2020.5.9(土) 思い出の写真 No4
1982(昭和57)年
大学を卒業した年の秋、社会人山岳会「熊本クレッテル・カメラード」に入会した。
この年、クレッテルは熊本の山岳会としては初めての「ヒマラヤ未踏峰」への遠征を敢行している。
1983(昭和58)年
この年からクレッテルの仲間と「阿蘇北外輪・大観峰の岩場」に行くようになった。
クラックにカム(フレンズ)を使って登り、終了点はリングボルトを2個打って完成という簡単な開拓だったが「一日1本」開拓ができる新しい岩場だった。これからの数年間、私は幸せな時を大観峰の岩場で過ごすことができた。
しかし、比叡山や日向神峡、大分等に行くことはほとんどなくなり、フリークライミングに関しては「井の中の蛙、大海を知らず」状態に陥ってしまった。
憧れだった「北ア:北鎌尾根~槍ヶ岳~滝谷」を登る機会を得た。
ここは北鎌尾根(独標の頭)である。
大キレットを越えて滝谷(ドーム中央稜)でも登った。
その後は単独で八ヶ岳南部を縦走した。
秋には「第38回 群馬国体山岳競技」に選手で参加した。
1チーム(3人)で「登攀・縦走・踏査」の3種目をこなす。ワンゲル部で培った「天気図つけ・屋根型テント立て」の技術も生かされた。国体後は秋枯れの「尾瀬」を堪能した。翌年の「第39回 奈良国体」も参加した。
1984(昭和59)年
冬季は近場の阿蘇高岳鷲ヶ峰「赤谷」へよく行った。
大滝は多くのクライマーで賑わっていた。
鷲ヶ峰の第1キレット付近の斜面でビバーク訓練をして、一夜を明かしたこともある。
八方ヶ岳:穴川の岩場でルート開拓をした。
2ピッチ目からフリーで行けなくなり断念した。
岩場までのアプローチがひどすぎた。
比叡山で「池田功:クライミング講習会」があった。
右のタイツ姿は中山良朗氏である。
「岩雪」の表紙を飾っていた池田氏のクライミングに驚かされた。
クレッテルカメラードでは熊本城の石垣掃除を年に1回行っていた。
このころ熊本県警の山岳救助隊に委嘱された。
12月に初めて「根子岳・地獄谷」での救助活動に参加した。
徹夜での救助活動は貴重な体験となった。