「山口萩往還」タグアーカイブ

運動会の思い出

2022.5.30(月) 徒然 86

先日、1年生の孫の運動会を見に行った。
50mの直線を走る「徒競走」では、1コースでスタートしたのに前を行く右側の子に引っ張られてゴールした時は3コースだった。そして5位。(カメラのファインダー越しに爆笑!)
だいたい緒方家に足の速い子はいない。

私がその源でいつも短距離走はクラスの中で下から2番目だった。
だから運動会で活躍したことはまったくない。
だいたい運動が「嫌い」だったのではなく、運動することに「無関心」だったのだ。思い出もほとんどない。
運動会を見に来た親も私の姉の活躍が楽しみだったろう。

【小学校時代】
何年生の時か、ショウケを背中に乗せて四つん這いで進む「亀の子レース」という技巧走で3位になった。
【中学校時代】
3年生の時に、応援団長から「団画を描いてくれ」と言われて、畳大の「マジンガーZ」を描いた。(絵は得意だった)
【高校時代】
フォークダンスで手をつないだ女子がテニス部だったのか、手の皮がごわごわだった。
組体操で台上倒立ができなかった。
以上、走った思い出がない

そんな私ではあったが、大学時代にワンゲル部に入って毎日トレーニングすることでかなり体ができてきた。
更に教職に就いたことで日頃から走ることが多く、学生時代の走力を維持できた。
この頃、やっと「走り方」が分かってきた
20代後半の頃、「熊本走ろう会」の同僚の勧めでマラソン大会に出るようになった。
鹿本マラソンの10km、杖立温泉マラソンの20km、大津白川マラソンの30kmと距離も伸びて嬉野温泉高速道開通マラソン大会が初フル。
更に山口萩往還140kmのウルトラマラソンも3回出場した。

懸案だった「短距離走」もそれなりに力がついて、40代後半の時に出た町内体育祭「地区別対抗リレー」では、4位でバトンをもらいごぼう抜きで1位になるまで前を走る選手が本当に歩いているように見えた
場内の歓声と共にテントにいた老いた両親にやっと息子の晴れ姿を見せることができた。(と、思っている)

そして、運動が苦手な我が子たちであるが、
1年生の時に声が大きいので「開会宣言」をした子、
原稿を読むのが上手で放送係をした子、
重い病気を持って生まれたのにみんなと一緒に参加できるまでになった子、
入場行進で吹奏楽部の指揮をした子、
応援団で力いっぱい大きな声を出した子、
体が小さくいつも先頭にいて元気な笑顔で踊っていた子、
みんなそれなりに親を楽しませてくれた。

今思えば、運動会の思い出は親の心に残るものではなかろうか。