30年ぶりのファイナルスラブin比叡山

2017.4.15 比叡山南面スラブ

一日の山行を終えて、さあブログを更新しようと椅子に座ったら突然右太ももがつった。これにはどう対処したらよいのか分からず、ただ痛みに耐えて倒れていた。今日の厳しいスラブでの奮闘がこんな形で表れるとは・・・。

4月のあそ望山岳会の例会山行で宮崎の比叡山へ行った。メンバーはキーボウ、りりぃ、かんすけ、あり吉、かわこう、私、会員外Fさんの7人。
キーボウチームは左方カンテ、あり吉チームはニードル左岩稜からAピーク、私と若いかわこうくんはロックタワーから第1スラブをめざした。

ロックタワーから1スラは昔から私のお気に入りで、南面では一番変化に富んだ好ルートだと思う。比叡山は2回目だというかわこうくんにはお勧めである。
さて、二人で水場の裏から取り付こうとするとどうもルートがよく分からない。岩全体が苔むしていてほとんど登られていないようだ。見つけたボルトも昔のRCCのままである。確かに最後に登ったのは約30年前だが、ここは人気ルートだと思っていたので大変残念であった。

今日はちょうど「労山 クライミングフェスタ」が開かれていて、朝からどのルートもたくさんのクライマーで賑わっていた。やっと見つけた誰も取り付いていないルートが「みつばツツジの道 Ⅵ」であった。このルートはちょうど「みつばツツジ」がピンクの花をつけ、花見気分のつるべ登攀で快適に登れた。右側のTA、3KN、ナックル辺りはたくさんの人だった。ここは庵「鹿川」のIさんやKさんが遠来の方々の案内をされていた。稜線で昼食をとった。
【写真は、最終ピッチのかわこうくん」

下りは南側の径をとり、南面スラブの最上部に着いた。
南面スラブの最上部には約30年前に私と久留米のMさんでボルトを打ったルートがある。「スーパーファイナル Ⅶ-」である。下から見るとリングボルトやアルミハンガーが何も手がかりがないようなスラブに点々と見える。
当時、開拓はグランドアップが標準のこの地で、「難度の高いルートは下からは拓けない!」という思いで上から下がって試登をしながらボルトを打った。

30年前、私はどんな登りをしていたのだろう。自問しながら「スーパーファイナル」に取り付いた。
出だしからルートを読む目が要求される。足はまったくフリクション頼りだ。ボルトはリングとアルミが交互に現れる。どうしてこうなったかなどまったく思い出せない。残置の敗退ビナを越えて遂にテンションが入った。20mぐらい登った所で2回目のテンション。どこも核心でどこもピン間隔が遠い。次のボルトまで4~5mあり、どうみても5.11台のムーブが要求される。そしてプロテクションは楕円に伸びたリングボルトである。これでつっこむのは勇気ではなく無謀であろう。敗退。
【写真はスーパーファイナル】

春の太陽は高く、ヌンチャク回収のためにも「ファイナルスラブ Ⅵ」を登ることにした。これまた「熊本クレッテルカメラード」の開拓時以来30年ぶりであるが、こちらはステンレスボルトに打ち替えてあるので大安心である。
しかし昔からそうだったがボルトの間隔がかなり遠い。トポ図には(Ⅵ- 5.8)とあるが、今のグレードでは5.10台には十分感じる。これでは人気が出ないだろう。1ピッチ目(45m)の終了点のスリングが腐っていたので新しく替え、集めた敗退ビナを2枚セットした。これでラッペル(懸垂下降)も楽になる。
このルートは3ピッチ目の小ハングも面白く、空荷で登って3ピッチのラッペルで戻ってくる、午後からの1本に最適であろう。

ちなみに、「宮崎の岩場 クライミングガイド」p50に記載されている「ファイナルスラブ「と「スーパーファイナル」のルートグレードは逆であり、11行目の「左側」は「右側」の間違いである。
また、前述したように「スーパーファイナル」は核心部がリングボルトなので、リボルトされるまでは登らない方がよいと思う。