2020.5.10(日) 思い出の写真 No7
1988(昭和63)年
前年、宇土に転勤・引っ越しをしたので近場の黒崎海岸で開拓をした。
これはスクワットの体勢から一気に上のホールドを取るルート。
仕事仲間の若者を誘って通った。
6月には松村さんに「筑紫耶馬渓」を案内していただいた。
あえぎのトラバース(5.10a)
夏は松村さんと「庵・鹿川」を拠点にして比叡山南面スラブで開拓を行った。
グランドアップがお決まりの南面スラブにフレンチ式で拓いたのが「スーパーファイナル」である。
このルートは高難度の割にプロテクションがリングボルト(当時は標準)だったので、2018年(30年ぶり)に松村さんとステンレスにリボルトした。
11月3日、文化の日はよく根子岳に行った。写真は縦走して西峰から。
1988(平成元年)
夏には山口の「陶ヶ岳」に行った。
ホワイトハウス(5.11b)を登る松村さん。
松村さんとは行縢山でルート開拓を行った。
行縢山駐車場にテントを張っての焚火。
最高に楽しい時だった。
1990(平成2)年
5月に「第1回九州ロッククライミング大会in比叡」が開催された。
優勝は寺島由彦氏か。ルートの大きさとハングには驚かされた。
私はBクラスで予選落ち。
夏には行縢山・奥壁でのルート開拓が終わった。
「アロマージュ Ⅵ級A0 4P 110m」である。
写真は4P目をトップで開拓中の松村さん。
残念ながらこのあと右から伸びていた「クレッテルルート」に合流してしまった。未発表なので誰も知らないルートで終わった。