③ 八方ヶ岳:カニのハサミ岩でクライミング 1,085回
④ ロードスター乗って半年の感想       871回
⑤ ロードスターあるある10選         801回

「ロードスターあるある10選ね。あれは俺だけでも10回ぐらい読んだぞ!」という方もおられるかもしれない。

上記の幼虫が成虫になった姿「ホシホウジャク」 (写真はネットから)

他には、
⑧ 大円筋         650回
⑬ チャドクガ、恐るべし! 452回 
などは人気の秘密がよく分からない。

これからも山(岩)が好きな人、ロードスターに乗りたい人、虫を好きになりたい人を増やすためにこのブログを続けよう。

2024 夏の思い出

2024.8.26(月) 徒然 130

夏休みが今日で終わった。例年以上に楽しかったようにも感じる。ここで夏のまとめとして、1番○○だったことを記そう。

1番登った
・8月1日、朝から四国の剣山と二郎ぎゅう、夕方には石鎚山に登った。これ、西日本の高い山2位、4位、1位になる。

今夏、初物のゴーヤ

1番の体重減
・8月12日、夏のサンセット3連荘で体重が1.6㎏も減った。これは3日間で回復したが、22日の開拓(ソロ)では1日で1.6㎏減った。
この後、久しぶりに左腰が少し痛くなった。ぎっくり腰になりそうな気配がして用心して過ごしている。
【追記】8月27日、遂に整骨院へ行った。相当こりかたまっていたようだ。

一夏でこんなに伸びたポトス2鉢

1番ほっとした
・8月15日、上内田川に遊びにいったら赤いデジカメが孫によって水没させられた。夜、スイッチを入れたら「カカカカカッ」と音がした。しかし、丸一日乾燥させたら無事に復活した。

百日紅(サルスベリ)

1~3番のパリ五輪
・卓球、左腕を痛めた早田ひなと韓国シン・ユビンの激闘かな。スポーツクライミングでは金メダルを取って喜ぶヤンヤ・ガンブレットを無表情で見る森あいの姿も印象的。女子柔道の角田なつみはクールだった。

このあとどうなるアボカド群

1番の本
楢山節考。たいへん厳しい話が楽しく読めた。この映画はフランスで人気があったという。いつか観てみたい。

マメコガネの交尾

1番の害虫
マメコガネとアオカナブンがアジサイの葉に大量発生。ある日などは一回で60匹ほどやっつけた。この一夏で「ゴキジェット・プロ」をほぼ1缶使った。特定のアジサイにたかっているので、その根元で生まれたものだろう。

豊作の兆しがする太秋柿

1番の買い物
8月17日、ナフコで「難燃チェア・ハイバック」を買った。6780円なり。一応ヘリノックスや他のホームセンターも見て回り、熟考した結果。(8月17日 「木陰で読書」を参照)

部屋で見つかったヤモリのミイラ

1番嬉しかった
剣山の下り、ふと無計画に「行場」方面の道を選んだ。すると、石灰岩のクーロワールやクサリ場があり、うわさだけは聞いていた「キレンゲショウマ」の群生に出会えた。まったく予期しない出会いだったので本当にうれしかった。

キレンゲショウマ

1番の勘違い
車(ロードスター)を洗っていたら見覚えのない小さな傷が右前のバンパーにあった。「あの時だ!」と思い出した。
ある日、公園の駐車場から出ようとした時、右から来た車が私の車の前で停まり、バックで右隣の空スペースに入ろうとした。
ところがなんとなくぎりぎりだったので私は車を少しバックさせた。すると、前の車は更に急な角度で曲がってきたのでまた少し下がって難を逃れた。事なきを得てその場を離れたが、あの時軽くこすっていたのだ!
この話を職場の人に話したりした。
数日して、あの時私が乗っていたのは軽ワゴン車だったことを思い出した。

大型の台風10号が近づく8月26日の夕焼け

思い返すと昨年(2023)の夏は仕事上の小さな心配事が一つあった。しかしその小さな心配事が四国ドライブ中でも頭の中で渦まき、一夏中まったく気持ちが晴れなかった。「あ~、俺はこんな小さなことで悩むなんて、メンタル弱いな~!」と嘆いた。
しかしなんとか対応策が見つかりその後は年度末まで楽しくやれた。
今年(2024)の夏は何のストレスもなく毎日を過ごすことができた。大した計画の実現などはなく、行き当たりばったりの日々であったがストレス(心配事)なく過ごせることの幸せを感じることができた。
今日は少し腰は痛んだが久しぶりに走ってみた。日ごろから軽く体を動かしている方が調子は良いと分かっているので、またリズム感のある生活にもどしていきたい。

2024 通潤橋清掃

2024.8.25(日) 通潤橋清掃

今年も秋の観光シーズンの前に、国宝「通潤橋」の清掃活動に行ってきた。
5:30 我が家をマミリンさんのシエラ(MT)で出発。
6:30 通潤橋:布田神社に到着、無料高速が山都町まで伸びて大いに助かった。

今年は熊本県山岳・スポーツクライミング連盟のあそ望山岳会と八代山の会、そしてAAR(オール阿蘇レスキュー)の合計40名で取り組んだ。
この頃連日のように夕立が来ていたようなので、早く始めて早く終わろうと仕事を進めた。

毎年毎年よく草が生える。

ここは橋の中央、要石に近い所。川面まで約20mほどある。
当然私は草を取ったら上まで登り返す。
今年は秘蔵の「テープあぶみ」を持参した。
これは作業に大変有効で、特に最後マントリングで登りあがるときに足場が作れて楽だった。

午後の放水をねらって観光客も多い。
表に2本、裏に1本の放水口がある。

とても綺麗になった通潤橋をバックにテレビカメラマンのノブアキくんと記念撮影。
今年はKKTが私とダイスケくんを中心に「国宝:通潤橋清掃」の番組を作成する。9月に15分間ぐらいの番組になって放送される予定だ。

今年も昔からの山友である地元の吉岡さんからミニトマトのお土産をいただいた。
結局雨は降らず、隣接の通潤橋山荘が営業を再開したのでしっかり汗を流して帰った。

【付記】
先日、別件で通潤橋を訪れて資料館の隣にある食堂「いしばし」でランチをいただいた。
注文したのはもちろん「通潤橋カレー」である。

草の生えていない真っ白な通潤橋である。お皿の大きさにまず驚かされた。

夏の平日、開拓です

2024.8.22(木) 日向神 237

平日の休みも良し悪しで、クライミングに関しては同行者がいない。ソロでもなんとかしようと日向神へ向かった。
①終了点まで別のルートをソロで登り、Tr.を張る。
②下降しながら掃除
③登りながらボルト位置決め
④下降しながら掃除
⑤ドリルを持って別ルートを登る
⑥下降しながらボルト10本打

高曇りではあったが暑いのは変わらない。
汗をかくとアブが何匹もまとわりつく。
大きな浮岩、泥、ほこりが多量。
足は纏足(てんそく)の拷問。
ボルトを10本も打つと腕がつる。
二重苦、三重苦にさいなまれ、「夏の開拓はきつか~」と改めて思う。
午後3時、予定終了。次回、初登をめざす。

水分不足で軽い頭痛。珍しくコーラで水分補給をした。

シューズとハーネスを洗った。
体重が昨日から1.6㎏も減っていた。

今日は写真の取れ高が少ないので、先日「菊池渓谷」に行った時の写真を載せよう。

人の顔に見えないか。

学研の昆虫図鑑に載っていなかったレアもの「オオアミメエダシャク」

菊池渓谷の清流

高崎山 おさる館!

2024.8.18(日) 尻尾の長いニホンザル 3

九州におけるサルの聖地といえば「サルのイモ洗い行動」で有名な宮崎:幸島と大分:高崎山だろう。
今日はその高崎山を訪れた。

親子で仲良く毛づくろい。
これは、毛に着いた塩をなめているそうである。

まだ0歳児の子ども。
母親のお腹にぶら下がったり、お尻に乗って移動している。
尻尾がかわいい。

垂乳根の母。

本当はナンバー3らしいが、今日はボスザルの席に座る「タツヤ」
ナンバー1と2は他の群れへナンパしに行っているとか。

サル寄せ場では時々小さなエサがまかれる。すると四方八方からサルたちが集まってくる。
この時、観光客が股を広げているとサルが人の股をくぐることがある。これを「サルの股くぐり」と云って非常に幸運の兆しらしい。そしてなんと、私は2頭のサルが股をくぐってしまった。
その他、スタッフの方が「サル社会の構造」等についても解説され大いに勉強になった。

帰りに水族館「うみたまご」の近くにある「おさる館」に寄ってお土産を買おうとした。
すると、おさる館の目玉ともいうべき漫画家の巨匠「宮下あきら」の大きなイラストが掲げてあった。

また出た「尻尾の長いニホンザル」である。
イメージとしては、若くてかわいいメスザルをねらって3匹のオスザルが闘いを始めようという場面か。
この点、スタッフの方の話によると「ケンカをするのはメスと子ども。オスは順位が決まっているのでケンカはしません。メスは順位が決まっていないのでケンカをします」とのこと。
ではオスの順位は何を持って決まるのか? 
これは高崎山に行って勉強して欲しい。

これは館内のお土産屋さんの看板。
宮下あきら先生は東京在住だからニホンザルに長いしっぽを描いても仕方ないが、これは聖地のお土産屋さんの看板としてはいかがなものだろう。
高崎山に来た純真無垢な子どもたちに「ニホンザルの尻尾はクルンと巻いて長いんだ!」と間違った知識を植え付けないか心配する。
【付記】
オスに人気のあるメスザルは、若くてぴちぴちではなく、子育ての実績がある中高年のサルだそうである。
また、パートナーを選ぶ権限はメスが持っているそうである。

木陰で読書

2024.8.17(土) ロードスター84 山歩き42

下界の気温は36度、鞍岳東登山口は標高が約1000mで28度だった。風がそよぎ、エアコンの効いた部屋にいるのと同じだ。
持ってきた本は夏目漱石の「坊ちゃん」、デカ文字文庫で一気に読み終えた。まだ四国ドライブの余韻が残っている。

せっかく来たので山も歩いてみた。

「コバノボタンヅル」は1本だけ。
この頃はグーグルアプリをあてにしている。

イノシシの罠には無線機が付いている。扉が閉まったら連絡が行くのだろう。

「オオセンチコガネ」だろう。

「無動寺跡」まで下りてきた。駐車場からは約1kmのきれいな山道だった。登りではさすがに一汗かいた。

東登山口の辺りも歩いてみた。
「コオニユリ」がまだまだ元気。

白い「ギボウシ」は珍しいかも。

ご存知「吾亦紅」、これは漢字が似合う。
雷鳴が轟き、追われるように下界に下りると気温は依然33度だった。
午後の半日、素敵な時間だった。

真夏の岩野山 Ⅱ

2024.8.14(水) 岩野山 45

真夏の岩野山にあっちゃんや佐賀大探検部が来るというので午後から出かけた。私は今夏2回目である。

真夏の快晴でも若者たちは元気に「カンテ左」を登っている。

「ぺったんこスラブ(5.10c)B6」は午前中なら日陰、午後は熱い!

「夏の思い出(5.11a)B6」は午後から日陰になった。
厳しいのは1ポイント、後半は快適なフェースとカンテ。

「ドミノライン(5.10b)」の出だしはかぶり気味で、私はジャミングを使う。

ここは午前中に日陰となる。

広場の様子が7月27日(ブログ:真夏の岩野山)から大きく変わっていた。相変わらず熊本のTさんがクライマーのためにご尽力されているようだ。
午後4時、雨雲が近づいてきたので下山。
私が家に帰りつくと激しい夕立になった。

なぜ私には岩なのか

2024.8.13(火) 徒然 129

高校・浪人中に九州の主な山(九重山・祖母傾など)は登っていた。
次は、北アルプスの大キレットが目標だった。
宮崎大学1年の春、山岳部の部室をのぞくと部員は2~3名で暗かった。
すると、ワンダーフォーゲル部は学食の前でたくさんの部員が明るく踊りながら、「北アルプス?、今年の夏、行きますよ~💛」と女子先輩が応えてくれて即決した。

ワンゲル部での1年間は私自身、腹ペコ青虫がアゲハチョウになったような大変身だった。
そして、大キレットの夢は2年生の夏にかなった。

ワンゲル部では北アルプスに行く前には「三点支持やロープワーク」を双石山で山岳部から教えてもらっていた。
そして2年生の秋、山岳部に連れられて「双石山:ルンゼルート」を登る機会を得た。初めてのクライミングだった。
帰りの双石山展望台から宮崎市内を見ると、見慣れたはずの景色が違って見えた。
「3年生になったら山岳部へ入ろう!」と思った。
※この「ルンゼルート」では数年前に山岳部員2名が転落死しており、それ以来部員数が減っていた。

ところが、2年生の終わりに次期チーフ(部長)となり、3年生になっても山岳部には入らなかった。

4年生の春。
(2・3年生は春山へ行き、4年生は事実上引退していた)
山岳部3年生の徳留くんから「比叡山で登りませんか?」と誘われた。徳留くんは冬山合宿で凍傷に遭い、春山合宿には参加していなかったので、二人とも暇だったのであろう。

二人で比叡山の南面スラブから始め、ニードル左岩稜などを登った。

ニードルの頭から「肩がらみ懸垂」で降りてきたところ。
シューズは運動靴と、今では考えられない装備だった。

この山行を機会に山岳部に入り、ワンゲル部との二足のワラジを履いた4年生の1年間だった。
宮崎大学山岳部は市内の近くにある「双石山:象の墓場」で練習をした。 部員数も10名近くに増えていた。

これはリングボルトが打たれた垂壁を「あぶみ」で登っているところ。

これは革靴に12本歯のアイゼンをつけて冬山の練習をしている私。
夏合宿は「劔定着~槍穂高縦走」だった。

槍の山頂で当時人気のあった女優「真理アンヌ」さんとの2ショット(?)。

この1年間で槍ヶ岳の山頂は夏、冬、春の3回踏んだ。
(一番右が私)

岩登り(クライミング)の魅力はうまく表現できないが、面白いことであるのは間違いない。
一般的にスポーツはフィジカル(体)、スキル(技術)、メンタル(精神・経験)の配分にそれぞれ妙がある。
パリ五輪を見ても、スポーツクライミングはフィジカルの要素が大きくなって若年化が進んでいる。
対して外岩は3つのバランスが程よく、経験値が体力の衰えをカバーできるところもある。
また、一口に岩登りと言ってもボルダー、ショート、マルチ、沢登り、アルパイン、冬山、アイス、トップロープ、ソロ、ジムオンリーそして開拓などジャンルが多様である。
その分、自分に合った目標を設定しやすい。
今の私は「フリーのショート」がメインである。
何度も何度も失敗して迎えたある日、朝から「今日こそ登れるぞ!」と確信したときのわくわく感は何物にも代えられない。
失敗もある意味楽しい。岩は逃げてなくならない。

フリークライミング、これは他のジャンルに比べても、安心・安全・安価なのがまた良い。
生涯スポーツとしても最良の部類に入るだろう。
今までやってきて良かったと思う。