ハサミ岩:アジサイの季節

2021.6.6(日) カニのハサミ岩 33

山の神方面で災害対策の道路工事が始まったので車は手前に停めてしばらく歩いた。
今後は矢谷キャンプ場から八方ヶ岳林道を歩いた方がまちがいなかろう。
駐車場から山下・石松組と歩いた。
木・金で相当降ったがハサミ岩の乾きは早い。
先週に続いて西稜エリアは賑わっていた。

私は一人で第2ルンゼエリアへ行き、先週フィックスを張ったところからトップロープを下げて大掃除をした。
午後3時すぎにアリキチ・マスス組が来たのでビレイをしてもらった。

なんとかノーテンで登れた。


下から見るとこんな感じ。
夏でも日陰で、遊べそうだ。
来週はボルトを打って初登をめざす。

今日は山下さんがフェイクスラブとプロローグの間にあるオープンプロジェクトを初登された。ルート名はまだ決まっていないがグレードはハサミ岩初の5.12aになる

今日も新しい生き物たちが動いていた。

「オオゴマダラエダシャク」


「マエキヒメシャク」


「カラスビシャク」の群生があった。


山の神集落はアジサイが盛りである


[ベニガク?」
今日見つけた一番珍しいガクアジサイ。

大丈夫か? 俺

2021.6.5(土) ロードスター 30

雨上がりで、家の用事もあったので「朝食キャンプ」だけにした。
竜門ダムを目指していたが、「鞠智城」の看板が目に入ったので左にハンドルを切った。
鞠智城はその昔、元寇に備えて兵士の食料調達基地として整備されたらしい。

復元された鼓楼の後ろには八方ヶ岳が近い。
公園として非常によく整備されている。

ここを折り返し点とする「あんずの丘マラソン大会」は何回も走った。
さて、いつものカセットコンロを出して、お茶でも飲もうかとした時、コッフェルを持ってきていないことに気付いた。
ホットサンドの材料やコーヒー粉はしっかり準備したのにお湯を沸かすコッフェルがない。
コンロを出して、やっと今ごろ気づくなんて。
「大丈夫か? 俺」と、一人つぶやいた。
朝食は帰って食べた。

草取りをしていたら変な虫を見つけた。

「ワタムシ」という。
何に化けているつもりなのだろうか。
白いので結構目立っているぞ。

「キアゲハ」も飛んできた。

今日は早朝ドライブ、トイレ掃除、草取り、草刈り、図書館と充実した。

明日は晴れ。

ワンダーフォーゲル部

2021.6.3(木) 徒然 58

「ワンダーフォーゲル部」
この懐かしい響き。
わが青春の1ページ、というよりも「我が青春そのもの」である。
この学生時代4年間の「ワンダーフォーゲル部」で培ったものが大きく私の人生に生きている。

ところで、ワンダーフォーゲル部出身の有名人といえば誰だろう。

①加藤泰三(社会学者・評論家)
私が高校3年生の頃、「蛍雪時代」などに若きリーダー的な立場から若者の進むべき道をよく説いていた。その中には、彼自身が大学のワンダーフォーゲル部(東大?)での活動から得た経験や知識が入っていた。
私が「ワンダーフォーゲル」という言葉と初めて出会ったのは彼の文章からだった。

②高野悦子(「ニ十歳の原点」の著者)
この本は著者が大学3年生の時、全共闘運動のなかで自殺するまでの日記である。学生運動がピークに達したころではあるが、彼女が立命館大のワンダーフォーゲル部に入っていたという記述がある。
もしもの話だが、彼女が日本アルプスの山々を仲間と共に歩いていたら少なくとも自殺はなかったのではないか。

③穂村弘(歌人・随筆家)
北海道大学に1年間いて、その時にワンダーフォーゲル部に所属している。北海道の山はヒグマもいて、彼にはあまり山歩きが合わなかったようで、その時の経験は時々自虐ネタで出てくる。
その後は上智大を卒業している。

以上3名のみ。

【追記 2022.5.12 】
④服部文祥(サバイバル登山家)
学生時代は都立大ワンダーフォーゲル部。「岳人」編集部に参加してカラコルム、K2に登る。狩猟や渓流釣りをYoutubeにアップし、サバイバル関係の著書も多い。
奥さんは女子美大のワンダーフォーゲル部だった。


新しいぺツルのハンガーはキラキラと光っていない。
「いぶし銀」とはこんな状態ではないか。

お風呂の思い出

2021.6.1(火) 徒然 57

6月を迎え、暑くなると疲労感も高まり帰宅後のお風呂が一番の楽しみになる。
ところで、入浴は非常にプライベートなことであり、家族ごとの文化があり、何かとカルチャーショックを受けやすいものである。
そんなお風呂での思い出を3つ紹介したい。

【本文とは関係のない写真】

①スターの入浴法
もう50年ほど前のことである。
テレビ番組で「スターのお風呂紹介」的な番組があった。
そのスターの自宅は都会の一等地にあり、なんとお風呂は2階にあって天井はガラス張りだった。
まあしかし、この程度は昔でも驚くにあたらない。
そのスターは、カメラの前でこう言った。
「寒い冬は、湯舟のお湯を床にぱーっと撒いてお風呂場を温めます」と。
えっ、まだ誰も入っていないきれいなお湯をパーッとまく?
当時の私にとっては、それはすごい贅沢にも思えたしすごい無駄遣いにも思えた。
さすがに都会のスターはちがうな、と思った。
今ではヒートショックを防ぐためにお湯を撒く方法は常識化しているようだ。

②知人宅のお風呂場
もう30年ほど前のことである。
新築の知人宅に寄ったら、お風呂に入るよう勧められた。
ちょうど仕事帰りで汗をかいていたからかもしれない。
きれいなお風呂場に入ったら、壁に真新しいナイロンたわしが3本かかっていた。
その家は夫婦と小学校6年生の女の子がいた。
ナイロンたわしは「桃、青、黄」の色違いが3本。
当時私は5人家族だったがナイロンたわしは1本だった。
この家は3人で3本。
どの色のたわしを使ったかは覚えていない。

③足の裏
もう20年ほども前のことである。
私はよく家人と一緒にお風呂に入っていた。
ある日、家人は言った。
「あなたは、足の裏を洗わないの?」と。
えっ、足の裏って洗うのか?!
言われて初めて私は足の裏を洗わずに湯舟に入っていたことに気付いた。
もちろん、くるぶしや足の指の間など汚れそうな所はしっかり洗っていた。しかし、足の裏を洗う習慣はなかった。
子どもの頃いつも一緒に入っていた家族の誰もが足の裏は洗っていなかったと思う。
家人はいつの頃からか「この人は足の裏を洗わない人」という目で見ていたのだろう。
しかし、40年間洗ったことのない私の足の裏はとても柔らかくきれいで、ずっと洗い続けてきたであろう家人の足の裏は角質化してとても硬かった。

他にも「湯舟には右足から入る」と決めている人に会ったことなどいろいろあるが、上記の3つの話は何故か私の心に深く残っているものである。
ちなみに、私の高校時代の夢は「シャワーのある家に住むこと」だった。
私の夢はかなった。